フィンランドの自然をガラスに刻む、 イッタラ、タピオ・ヴィルカラのデザイン

  • 写真:泊昭雄
  • スタイリング:大星道代
  • 編集&文:久保寺潤子

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フィンランドを代表するデザインブランドとして知られるイッタラ。長年にわたり多くの作品を手がけたデザイナーの足跡とともに、ブランドの魅力を探る。

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ラップランドの氷が溶ける様子に着想を得た「ウルティマ ツーレ」。イッタラとの40年以上の関わりの中で多くの作品をつくりあげたタピオ・ヴィルカラによるデザインだ。表面と底の独創的な造形は、職人とともに長い時間をかけて生み出された。ウルティマ ツーレ オールドLペア(前列3つ)¥7,700 コーディアル ペア(2列目左)、オールドS ペア(2列目右)各¥6,600/イッタラ

フィンランドでガラス産業は、300年の歴史をもつ最も古い工業のひとつである。日本でもよく知られるイッタラはフィンランド南部にある同名の村で、1881年、ガラス工場を建設したのが始まりだ。当初はヨーロッパスタイルに倣い、吹きガラス、型押しガラス、磨きガラス、彩色・彫刻ガラスを製作したが、20世紀初頭、食器にさまざまな装飾が施されるようになると、やがて機能美に重点を置いたスカンジナビアンデザインへと方向転換する。きっかけとなったのは1930年代から40年代に起こったモダニズムの波。当時、イッタラを手がけていたアルヴァ・アアルトやアイノ・アアルト、カイ・フランクらは「デザインはすなわち思想であり、かつ誰にでも手に入るようなものにすべきだ」との哲学を掲げ、これがブランドのコンセプトとなる。

イッタラが46年に協賛したガラスデザインのコンペで、カイ・フランクを抑えて一等を取ったのは、まだ無名のタピオ・ヴィルカラだった。バルト海に突き出た半島に位置するハンコという村で生まれたヴィルカラは、漁師小屋にこもって絵を描いたり釣りをしたりして過ごす孤独な青年だった。33年、ヘルシンキの美術工芸中央学校に入学すると、その後デザイナーとして頭角を現し、ガラスや家具のデザインをはじめ彫刻や都市計画、グラフィック、フィンランド国庫紙幣のデザインなどを手がけ、マルチな才能を開花させた。

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タピオ・ヴィルカラ(1915~85年)。ガラスのテーブルウェアから家具、彫刻、工業製品、紙幣や記念切手まで、生まれ育ったフィンランドの自然をモチーフに、多彩なデザインを手がけた。

流れるような曲線でキノコを表現したガラス作品『カンタレッリ』、森をテーマにした彫刻ガラスなど、ヴィルカラの作品は森と氷に閉ざされたフィンランドの自然を彷彿とさせる。「すべての素材には独自の不文律があり、人は扱う素材の不文律を決して侵してはならない」と語ったヴィルカラ。その仕事ぶりはスケッチに始まり、型をつくり、すべての制作過程に立ち会うという徹底したものだった。彼は代々工房で働く熟練の職人に交じって自らガラスを研ぎ、ダイヤモンドで吹きガラスの表面を彫る作業を学んだという。

長年イッタラのアートディレクターを務めたヴィルカラは、実に400以上ものガラス作品をつくり、「ウルティマ ツーレ」シリーズや「タピオ」シリーズなど、世界中で愛される名作を残した。名実ともに国を代表するデザイナーとなったヴィルカラだが、60年代に入るとラップランドに古民家を購入し、人里離れた自然の中で多くのインスピレーションを得た。

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左:フィンランドには氷河で削られて形成された湖と多くの森が点在する。 右:さまざまに変化する水の表情は、デザイナーのインスピレーション源。 Photo by Anton Sucksdorff

芸術家、技術革新者、職人、工業デザイナーであったヴィルカラ。彼の発想の源は、神話が息づく北欧の森や、風や水が石や流木を侵食して形作る自然の景観にあった。その想いはいまもイッタラの職人たちによって受け継がれているのだ。

問い合わせ先/イッタラ公式サイト