“キング・オブ・ロックンロール”と称され、いまなお世界中で多くのファンをもつエルヴィス・プレスリー。今年は彼の伝記映画『エルヴィス』も公開され、その人気が再燃することは確実だ。今回は不世出のミュージシャン、エルヴィスが愛した数々の名品を紹介する。
エルヴィスの名品① ロックマウントのウエスタンシャツ
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「エルヴィスがいなかったら、ビートルズはなかった」——ポール・マッカトニー
7月1日に日本公開された映画『エルヴィス』。全米では最初の週末興収が約3121万ドルを記録し、大ヒット中の『トップガン マーヴェリック』を抑え、全米興行収入ランキング初登場第1位を獲得している。本年度のカンヌ国際映画祭にも出品され、映画祭史上最長となる12分間のスタンディング・オベーションが巻き起こった。
映画『エルヴィス』を監督したのは『ムーラン・ルージュ』(01年)、『華麗なるギャツビー』(13年)などの作品で知られるバズ・ラーマン。人気絶頂の中、42歳の若さでこの世を去ったエルヴィス・プレスリーの人生を、多くの人が一度は必ず耳にしたことがあるエルヴィスの名曲にのせて見事に描いている。エルヴィスに抜擢されたのは、本連載のデニム編でも取り上げた映画『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(19年)で注目されたオースティン・バトラー。
「この映画は『エルヴィス』という題名だが、トム・パーカーの物語でもある。少なくとも、ある意味ではね。彼はあまり頼りにならない本作の語り手ながら、私たちがこの物語に入るきっかけをつくってくれる」と脚本も手掛けたバズ・ラーマンは語るが、そのトム・パーカー大佐を演じたのは名優トム・ハンクスだ。
【続きはこちらから】エルヴィス・プレスリーがステージ衣裳として着用したウエスタンシャツ
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エルヴィスの名品② ジャラン スリウァヤのヴァンプシューズ
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「エルヴィスの曲を初めて聴いたとき、世界がひらけたんだ」——ボブ・ディラン
オースティン・バトラーがエルヴィス・プレスリーを演じた映画『エルヴィス』を観たほとんどの人たちの印象に残ったのが、彼のピンクと黒のスタイルではないだろうか。
『エルヴィス・プレスリー 世界を変えた男』(東理夫著 文春新書)には、デビュー前、サン・レコードの録音に備えてリハーサルをやったときも、デビュー後、カッツ・ドラッグ・ストアの駐車場でトラックの荷台の上でのライブ演奏でも、彼はピンクに黒のいでたちだったと書かれている。東理夫氏はエルヴィスのピンクと黒のコンビネーションのスタイルをアフリカ系アメリカ人らしい好みだけでなく、その明暗両極の色が生まれてすぐに亡くなった双子の兄と、生き残った自分との象徴ではないかとまで解説している。ちなみに彼が愛したピンクのキャデラック(最初に購入したモデルは外装がピンク、内装が黒と言われている)に代表されるように、ピンクと黒はエルヴィスを語る上で欠かせないカラーだと断言できる。
【続きはこちらから】エルヴィスがピンクと黒のコスチューム合わせた「ヴァンプシューズ」とは?
