DJ、クリエイティブディレクターのMOODMANが、日々のアナログ体験を綴ったPenオンラインの連載コラム、「アナろぐフィールドワーク」のポッドキャスト番組がスタート。
第一回目は、DJとして30年以上活躍してきたMOODMANが愛用するアナろぐアイテム「南部鉄器のスタビライザー」を、全3回に渡って深掘り。
スタビライザーを製作しているのは、岩手県奥州市水沢に工房を構える「及富」。創業は1848年。伊達家お抱えの釜師から始まり、170年を越えてサスティナブルなものづくりを継承してきた、いわば職人の集団だ。
今回は、南部鉄器の歴史、その延長線上にある「及富」の今について、株式会社「及富」の専務である菊地章さんに話を伺った。
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900年前、なにもない原野に都を築いた
MOODMAN 昨年末に、実際に及富さんの工場を伺わせていただいて、いろんな工場を伺わせていただいてるんですけど、その中でも独特っていうか、すごい迫力あるというか、熱量がある現場だったなって、すごく印象深く思ってるんですけど。まずは、及富さんの工場がある地域がどういったところか、ご説明していただけますか。
菊地章(以下、菊地) 我々が住んでるとこは、奥州市っていうところなんですけども。どうしてこの地で、南部鉄器が始まったのかっていうのが、皆さんご興味おありだと思うんですけど。
奥州市から大体20キロぐらい南の方にあるところで、平泉っていうところがありまして、平泉文化っていうのが、900年前に藤原三代という、藤原家って有名な武士が、都市を築いたんですね。
その都市は京都をモデルにして、こちらに都を築いたわけですね。900年も前ですから、なにもない原野に、ある日突然じゃないですけど、いろんな方々が集まって、都を築いたわけなんですね。
MOODMAN はい。
菊地 そのときに都を築くには、産業が必要になってきます。当時人々の暮らしを支えるために、一番の基盤となったのは農業です。そのために畑を耕したりする道具、鋤や鍬が必要になった。その当時は鉄の鋳物、鉄で道具を作る必要があったわけです。
そこで米を作り人が生まれ、文化がどんどん発達し、といったようなことに関して、京都の方から鋳物師がこちらへ来るときがあった。
その頃は、鋳物師(いもじ)と呼ばれてましたけども。鋳物師(いもじ)がこちらに一緒にきたんです。そこから鉄の鋳物を作る場合には、鉄資源がなきゃいけないんですけど。ここには鉄があったんですよ。鉄はいつも取れたし、鉄を溶かすためにいまはコークスと呼ばれる良質の木炭が必要です。
木炭にする材は、クヌギとかナラとか非常に大きい木で、成長が早くて、炭にしやすい木が必要だったんですけども、岩手県にはそれがありました。
MOODMAN なるほど。
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