ウイスキー業界を驚かせた世界初の鋳造製蒸留機、飛騨高山蒸溜所に導入される「ZEMON」とは?

  • 写真:香賀万里和
  • 文:西田嘉孝  
  • 編集:穂上愛

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15代目となる老子次右衛門を継ぐ老子祥平社長。「ZEMON」の開発当時は製造部長を努めていた。

いまや計画中のものも含めると、日本のウイスキー蒸留所は約70カ所にもなる。そのすべてから世界を驚かせるようなウイスキーが生まれるかどうかはわからないが、間違いなくそれぞれの蒸留所にはそれぞれのドラマがあるはずだ。

2022年の春、様々な人たちの思いを乗せて、岐阜県初のウイスキー蒸留所としてスタートを切った飛騨高山蒸溜所プロジェクト。この連載ではそこに関わる人たちにスポットを当てながら、一つのウイスキー蒸留所がどのようにできていくのかを追いかけたい。

飛騨高山蒸溜所に導入される、世界2例目の鋳物製ポットスチル

今年(2022年)の5月29日まで実施されたクラウドファンディングでは、当初のゴールを大きく上回る3千万円以上の支援を集めるなど、全国の酒ファンから注目される飛騨高山蒸溜所プロジェクト。現在は廃校となった旧高根小学校をウイスキー蒸留所へと生まれ変わらせるべく、着々と工事が進められている。

飛騨高山の老舗酒造である舩坂酒造店が新たな蒸留所で目指すのは、地元の風土を活かしたウイスキーづくり。その鍵を握る一つの重要なファクターが、三郎丸蒸留所の稲垣貴彦さんが発案し、同じく富山の梵鐘メーカーである老子製作所が開発した世界初の鋳造製蒸留器「ZEMON」だ。

三郎丸蒸留所に導入された2019年以来、すでにイノベーションなどに関わる数々の賞を授賞し、英国ウイスキーマガジン誌の表紙も飾った初代「ZEMON」。国内でも特許を取得し、 2022 年9 月にはウイスキーの本場英国でも特許を取得している。対して、新たな蒸留所に導入される「ZEMON Ⅱ」では、いくつかのリニューアルも施されているという。

飛騨高山蒸溜所への蒸留設備の搬入は今年11月を予定。連載「ウイスキー蒸留所のつくり方」第3回目では、完成間近の「ZEMON Ⅱ」を製作中の老子製作所を訪ね、同社の社長であり飛騨高山蒸溜所プロジェクトメンバーでもある老子祥平さんにお話を聞いた。

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富山県高岡市、若鶴酒造の三郎丸蒸留所から車で10分ほどの工業団地内にある老子製作所。

梵鐘の製造を通じて、戦後復興に貢献

江戸時代、高岡城に入城した初代加賀藩主の前田利長が、城下町である高岡の町を繁栄させるため7人の鋳物師を招き、鋳物産業を奨励したことで盛んになったという高岡での銅器づくり。同地で生産される高岡銅器は、経産省が指定する日本の伝統工芸品でもある。

そんな高岡銅器で有名な富山県高岡市は、いまでも銅像や釣り鐘など、日本の銅器製造のシェアが9割にもなるという鋳物の町だ。なかでも同市の工業団地内にある老子製作所は、日本の寺社仏閣などで見られる梵鐘の約7割を手掛ける国内最大手の鋳造品メーカー。その歴史は江戸時代中期にまで遡ることができるが、梵鐘や仏像などで高い全国シェアを誇る現在の老子製作所の礎は、第二次大戦後に築かれたものだ。

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見たことのない機械が並ぶ工場内。老子製作所は50トン級の大型梵鐘や美術銅器の製造などにおいて世界でも唯一の技術を持つ。

戦火が激しさを増す1942年、武器や軍艦などを製造する金属原料不足を解消するため、政府は全国の寺院に対して梵鐘供出令を発令。寺院の8割から9割が梵鐘の供出に応じたことで、日本の多くの寺院から梵鐘が消えることとなった。

「多くの梵鐘は溶かされる前に終戦を迎えたという話もありますが、戦後も各寺院に梵鐘が戻ることはありませんでした。そこで私の先祖である第7代の老子次右衛門が、戦後復興のプロジェクトとして全国の寺院に梵鐘を売りにまわり、結果的に多くの注文をいただくようになったのです」

そう話す老子祥平さんは15代目にあたり、2020年に社長を継いだ。現在までに京都の西本願寺や三十三間堂、成田山新勝寺など全国の名刹に梵鐘を納入し、広島平和記念公園の「平和の鐘」や、近年なら東日本大震災の犠牲者を悼む大船渡市の「鎮魂愛の鐘」なども制作。特に梵鐘や美術銅器などの製造に関して、老子製作所は日本でも随一の技術を誇る。

しかし、数十年どころか百年以上も壊れない銅器製品の頑丈さが仇となり、90年代後半に老子さんが入社した当時の同社の経営基盤は、決して盤石なものではなかったという。

「日本の梵鐘の7割のシェアを持つと言っても、戦後から時が経ち全国の寺院に梵鐘が行き渡ったこともあり、私が入社した頃にはすでに寺院からの梵鐘の発注がどんどん減ってきていました。そこで梵鐘などとは別に、新たに柱となるような事業を模索し続けてきたのです」

