「MCの古家さん」。K-POPファンなら知らない人はいない、誰もが絶大の信頼を置く人物だ。
筆者は昨年8月、神戸でのライブ「THE STAR NEXTAGE」に参加した。飛ぶ鳥を落とす勢いのガールズグループ、IVE(アイヴ)のパフォーマンスを見るためだ。
IVEの持ち曲は当時、まだ3曲しかなかった。それでも、圧巻のパフォーマンスに酔いしれた。息のあったキレキレのダンスに、伸びやかな歌声。ステージが終わり、MCの古家正亨さんが出てきた。ざわめく観衆を前に、古家さんが一言。
「みなさん、IVEは実在するんです」
「ああ、いま見たのは幻じゃない。やっぱりIVEは実在するんだ…!」
コロナ禍で歓声が禁止される中だったが、観客席からは熱烈な拍手が巻き起こった。猛烈な共感と感動の嵐が客席を駆けめぐった。
少々、解説が必要だろう。
筆者を含むK-POPファンは、デビューしてすぐのIVEの快進撃に魅了されつつ、「こんな完璧なグループ、本当に実在するのだろうか?」という疑問を拭えていなかった。コロナ禍で対面のイベントが制限されていたこともあり、「IVEの実在性」に自信を持てなかったのだ。実在性を疑うほどの神秘的な魅力が、IVEにはある。古家さんの一言はそんなファン心理を見事に言い表していた。
「今日のライブに来て本当によかった。僕はこの目でIVEを見た。IVEはちゃんと実在するのだ。ありがとう、IVE。ありがとう、古家さん」
IVEのパフォーマンスに圧倒されただけではなく、観客席を一つにする古家さんのMCにも心を打たれたのだった。
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そんな古家正亨さんの著書『K-POPバックステージパス』が発売された。K-POPのスターたちから絶大な支持を集め、数々のイベントでMCを務める古家さん。「K-POPファンがなりたい職業ランキング」があるとすれば、堂々の1位は「古家正亨」だろう。
そもそも、古家さんってどうやって今の仕事をするようになったのだろう。なんでいつもMCをしているのだろう。そんな疑問を胸に、ページを開いた。
古家さんが「韓国」に出会ったのは、留学先のカナダだったという。90年代にカナダに留学に行った際、クラスメイトのホームステイ先で韓国文化に触れ、どんどん韓国に染まっていった。そこでToy(ユ・ヒヨル)のセカンドアルバムを聞いたことが古家さんの人生を変えた。
「こんなに面白い音楽が、世の中にあったんだ」
1998年、古家さんは韓国に降り立った。韓国留学が始まったのだった。
韓国での古家さんの行動力もすごい。週に1回、その週に発売されるCDのほとんどを購入していた。その数、10~20枚。当時は今のようなサブスクリプションサービスなどなかった時代だ。CDを聞き漁り、K-POPの世界にどんどんハマっていった。
日本に帰国後、ラジオの番組ディレクターに「韓国の音楽を紹介したい」と伝えたところ、「需要がないだろう」と言われる。当時は「韓国」という言葉に対して拒否感を持つ人も少なくなかった。
それでも、古家さんは諦めなかった。さまざまなアルバイトを掛け持ちして、週に1回の中継DJの仕事をこなす日々。ある日、札幌の音楽イベントでの仕事を紹介されたことがきっかけで、ラジオ番組を持たせてもらう。そこで初めて、K-POPを紹介できるようになった。
番組が終わると、苦しい日々が続いた。「韓国の魅力を伝える番組」を作るため、古家さん自ら、スポンサー獲得の営業に出向く。当時は『冬のソナタ』も放送される前で、今のように韓国文化が大衆に受け入れられる素地がなかった。なんとかスポンサーを見つけ、番組を始めた古家さん。2002年の日韓ワールドカップ共催の熱もあり、韓国の公共放送KBSへの出演も果たす。
そして、2003年。ついに『冬のソナタ』の大ブームがやってきた。古家さんは『冬ソナ』ツアーのMCを任されることになる。主演のペ・ヨンジュンはサプライズイベントのため、徹夜で準備していた。
日本で巻き起こった韓流ブームの波に、古家さんは乗っていく。イ・ビョンホンやクォン・サンウなど、数々のスターのイベントのMCを務める。本で紹介されるのはそうそうたる顔ぶれで、まさに「古家正亨を介した韓国文化史」の趣がある。
そしてようやく、K-POPブームがやってくる。古家さんはブームの下地を作り、それをMCとして支える役割を担った。BIGBANG、少女時代、そしてKARAは社会現象ともいえるブームを巻き起こした。
古家さんは2009年、日本におけるK-POPの普及に貢献したとして、韓国政府より文化体育観光部長官褒章を受賞した。
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第8章「K-POPとK-POPに携わる人たちのこれから」では、古家さんの仕事術が明かされる。
人知れず、事前の下調べを徹底的に行う。動画を見る、作品を見る、音源を聞く、公式SNSをチェックする…。事前の準備はとにかく大変だという。ファンが聞きたいこと、知りたいことを頭の中に入れておく。台本にない部分はスタッフに確認し、OKが出れば本番で実践する。
古家さんの考えるMCの役割は、ステージにいるスターとファンをつなぐ、あくまでパイプ役。「出過ぎず、引っ込みすぎないスタンスで、両者のコミュニケーション・ツールの一つとして機能すべき存在」を目指している(195頁)。それは決して簡単なことではない。
冒頭に紹介したエピソードに戻る。筆者は、古家さんはなぜそこまでファン心理を把握し、的確な言葉を出せるのだろうと驚いた。それは徹底した下調べと準備に裏打ちされていたのだ。
K-POPが市民権を獲得するまでの長い長い道のりで、古家さんが一生懸命汗をかいた経験。それらが合わさって、「みなさん、IVEは実在するんです」という一言につながったのだと思う。
そのほか、本記事では紹介しきれなかった裏話も多く、K-POPファンにはたまらない一冊になっている。この本を読めば、K-POPへの理解がとても深くなるはずだ。まさに、古家さん自身が「K-POPとファンをつなぐコミュニケーション・ツール」なのである。