「常々感じている違和感を盛り込んだ作品」、映画『激怒』高橋ヨシキ監督インタビュー

  • 写真&文:韓光勲
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©️映画『激怒』製作委員会

映画評論家、アートディレクターとして活躍してきた高橋ヨシキが企画・脚本・監督を務めた初の長編映画『激怒』が、8月26日より全国公開中だ。近年の日本映画で最も多数の映画に出演していると言われる川瀬陽太が主演を務め、この二人がタッグを組んだ注目のバイオレンス・エンターテイメント映画となっている。

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©️映画『激怒』製作委員会

中年の刑事・深間(川瀬陽太)には、いったん激怒すると見境なく暴力を振るう悪癖があった。度重なる不祥事の責任を問われ、海外の治療施設へ送られる。数年がたち、日本に戻った深間は、街の雰囲気が一変していることに気づく。行きつけのバーはなくなり、親しかった飲み仲間や不良たちの姿はない。あちこちに「みんなが見てるよ!」「犯罪ゼロの街」などのポスターが貼られている。その一方、町内会によって結成された自警団は「安心・安全」のスローガンを掲げて、暴力的な「パトロール」を繰り返す。この街に一体、何が起きているのか。抑え込んでいた深間の怒りが、ついに燃えたぎり……。

9月3日、大阪市のテアトル梅田にて舞台挨拶が行われ、高橋ヨシキ監督への単独インタビューが実現。映画製作のきっかけ、映画に込めた思い、影響を受けた作品、次回作の展望などを伺った。

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舞台挨拶終了後、インタビューに応じてくれた高橋ヨシキ監督。

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監督が普段感じている「違和感」とは

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©️映画『激怒』製作委員会

――映画の公開、おめでとうございます。すごくよかったです。監督の怒りがすごく込められた映画だと思いました。

高橋ヨシキ「そこは逆算して作った部分もあります。主人公が怒るのはなぜか、その怒りの対象は誰なのか。その過程で、常々感じている違和感を盛り込みました。例えば東京には歌舞伎の隈取の目のイラストに『みんな見てるぞ』と書いてあるポスターがあちこちに貼られています。誰もいないオープンスペースにでかでかと『禁煙』と書いてあったりもする。映画の冒頭シーンにあるように、まったく車が来ない一本道で信号が変わるのを待っている人たちを見かけることもあって、非常に不思議に思っていました。命令的なポスターや貼り紙に何らかの強制力があるかのような錯覚が共有されていて、それに盲目的に従うことが是とされているとしたら、それはどういうことなのか。そのことはずっと考えていました」

――舞台挨拶でも、よく職務質問をされたりだとか、普段は窮屈だと話されていましたね。

ヨシキ「バス停でバスを待っていただけなのに『何やってるんですか』って職務質問されたこともあります。『バスを待っているんですが』と言っても聞いてもらえずに荷物も全部チェックされる。友人にも毎日のように職務質問される人が何人もいます。若い警察官に職務質問を体験させる期間のようなものがあるのかもしれませんが、一年の特定の時期にやたらされることもあって、何だかなあと」

――監視される不気味さですよね。

ヨシキ「コロナ禍ではいわゆる『自粛警察』というものが出現して、相互監視社会というものがはっきり可視化された感もあります。夜の店を行政の職員がひとつひとつ見て回ったり。そこにはいろいろと理由もあるのは分かりますが、起きている現象だけを捉えた場合、やっぱり一定の不気味さを感じてしまいます。ここで例に出すのが適切か分かりませんが、たとえばアンネ・フランクの一家が隠れ家生活を余儀なくされたときには、ユダヤ人をひそかに匿うようなことは違法行為だったわけです。密告する側に法的なバックアップがある。だからそれがどういう結末をもたらすのか考えずに(あるいは知っていて)密告することが可能になるわけで、言うまでもなくとても恐ろしいことだと思います」