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富山だからこそ生まれた、鋳物製ポットスチル

一方、老子製作所から約5キロの場所にある若鶴酒造では、家業を継ぐべく東京から戻った稲垣貴彦さんによる三郎丸蒸留所の改修が、2016年頃から始まっていた。そしてその「高岡らしく鋳物の技術を活かしたポットスチルがつくれないか」という稲垣さんの発案のもと、高岡銅器の技術を活かした鋳造製ポットスチルの製造計画がスタートする。

世界のウイスキー蒸留所で見られる単式蒸留器(ポットスチル)は、一般的に銅板を叩いて成形する鍛造という方法でつくられる。対して、砂などを固めた鋳型に高温で溶かした銅を流し込んで成形する鋳物製のポットスチルとなれば、恐らく世界でも類のないチャレンジだ。その挑戦のパートナーとして白羽の矢が立ったのが、高岡でも随一の技術を持った老子製作所だった。

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三郎丸蒸留所で稼働する初代「ZEMON」。

「最初は稲垣さんと富山県の産業技術研究開発センターの氷見さんがいらっしゃって、簡単な図面のようなものを見せてもらったんです。ポットスチルの形を見れば確かに釣鐘に似ていますし、当社の技術をもってすればそれほど難しいことでもないだろうと。何より我々としても新しいことにどんどん挑戦したいという思いもあって、蒸留器の製造を請け負うことにしたのです」

しかし、老子製作所の技術を持ってしても、世界初となる鋳造製ポットスチルの製造は「苦難の連続だった」と老子さん振り返る。

「普段、我々が手掛けている梵鐘や銅像では外見を重視しますが、蒸留器は当然ながら容器としての性能が重要になります。ですからまずは、私や職人たちの意識改革が必要になりました。鍛造では銅を叩いてカタチをつくっていくので、銅自体の組織の密度が高くなります。対して、鋳型に流し込むだけの鋳造ではどうしても組織の密度が粗くなり、ポットスチルの表面から滲み出るような漏れが出てしまう。そうした失敗を重ねて心が折れそうになったときもありましたが、銅を流す量やスピードを何通りも変えて試すなど、試行錯誤を繰り返して少しずつ完成品に近づけていったのです」

そうして2018年末に完成した世界初の鋳物製ポットスチルに、稲垣さんと老子さんは「ZEMON(ゼモン)」という名をつけた。「ZEMON」とは老子家の当主が代々にわたり受け継ぐ屋号である次右衛門を、富山訛りで呼んだ「じぇいもん」に由来する。

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純銅製を凌駕した、青銅鋳物のメリット

2019年6月には初留釜と再留釜の2基1対が三郎丸蒸留所に導入され、業界の内外から大きな注目を集めた「ZEMON」。ウイスキーの世界の常識に抗って誕生した鋳物製ポットスチルには、実際のところどのようなメリットがあるのだろうか? 三郎丸蒸留所の稲垣さんは次のように説明する。

「ポットスチルは使用しているうちに銅が消耗し、釜の部分の肉厚がどんどん薄くなり、数年毎にメンテナンスが必要になります。従来のポットスチルの肉厚は厚くても5ミリ程度ですが、鋳造でつくる『ZEMON』の場合は厚みが10ミリ以上となり、2倍以上の耐用年数を見込むことができます。また、一つひとつを職人が叩きながら仕上げていく鍛造に比べ、鋳造であれば一つの鋳型をつくれば同じものを大量に製造することも可能です」

特に、高岡では鋳型をつくる原型から鋳造、仕上げや着色といった各工程の分業制が確立していることもあり、数カ月という短納期でポットスチルをつくることができるという。

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硬質ウレタンでつくられたポットスチル上部の原型。この原型を象るようにして鋳型がつくられる。

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世界的なウイスキーブームもあり、現在は日本でもウイスキー蒸留所の新規建設計画が相次ぐものの、ポットスチル製造のリソース不足は一つのボトルネックとなっていた。スコットランドにも日本にも有名な蒸留器メーカーは一社しかなく、受注が集中すると数年待ちという状況になることも珍しくない。短納期の製造が可能なうえ量産も見込める「ZEMON」は、そうした状況を一変させる可能性も秘めたポットスチルなのだ。

とはいえもちろん、何よりも重要なのが「ZEMON」で蒸留されるウイスキーの品質だ。そもそもポットスチルに銅が使われるのは、加工のしやすさや熱伝導率の高さに加え、酒となるモロミや留液の中にある硫黄臭などに代表される不快なフレーバーを、銅が反応して取り除いてくれるからだ。さらに留液に含まれる様々な化合物が銅と接触することで反応し、フルーティな香味の素となるエステルを生成させるともいわれている。

