「在宅勤務だった…」マヤ文明で2万4000人分の“塩”を製造していた広大な工場跡、水底から発見される

  • 文:青葉やまと
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木製の支柱を持ち上げる研究者たち。Courtesy of C. Foster / Louisiana State University

中米・ベリーズの沿岸部に位置するペインズ・クリーク国立公園の水底から、毎週合計1トン以上の塩を生産していたとみられるマヤ文明の塩工場跡が発見された。近隣の製造所と合わせ、当時2万4000人に塩を供給していたという。

工場は西暦650年ごろまでに建てられたものとみられるが、保存状態は奇跡的に良好だった模様だ。国立公園の水域にはマングローブが生い茂り、張り巡らされたその根が泥炭を抱え込むような形になっている。泥炭に覆われたおかげで遺構と空気との接触が絶たれ、2800年以上前の当時の状況に近い状態で出土した。

ベリーズは中米の東岸、ユカタン半島の付け根に位置する小国だ。急峻な階段を備える有名なカラコル遺跡など、マヤ文明によって築かれた遺構を多く擁している。今回はタアブ・ヌク・ナと呼ばれる遺跡サイトの近くで発見された。

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住居棟に設けられた3ヶ所の塩工場

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旗を使って、水没した木製の柱の位置をマッピングした。Courtesy of Heather McKillop / Louisiana State University

これまでにもペインズ・クリーク国立公園では、大規模な塩工場が発見されていた。今回は水中での追加調査により、新たな構造物が発見された形となる。

科学ニュースサイトの「Phys.org」は、水中調査の結果、主要な発見物をマークした旗が水上に600ヶ所以上設けられたと報じている。これらの多くは、マヤ文明の住居の特徴である木造建築の柱の位置を示すものだ。柱を立て、その上に茅葺の屋根を架ける方式が住宅用に多く用いられていた。

したがって今回発見された構造物は、塩づくりの労働者たちが住む巨大な住居棟として用いられていたとみられる。ただし居住専用というわけではなく、棟内には塩を製造するための3つの大規模なキッチンが設けられており、同じ棟内で生活と労働の両方を行っていた。住居棟兼労働場所として機能していたようだ。

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沿岸部に位置する塩工場、沈んで失われる運命に

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陶器の残骸。Courtesy of Heather McKillop / Louisiana State University

遺構は米ルイジアナ州立大学のヘザー・マキロップ教授(考古学)らのチームが発見し、成果を示した論文が考古学ジャーナル『アンティークイテ』に掲載されている。

論文を通じマキロップ教授らは、塩は世界の歴史上、重要な必需品であったと指摘している。多くは海水から製造する工程となるため、塩工場は必然的に沿岸部に位置することになる。こうした生産工場の多くは時代を経て、海面上昇に見舞われる形で水没して失われた。

国立公園内にはマヤ文明の水没遺跡が100ヶ所以上で発見されている。しかし、木造の建造物は時間と共に腐敗が進みやすい。西暦600年から1000年ごろの遺跡は多数確認されているが、木造の遺構が発見されたのは今回が初となる。

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天日干しだけではない…南北で異なる製造手法

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Courtesy of Heather McKillop / Louisiana State University

当時、ベリーズや隣国のグアテマラの沿岸部では、海水を陶器製の鉢やカメに注ぎ、煮詰めることで塩を精製していたようだ。

こうして得られた塩は「塩ケーキ(salt cake)」と呼ばれる固形の形状にまとめられ、工場から出荷されていた。内陸部へと運搬する都合上、固形にする方が都合が良かったようだ。こうした手法は、タアブ・ヌク・ナなどユカタン半島南部で主流であった。

一方、半島の北部では、塩田での天日干しを中心とした製造が行われていたという。

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古代マヤ人も自宅作業に勤しんだ?