――ヨシキさんはコロナの前から、監視社会の危険性をずっと指摘されてきましたよね。

ヨシキ「もし、コロナ禍の前に『激怒』が公開されていたら、今ほど伝わらなかったかもしれません。パンデミックが相互監視社会を可視化してみせた部分は確実にあると思います。社会は相当気をつけて運営していかないと、あっという間にこの映画のようになってしまう。なぜかといえば、コントロールする側、権力者の側にしてみれば、市民同士がお互い監視し合って、いがみあっていてくれた方が都合が良いからです。いろいろと窮屈なことが増えていくときに、誰がそのことで利益を得るのか、そして何を自分たちは手放してしまっているのか、そういうことを意識しておかないと後が怖いなといつも思っています」

――映画評論を長く手掛けられてきましたが、今回初めて長編映画を監督されました。クリエイターになることの違和感はなかったですか。

ヨシキ「それはないです。ぼくは毎日絵を描いているような子供で、中学に入ってからは8ミリで自主映画を作るようになりました。だから何かを作るのはむしろ自然なことに感じられるというか。映画はお金も人数も必要なのでなかなか実現しませんでしたが、なんとかして実現させたいという気持ちはずっとありました。それに、僕がそうだと言うつもりではありませんが、優れた映画監督で同時に優れた批評家でもある、という人も多い。分析して批評することと、言語化できないことを表現しようと試みることは方向性は違いますが、それは両立できるものだと思っています」

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ジャンル映画は社会を映し出す

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©️映画『激怒』製作委員会

――今回の映画は刑事ものです。ヨシキさんといえばホラーやSFというイメージがあり、意外でした。

ヨシキ「ホラーやSFは大好物です。でもそれだけではなく、他のジャンルにも同じくらい好きなものが沢山あります。今回の映画にもさまざまなジャンルの要素を入れたつもりです。また『激怒』にはソーシャル・コメンタリー(社会的な主張・批評性)の側面も多分に含まれていますが、いわゆるB級のジャンル映画は社会的なあれこれをいち早く反映するメディアでもあるとぼくは考えています。赤狩りや世代間の断絶をいち早く取り入れたのもSF映画やホラー映画だったりしました。『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(1956年)だとか『未知空間の恐怖/光る眼』(1960年)などは良い例です。ジョン・カーペンターの『ゼイリブ』(1989年)も極めてその傾向が強い作品でした。ジャンル映画という器には、社会的なメッセージも含めていろいろなものを詰め込むことが可能なわけです」

――刑事ものは川瀬さんの提案なんですよね。

「そうですね」

――刑事ものっていう枠の中でいろいろ詰め込めるということですか。

ヨシキ「できます。〈刑事もの〉というジャンルを提案されたとき、ぼくが最初に思い浮かべたのはーーこれは正確には〈探偵もの〉ですがーー『エンゼルハート』(1987年)だったり、『ヒドゥン』(1987年)だったり、『エイリアン・ネイション』(1988年)だったりしました。同じ時代のSFやホラーに偏っていて自分でもどうかと思いますが(笑)、しかし川瀬さんの提案は『SFやホラーではなしに』ということだと思ったので、その枠からは逸脱しないようにしたつもりです」

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監督のこだわり

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©️映画『激怒』製作委員会

――刑事ものという枠を設定されましたが、それでも監督のこだわりを随所に感じました。特に、深間が敵を殴るうちに手の骨が飛び出すシーンは最高でした。

ヨシキ「まだ脚本の最終稿ができていない段階で、特殊造形・特殊メイクを担当した藤原カクセイさんに相談したんです。『銃を使わずに、顔面を破壊したい』『そして、できれば一種の爽快感も欲しい』って。するとカクセイさんが『長年特殊メイクの仕事をしているけれど、拳で人の顔を破壊するほど殴ったときに、その殴っている手が壊れないのはおかしいとずっと思っている』とおっしゃるわけです。それは素晴らしい視点だなと思いました。であれば、殴っていく過程で手が壊れて骨が出たりするようにしたらいいんじゃいかと。カクセイさんの違和感から生まれた表現なんです」

