研究者はなんでもリサーチ対象にしがち。オン・オフを切り替えないのが喜びかもしれません

    Share:

    44 伊藤亜紗|美学者

    各界で活躍する方々に、それぞれのオンとオフ、よい時間の過ごし方などについて聞く連載「MY Relax Time」。第44回は、美学・現代アートを専門とし、人間の身体のあり方を研究している伊藤亜紗さんです。

    写真:河内 彩 構成:舩越由実

    220808_055+.jpg
    伊藤亜紗●1979年、東京都生まれ 。東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長、リベラルアーツ研究教育院教授。MIT客員研究員(2019)。『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社)、『どもる体』(医学書院)、『「利他」とは何か』(集英社)など著書多数。

    いまは3冊の出版物の準備を同時に進めていて、そのひとつが共著『ぼけと利他』です。利他は人に対していいことをしてあげようという行為ですが、「相手が喜んでくれるはず」と自分の価値観を押し付けて踏み込むことでもあるため、相手には喜ばれなかったり迷惑に思われたり、といったこともあります。介護は身体を介した利他的な関係ですが、認知症になると時間間隔や空間感覚、世界の見え方、価値観が私たちとは違うんですね。そういう人と利他の問題を考えることは究極なんじゃないかと思います。

    健常者であることは大雑把に生きていけるということです。たとえば認知症だと、同じ山が毎日違うように見えることがあります。発達障害の人には、葉っぱ一枚一枚の差異が気になってしまう人もいます。でも木々に葉が茂ったら山は大きくなるし、季節が変われば紅葉するし、よく見ると山の姿は毎日違うんですよね。それはセザンヌが見て表現していた山でもあります。健常者は「〇〇山」と名付けて同じ山として認識してしまいます。その大雑把な感覚は、社会をつくる上では必要ですが、それがすべてではないのだと意識する必要もあります。認知症の人や障害をもつ人の感じ方を知ることで、社会をつくっている当たり前のルールが、実は当たり前じゃないと教えてくれるのです。

    220808_148+.jpg

    研究者は、いかにリラックスするかが重要かもしれません。緊張していると、いい発想が浮かびません。だから頭を常にリラックスさせなければいけません。コーヒーショップで執筆することが多いですが、適度にまわりに人がいて関係のない話が聞こえてくるような環境が好きですね。全然違う分野の学会や研究会に参加することもよくしています。自分がもっている思い込みや当たり前を解体し、頭をほぐすための時間です。それは研究者なら常にやっているんじゃないでしょうか。研究者はなんでも研究対象にしてしまうクセがあり、オンやオフを切り替えないのが喜びかもしれません。意識しているのは、オフの時間を作るというよりは仕事のなかに余白をつくること。違う分野の学会に行くことも余白ですし、会議の最初に雑談することも余白です。そう考えると、本来はボーッとした余白だらけの人間なんですよ。

    一方で、なにも考えたくない時もあります。野球が好きで毎日観ていますし、球場にも足を運びます。一家みんな野球好きで横浜DeNAベイスターズのファンなんですよ。でも、野球観戦がオンかオフかと言うと、オンですね(笑)。

    220808_120+.jpg

    「人が溜まる」ことに興味があります。先日、神戸に行った時に阪急神戸三宮駅の駅前にある『さんきたアモーレ広場』がめちゃくちゃよい溜まり方だったんですよ。若者たちが路上に寝ていて、私も横になってみました。たばこを吸う時も人は溜まりますよね。研究者には、こっそりたばこを吸う人も多いのですが、たばこを吸う人は吸う人同士で情報のネットワークができているんですね。

    人間の欲望をどう扱うのか考えるのは面白いですね。たばこは嗜好品で、必要な人もいれば望まない人もいます。個人の人格や精神の輪郭を保つために必要なものはそれぞれです。たとえば夫婦で一方がたばこを吸い、もう一方が吸わない場合、共存するためには分煙方式にするなど最適解を考えるしかないです。多様性の問題は常にそうですね。お互いの折り合いを探し続ける必要があります。一般的にはルールをつくるという選択肢になりますが、衝突を避ける発想ではなく、「これが好きなんだ」と主張しながら、いい衝突をしていくことも共存の在り方のひとつかもしれないですね。

    問い合わせ先/JT
    www.jti.co.jp