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Credit: C. Foster, Louisiana State University

今回発見された建造物での塩作りは650年から800年ごろまで行われたが、その後はより大規模な工場に役割を譲ったようだ。

米スミソニアン誌はこのユニークな構造物を、「在宅勤務」だと表現している。記事は「在宅勤務というと新型コロナのパンデミックと切っても切れない関係にあるようにも思えるが、マヤの塩職人たちも暮らしと労働を同じ場所で行っていたことが判明した」と報じている。

古代マヤ文明の人々も、通勤不要の自宅作業を楽しんでいたのかもしれない。

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【画像】「在宅勤務だった…⁉」マヤ文明で2万4000人分の“塩”を製造していた広大な工場跡、水底から発見される

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木製の支柱を持ち上げる研究者たち。Courtesy of C. Foster / Louisiana State University

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住居棟に設けられた3ヶ所の塩工場

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旗を使って、水没した木製の柱の位置をマッピングした。Courtesy of Heather McKillop / Louisiana State University

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沿岸部に位置する塩工場、沈んで失われる運命に

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陶器の残骸。Courtesy of Heather McKillop / Louisiana State University

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天日干しだけではない…南北で異なる製造手法

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Courtesy of Heather McKillop / Louisiana State University

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古代マヤ人も自宅作業に勤しんだ?

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Credit: C. Foster, Louisiana State University

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3400年前の古代都市、チグリス川の干ばつの影響で姿を現す

チグリス川とユーフラテス川が干ばつに見舞われているイラクで、湖底から古代都市の遺跡が出現した。渇水による流域の農作物へのダメージを防ぐため、イラク最大のダムであるモスルダムから水を汲み上げ続けた結果、3400年前の古代都市がダムの水面下から姿を現した。

遺跡はダムの水量が回復すれば、再び湖底に姿を消すことになる。時間との戦いのなか、考古学者たちが現地に急行し、調査にあたった。顕著な成果が上がっており、発掘チームは都市全域の建物図を記録することに成功している。また、くさび形文字が刻まれた陶器など、多くの出土品も確認された。

遺跡の存在自体はこれまでにも知られており、2018年の干ばつの際にも同様のスピード調査が行われている。当時、宮殿跡から鮮やかな赤や青に彩られた壁画の痕跡が発見され、学者たちは色めきたった。宮殿は巨大なもので、高さ6.7メートル、厚さ1.8メートルという大規模な壁に囲まれている。

非常に重要な発見だったが、当時は水位回復までの時間的猶予がなく、都市の全体像の把握には至らなかった。そこで、今回の追加調査が実施される運びとなった。調査は今年1月から2月にかけて実施され、このほどカール大がプレスリリースを通じその成果を発表した。

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発掘作業は時間との戦いだった

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考古学者たちは、このチャンスを待ちわびていたようだ。イラクの考古学チームと共同で発掘を進めたドイツ・エバーハルト・カール大学テュービンゲン校の発表によると、ダムの水位低下を受け、「数日のうちに救出考古学のチームが組織された」ほどのスピード感だったという。

チームは即座に支援財団から資金援助を取り付けると、「貯水池の水がいつまた上昇するか知れないという計り知れないほどの時間的プレッシャー」のなか、現地での作業にあたった。

苦労の甲斐あって、2018年に記録がほぼ完了していた宮殿に加え、古代都市の大部分を地図に書き起こすことができたようだ。今回新たに、塔のある巨大要塞や、複数の階層からなる大型の貯蔵庫、作業場兼倉庫として使われていた複合的建造物などが確認された。

遺跡の詳細は研究中だが、米スミソニアン誌は、紀元前1350年ごろまで栄華を誇ったミタンニ帝国の古代都市・ザキクではないかと伝えている。ミタンニ帝国はインド・イラン人が建国した数ある王国のひとつで、最盛期には1000キロ近くにわたり支配を及ぼしていた。

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保存状態の良さに驚愕

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カール大の発表によると、都市全体のあまりの保存状態の良さに、「研究チームは衝撃を受けた」という。1980年にダムが建造されて以来、泥を日干ししただけのレンガでできた建物が40年以上、水深数メートルに沈んでいたことになる。しかし、建物の状態は良好だった。

研究チームはその理由として、偶然にも大昔の地震が考古学上の好影響を残したとみている。紀元前1350年ごろ発生した地震に見舞われ、都市の広い地域で、高さ3メートルほどある壁の上部が崩壊した。上部から降ったがれきに建物下部が埋没したことで、日干しレンガがダムの水気から保護されたという。

古代の地震と現代の渇水という2つの偶然が重なりあい。往時の街の様子が解き明かされたようだ。

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【画像】湖底から姿を現した3400年前の古代都市

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