「実は鋳物で純銅を使うのは難しく、『ZEMON』には錫が8%ほど含まれる青銅と呼ばれる銅錫合金を使用しています。焼酎の蒸留器では、熱したアルコール蒸気を冷やして液体に戻す役割をする蛇管の部分に、かつて錫が使われ、酒質をまろやかにしてくれる作用が知られてきました。しかしそうは言っても、青銅(銅錫合金)のポットスチルでウイスキーを蒸留した例はなく、その効果を実証する必要がありました。そこで富山県立大学の協力のもと、板金加工でつくった純銅製とステンレス製、そして鋳物でつくった青銅製の3タイプの小型蒸留器をつくり、それぞれで蒸留した場合の成分や風味の変化を検証したのです」(稲垣さん)

日本酒の鑑評会なども行う酒類総合研究所が行った検証では、銅錫合金の蒸留器に、純銅製の蒸留器と同等かそれ以上の不快なフレーバーを除去する効果があることがわかった。加えて、鋳造のため表面に砂型による微細な凸凹がつく「ZEMON」では、その分だけ蒸気と銅や錫の接触面積が増加し触媒効果により、乳酸エチルやカプリル酸エチル、薔薇のような 香りを持つフェネチルアルコールといった、好ましい香味の素になる成分をより多く生み出すことが明らかになった。

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仕上げ前のポットスチルの表面。砂型による微細な凹凸によって銅と錫の効果が最大限に発揮される。

また、伝統的なポットスチルはヤカンを火にかけるようなイメージで、底部に外から熱を加えることで蒸留を行ってきた。そのため熱伝導性の高い銅が重宝されたわけだが、現代ではパーコレーターと呼ばれる加熱器などをポットスチルの釜部分に設置し、釜の内部から熱するケースが多い。その点、「ZEMON」に使用される青銅は純銅に比べて熱伝導率が約8分の1と低く、熱が逃げにくいため省エネルギーでの蒸留を実現できる。試算では、同じエネルギーでの蒸留量が、従来の純銅製ポットスチルに比べて「ZEMON」では、なんと約88%増にもなるという。

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将来的な蒸留所の拡張にも対応する「ZEMON Ⅱ」

三郎丸蒸留所への「ZEMON」の導入から3年が経ち、今年中には「ZEMON」で蒸留されたシングルモルトの初リリースも予定。その品質には稲垣さんも、「早く皆さんに飲んでもらいたい」と自信を見せる。
飛騨高山蒸溜所での導入が予定されるのは、そんな「ZEMON」にいくつかの改良を施した「ZEMON Ⅱ」だ。

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飛騨高山蒸溜所で使用される「ZEMON Ⅱ」のヘッド部分(試作品)。初代「ZEMON」と同様にくびれの浅いランタン型だ。

加熱方式には、初留釜も再留釜も蒸気による間接加熱方式を採用しつつ、初留釜でのみ焼酎の蒸留などで見られる直接蒸気加熱方式を併用。こうした初代「ZEMON」の仕様は飛騨高山蒸溜所でも踏襲される。また、ランタン型の形状や下向きのラインアームなど、ポットスチルの形状も初代とよく似ているが、大きく異なるのがパーツの数だ。

「初代の『ZEMON』では、ポット(釜)の上部と下部、ヘッドとエルボ、そしてラインアームといった5つのパーツを組み合わせて製造していました。対して『ZEMON Ⅱ』では、上下2つにわかれていたポット部分を、さらに上部、胴部、下部の3つに分けてユニット化したことで、胴部の追加によってポットスチルの容量を増やすことができます」(老子さん)

飛騨高山蒸溜所に導入される「ZEMON Ⅱ」は、容量2600リットルの初留釜と容量2200リットルの再留釜の2基1対を予定。蒸留所が軌道に乗り将来的にウイスキーの生産量を増やす場合も、「ZEMON Ⅱ」ならパーツを追加するだけで増産に対応することができる。

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完成を待つ「ZEMON Ⅱ」(試作品)。ポットスチルの下部に見える胴部分のパーツを追加することで、蒸留量を増やすことも可能だ。

昨年、民事再生の手続きを行い、老子製作所としては新たなスタートを切る中で参加した飛騨高山蒸溜所プロジェクト。「ちょうど民事再生を申し立てた頃、稲垣さんから舩坂酒造店の有巣さんを紹介され、『一緒にがんばりましょう』と言ってもらった。新しい蒸留所に我々のポットスチルを選んでもらえることは光栄ですし、飛騨高山蒸溜所で『ZEMON Ⅱ』を使ったどのようなウイスキーができるのか。いまからとても楽しみにしています」と老子さんは話す。

関わる人々の大きな期待を寄せて、動き出す新たなウイスキー蒸留所。次回は来年の本格稼働を控え、竣工中の飛騨高山蒸溜所の様子をリポートしたい。

連載記事

西田嘉孝

ウイスキージャーナリスト

ウイスキー専門誌『Whisky Galore』 やPenをはじめとするライフスタイル誌、ウェブメディアなどで執筆。2019年からスタートしたTWSC(東京ウイスキー&スピリッツコンペティション)では審査員も務める。

西田嘉孝

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