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エルヴィスの名品③ ハミルトンのベンチュラ
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「20世紀最大に、まったく新しい社会変革を起こしたのが、エルヴィス」——レナード・バーンスタイン
エルヴィス・プレスリーにまつわる名品の中で、必ずと言っていいほど取り上げられるのが、ハミルトンの名腕時計「ベンチュラ」だ。現在は本拠地をスイスに移しているが、ハミルトンはそもそもアメリカ発祥のブランドで、1892年にペンシルバニア州ランカスターにて創業した。ハミルトンの時計が広くアメリカで知られるようになったのは、アメリカの鉄道創成期のころと言われる。当時のアメリカは国をあげて鉄道建設に取り組んでいて、ハミルトンが製作した精密な鉄道従事者向けの時計が、鉄道事故の防止につながったと評判を呼んだという。また航空時計も早くから製作、アメリカ初の定期航空郵便の公式時計にハミルトンの時計が採用された歴史を持つ。
「ベンチュラ」がリリースされたのは1957年。エルヴィスのデビューは1954年だから、アメリカが経済成長と繁栄を謳歌した50年代の同じ時期に登場したという共通点がある。
「ベンチュラ」最大の特徴は、時計のデザインの主流であった丸形や角形という常識を打ち破り、左右非対称、トライアングル型にデザインしたことにあるだろう。ケースと文字盤は9時側に大きくせり出している、まさに唯一無二の形状。それは音楽の常識を超えて新しいサウンドに挑戦し続けたエルヴィスの存在にも似ている。
デザインを手掛けたのは、当時、アメリカナンバーワンのインダストリアルデザイナーで、テールフィンのキャデラックなどをデザインしたことでもよく知られるリチャード・アービブ。ちなみにテールフィンのピンク・キャデラックはエルヴィスがこよなく愛したクルマだった。
【続きはこちらから】エルヴィスがプライベートでも着用。革新的な腕時計、ハミルトン「ベンチュラ」との関係を辿る
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エルヴィスの名品④ バラクータのG9
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「エルヴィスの曲を初めて聴いたとき、世界がひらけたんだ」——ボブ・ディラン
エルヴィス・プレスリーが生涯で出演した映画は33本もある。もちろんすべてエルヴィスが主演している。
『やさしく愛して』(56年)が記念すべき第1作で、最後の2作はライブステージを記録したもの。33作目の『エルヴィス・オン・ツアー』(72年)は、73年のゴールデングローブ賞の最優秀ドキュメンタリー作品賞を受賞している。その前作の『エルヴィス・オン・ステージ』(70年)は、ラスヴェガスのインターナショナル・ホテルのライブ映像をメインにしたもので、世界中で大ヒットを記録し、新たなるエルヴィス・ブームを巻き起こすきっかけとなった作品だ。
エルヴィスが出演した映画でも、60年代後半に制作された多くの作品はマネージャーのパーカー大佐がシリアスな物語を嫌ったせいか、どれも同じような筋立てで、特にラブコメディが多く、評価はそれほど高くはない。58年、エルヴィスは召集され陸軍に入隊する。入隊までに4作、除隊後の60年から69年までは1年に3本のペースで計27本もの映画が制作されたらしいので、粗製濫造に近いものがあったのかもしれない。エルヴィス自身も後半は映画への意欲を失っていたという説もある。
【続きはこちらから】“キング・オブ・ロックンロール”であるエルヴィスが着た、バラクータの名品ジャケット「G9」
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エルヴィスの名品⑤ ブロッシュのポマードとコーム
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「セクシーにしようとは思っていない。自分を表現する方法なんだ」——エルヴィス・プレスリー
エルヴィス・プレスリーの魅力、ファッションを語る上で欠かせないのが彼の独特の髪型に違いない。
『エルヴィス雑学ノート』(前田絢子著 ダイヤモンド社)には、エルヴィスの風貌に変化が見られるようになったのはテネシー州メンフィスでヒュームズ・ハイスクールの3年生になったころと書かれている。「彼はヘアスタイルに凝って、まるで長距離トラック・ドライヴァーのように、もみあげを伸ばして、髪全体をダックテイルに整えた。課外活動でROTC(学生予備役将校訓練部隊)に入っても、髪を切ろうとしなかった」とある。また『エルヴィス・プレスリー 世界を変えた男』(東理夫著 文春新書)でも「その頃の彼は、絶えず髪を櫛けずる落ち着きのない人間と思われていた。だが、彼の髪へのこだわりは、単に長髪への気取りではなかった。それは彼の自己表現だった。自分が他の人間と違う。そのことを彼は長い髪と、独特な色遣いの服装によってあらわそうとしていたのだった」とある。当時、入部したフットボール部ではエルヴィスは髪を切れとイジメにもあったとまで書かれている。エルヴィスがティーンエージャーだった50年代初めは、若者はみんな髪を切り込んだクルーカットにしているような時代だった。そんな時代に独自の髪型で現れたエルヴィスは、まわりから異端児と見られたのだろう。
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エルヴィス・プレスリーのリーゼントヘアはどのようにしてつくられたのか?
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