――リアルな描写なんですね。

ヨシキ「顔と手は同じ素材で出来ているわけですから(笑)、片方が壊れるまで殴れば、それは手の方も無傷ではいられないだろうと、それはリアリズムと言っていいと思いますし、また、そのことで生まれる意味合いも重要でした。さまざまな解釈の余地が生まれるからです」

――衣装へのこだわりも感じました。特に、あの「シルバー人材センター」っぽい衣装はすごく絶妙だと思いました。

ヨシキ「ああいうユニフォームの人たちは、そこら中で目にしますよね。歌舞伎町にも、とても大きな体躯の警備員が同じようなベストに身を包んで周囲を威嚇しています。一体何の権限があるどういう人たちなのか不思議です。彼らに威圧的な態度や言動を可能にさせているのは、安っぽいベストとキャップだけなわけです。それだけのものが彼らに権威性をまとわせ、なんらかの『お墨付き』を得たという錯覚を得させている。そのことにはとても恐怖を感じます。先日出演したNHKのラジオで高橋源一郎さんもおっしゃっていたように、そこには旧日本軍的なメンタリティすら垣間見える。『安心・安全』のために見回るのは『良きこと』だと思っている、実際は単に暇を持て余した老人が何のてらいもなく大声で他者を怒鳴りつける、そこには非常に問題があると思うし、危険をはらんでいると思います」

――自警団の怖さを描いているのも印象的でした。

ヨシキ「そこは自分の中ではナチスに代表されるファシズムや、旧日本軍的なメンタリティ、あるいは関東大震災時の自警団などと一直線に繋がっています。そういう全体主義的なあれこれの根底には怯えと恐怖がある。『安心・安全』を守りたいという気持ちは誰にでもあると思います。誰だって自分の日常は守りたいに決まっているからです。しかしだからといって自分たちが恣意的に危険だとみなした相手を排除するという方向に行くとしたら、その先には悪夢的な世界が広がっていると思う。『自分たち(だけ)の安心・安全』がある種の均質性への希求を孕んでいるとしたら、それは怖いことだなと思います。だから本作ではそういう状況を戯画化して描いてみたつもりです」

――僕は以前、「自分の権利を主張する奴は嫌いなんだよ。義務を果たしてからにしろ」っていう上司のもとで働いていました。町内会長の桃山(森羅万象)が同じことを言っていてドキッとしました。

ヨシキ「桃山の選挙ポスターにそう書いてありますよね。おっしゃるとおり、そのことにまったく疑問を持たない人たちは実在します。劇中の防犯ポスターを作るにあたっては、いろんな自治体のそういうポスターを調べたんですが、目を疑うような恐ろしいメッセージがしれっと書いてあったりする。そういうものが身近に貼ってあっても、意外と意識されていないということもあると思います。公共のポスターはなんとなく無害なものだと思われているのかもしれませんが、立ち止まってよく見て、そのポスターが発しているメッセージは何なのか考えると、空恐ろしくなるようなものも実際に沢山あるんです」

――映画はそれほど誇張してないんですね。

ヨシキ「していないです。現実の半歩先を行くくらいにしたいとは思っていましたが、もしかしたら追い越されている可能性も十分にあります。だいたい『みんな見てるぞ!』って書いてあるポスターがそこら中にあるという状況は、端的にいってディストピアそのものではないですか」

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フェミニズムからの影響

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©️映画『激怒』製作委員会

――町内会長の桃山は女性蔑視がひどいキャラクターですね。女性の警察署長に対して『あんたが署長さん?』とか『弱腰だ』と言ったり。

ヨシキ「ああいう人も本当にいるというか、実際にあそこまで口に出して言わないまでも、同じように考えている人はいますよね。ミソジニー(女性に対する嫌悪や蔑視)は日本だけでなく世界的にみても極めて根深い問題で、他の多くの差別や排斥とも結びついていると思うので、それは避けて通れない部分でもありました。桃山が警察署長の部屋の観葉植物を指して「これ、葉っぱの病気だけど何だか分かる?」などとまくしたてるのは典型的なマンスプレイニング(男性が女性を見下しながら偉そうに解説・助言すること)ですが、これだって日常的に目にする光景でしょう」

