なぜ人は清原和博にひきつけられるのか、話題のノンフィクション作家・鈴木忠平がその正体に迫る

  • 文:韓光勲

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『虚空の人 清原和博を巡る旅』鈴木 忠平著 文藝春秋 ¥1,760

評者は1992年生まれなので、全盛期の清原和博を知らない。物心がついてプロ野球を見始めたとき、清原は巨人の5番打者。相手を威嚇するようなゴツい体つきから、柔らかいスイングでセンターから右方向へのホームランが印象的だった。他の選手を従えて、やんちゃな言動から「番長」とも呼ばれていた。

だが、2000年代初頭はすでに成績が下降していたころ。力のないスイングが空を切り、苛立つ清原を見ることが多かった。

そんな彼を応援しはじめたのは、オリックス・バファローズに移籍した2006年からである。

当時は、プロ野球が1リーグ制になるかを巡り揺れたあと。近鉄バファローズは消滅し、オリックス・ブルーウェーブと合併して、オリックス・バファローズとなった。現在のようなパ・リーグ人気もなかった時代だった。

オリックスの監督を辞めたばかりの名将、仰木彬が清原を口説き落とし、清原は生まれ故郷の関西に帰ってきた。

ただ、清原はオリックスで活躍できたわけではない。移籍1年目こそ11本のホームランを放ったが、出場は67試合に留まった。右膝にメスを入れ、そこからは長いリハビリの日々だった。

当時、関西のテレビでは清原和博のリハビリの様子をよく報じていた。歩くのもままならない姿から、やがてバットを振れるようになるまで。しかし、思うようなスイングは取り戻せない。その一部始終を見て、清原を応援したくなった。しかし、かつての甲子園のスターは輝きを取り戻せず、引退を決めた。

京セラドーム大阪であった清原和博の引退試合を見に行った。長渕剛が登場し、場内は『とんぼ』の大合唱。号泣する清原和博が印象に残っている。

清原はその後、報道されたように、覚醒剤に手を染めた。しかし、そのニュースは清原の飾られた「強さ」よりも「弱さ」を感じさせたものだった。彼の「弱さ」とはなにか。プロ野球を引退しても、人をひきつける何かを持つ清原和博とはいったい、どういう人物なのだろうか。

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photo: istock

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著者、鈴木忠平は『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』でミズノスポーツライター賞、大宅壮一ノンフィクション賞をダブル受賞した作家である。『清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実』では、清原に甲子園でホームランを打たれた投手たちを描いた。取材・構成を担当した本に、覚醒剤取締法違反で執行猶予中の清原が自らを振り返った独白集『清原和博 告白』『薬物依存症』もある。

その鈴木が、改めて清原和博の内面に向き合ったのが新著『虚空の人 清原和博を巡る旅』である。

鈴木は文藝春秋「Number」の編集長だった松井一晃の言葉から、清原を巡る旅を始める。

「清原さんは罪を犯した。それは間違いないよ。でも、今までやってきたことまでなしになるのは、おかしいだろう」
「これまで打ってきたホームランまで否定されるような今の風潮が我慢できないんだ」
「だからさ、おれ、やっぱり清原が好きなんだよ」

松井の言葉を受け、かつての甲子園投手たちに取材を始めた。彼らは一様に清原和博から打たれたホームランをまるで勲章かのように話すのだった。鈴木は、記事をまとめて「Number」に発表。すると、清原から電話がかかってくる。

「清原です……」
「あの、雑誌の記事……読みました。ありがとうございました。それだけ伝えたくて、電話しました」
「いま、東京のマンションにいます。一日中、カーテンを閉め切った部屋で何度も何度も読み返しています。読んで……泣いています」

そこから、鈴木と清原の繋がりが生まれる。一方は取材者、もう一方は罪を犯しながらも這い上がろうとする一人の等身大の人間、清原和博。鈴木はときに岸和田でだんじりを引く者たちとも交わりながら、清原の過去をたどる旅を始める。

取材のなかで、清原の過去の恩師と接触したとき。鈴木は思わぬ言葉を投げかけられる。

「あなた、清原を食い物にしとるんじゃないか? 何を書きたいのか知らないけど、それじゃあ昔のトップ屋と変わらんじゃないですか」

清原に密着し、清原の過去を探る自分は清原を食い物にしているのではないか。鈴木の自問自答が始まった。

「新聞社を辞めて記者バッジを外した私には、もう物語を書くことしか道は残されていなかった。人生の明暗に生じる儚さや美しさ、その末のカタルシスを求めていた。そんなとき運命的に現れたのが清原だった。だから、かつての英雄を追った先には劇的なものがなくてはならなかった。何もないなどということは許されなかった。それが私の焦燥の正体であり、井元の言葉は、劣等感の裏に隠していたその傲慢を暴き出していた」

鈴木は一度は取材をやめてしまおうかとまで考える。しかし、やはり『清原和博への告白』の方法論と同様に、「なぜ人は清原和博にひきつけられるのか」という問いを胸に粘り強く取材を続ける。

やがて、鈴木は清原の内面に肉薄していくことになるのだが、そこにあるのは何だったのか。そして、タイトルの「虚空」の意味とは――。

『嫌われた監督』で落合博満を描き、ノンフィクション界の栄誉ある賞を受賞した鈴木忠平。そんな彼が清原和博に見たものとは何だったのか。清原和博とは、誰なのか。その答えは、本書を読んだ人それぞれが発見するものである。

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