――ヨシキさんが以前、『マッドマックス 怒りのデスロード』のジョージ・ミラー監督にインタビューした際、フュリオサの話を引き出しましたよね。ヨシキさんはフェミニズムに影響を受けてきたのですか。

ヨシキ「受けていると思います。ぼくは男子校育ちで、若い頃はそういうことをよく分かっていなかったし、時代もあって性差別的なバイアスも非常に高かったと思います。今だってそういうバイアスを完全に排除できたとはまったく考えていません。フェミニズムを扱った書籍と出会ったのは大学に入ってからで、愕然としたのを覚えています。男として生活していると、常に自分が性的な視線にさらされているというような(女性が置かれた)状況はなかなか想像できない。そのとき読んだ本には『石化する視線』と書いてあったと思いますが、相手を人間としてではなくセックス・オブジェクト化する視線、それを自分があたかも普通のことのように持っていたことにも衝撃を受けました。またゲイについて書かれた本の一節には、「もしヘテロがマイノリティだったとしたら、毎日目にする広告やテレビ、映画やポスターがすべてゲイの表象で埋め尽くされているということになる」という指摘があって、これを読んだときにもハンマーで殴られたような気持ちになりました」

――特に影響を受けた本はありますか。

ヨシキ「当時読んだものの中ではダナ・ハラウェイの『サイボーグ・フェミニズム』や、キャシー・アッカー(アメリカの小説家)の作品群なんかは強く印象に残っています。歌手のマドンナの存在も大きかったです。自分の身体やイメージを自分のものとして取り戻し主張するというような意味においてです。『激怒』のポールダンス・バーの場面を作るにあたっては、そういう側面も意識しています。性的な視線に奉仕するだけのお店ではない、ということが少しでも伝われば嬉しいです」

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障害者パンクバンドをキャストに起用

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©️映画『激怒』製作委員会

――さいたま市の障害者パンクバンド、スーパー猛毒ちんどんを起用しましたね。キャスティングの狙いは。

ヨシキ「深間が入り浸る居酒屋の場面に出演していただきました。(映画の中の世界が)まだ均質化される前の、猥雑で雑多なお店を描くにあたって、『いろんな人がいる』お店には普通に障害者の人もいるだろうと思ったからで、それを日常として描きたかった。スーパー猛毒ちんどんさんには友人の伝手でオファーしたんですが、快く出演を受けていただけて嬉しかったです」

――あまり日本映画では見ないですよね。アメリカ映画ではたまにありますが。

ヨシキ「どうなんでしょう。『いろんな人がいる』ということが普通であってほしいとは思うし、そういうシーンになっていたらいいなと思っています。このシーンに限らず、個性豊かな人たちに沢山出ていただけたことは本当に嬉しかったです」

次回作の構想

―――僕が今回の映画を見て強く思ったのは「早く次回作を見たい」ということでした。次回作の構想があれば教えてください。

ヨシキ「公開するまでは次回作のことは考えないようにしていたので、まだ考えてないです。すごくハートウォーミングな話をやってみるのも面白いかもしれないですよね。めっちゃハートウォーミングなのにすごく残酷な場面もあるような映画とか(笑)。これから考えたいと思います!」

――最後に、映画を見る人へのメッセージを。

ヨシキ「ジャンル映画とソーシャル・コメンタリーの食い合わせの良さのようなものを感じ取っていただけたら嬉しいです。ジャンル一辺倒、あるいは社会的なメッセージのどちらか片方ではなく、両方があることで面白くなる映画があると思ってもらえれば本望です。ぜひ映画館でご覧になってみてください」

『激怒』

企画・監督・脚本/高橋ヨシキ
出演/川瀬陽太、小林竜樹、奥野瑛太ほか
2022年 日本映画 1時間40分 8月26日より新宿武蔵野館、テアトル梅田ほか全国順次公開中。
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