唯一無二のスタイル、ガブリエル・シャネルというデザイン。『ガブリエル・シャネル展 Manifeste de mode』が開催中

  • 写真:大河内禎
  • 文:川上朋子

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控えめな装飾、白黒の世界といったシャネルのコードを元にした空間に、オートクチュールコレクションが並ぶ。均一性を持たせるためにマネキンも同じものをオリジナルで作成。そうすることで、1910年代から彼女が亡くなる71年までに製作した作品が、一貫した原則のもとにデザインされていることが明確に伝わってくる。

現在、三菱一号館美術館ではシャネルの展覧会が開催中だ。偉大なる女性デザイナーの哲学をいまこそ体感しよう。

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ガブリエル・シャネル●1883年、フランス・ソミュール生まれ。施設で育ち、1910年に帽子店を開く。その後、ドーヴィル、ビアリッツに相次いで店を開き、18年、ついにパリ・カンボン通り31番地にクチュール・ハウスを構える。常に時代の先駆者として君臨、71年に死去。 Coco Chanel, couturière française. Paris, 1936. © Lipnitzki/Roger-Viollet/amanaimages

1910年、パリに開いた小さな帽子店から、ガブリエル・シャネルの伝説は始まった。今回、東京の三菱一号館美術館で開催中の『ガブリエル・シャネル展MANIFESTE DE MODE』では、20世紀を代表するデザイナー、ガブリエル・シャネルの仕事にフォーカス。日本初の本格的な回顧展で、シャネルのスーツの原型となった20年代につくられた服や彼女自身が愛用したコスチュームジュエリーなど130点以上の作品が、在りし日の彼女のものづくりへの哲学を雄弁に語っている。

修道院併設の孤児院で過ごした少女時代。そこで洋裁の技術を習得したガブリエルは、昼はお針子、夜はキャバレーで歌い生計を立てる。その店で出会った紳士たちの装いからヒントを得て、彼女がつくったシックな帽子は次第に人気を集め、自らの店舗を構えるまでに。派手な飾り付けをしないシンプルで軽く、実用的な帽子。世紀初頭、コルセットで身体を締め付けて、大きくて重い帽子を被っていた女性たちにとって、シャネルはまさに救世主だった。

「シャネルはあの時代、着心地の良さを求めた特異なデザイナーです。自らも女性であるシャネルは軽くて実用性のある服をつくり、まずは自分が着てみるのです。シンプルで機能的、そして上品でモダンな彼女の服はやがて〝スタイル〞を生み出します」とは、この回顧展の監修を務めたガリエラ宮パリ市立モード美術館のコレクション部長、ヴェロニク・ベロワール。

シャネルは華美な装飾に背を向け、抑制された中に洗練されたエレガンスを見出していく。その大きなきっかけの一つは、紳士服との出合いだ。親しくしていた男性たちが愛用していたテーラードスーツやツイード素材。そこに閃きを得たシャネルは、紳士服のアイテムや素材をレディスウエアに落とし込むことを思い付く。もちろん、そこにはオートクチュールの技法を駆使した、シャネルならではのやり方があった。

「男性のエレガンスに興味があったのだと思います。それを理解し再解釈することで、まったく新しいレディスウエアが誕生した。紳士服のデザインや素材、ディテールを記号化し、自らのビジョンに取り込む。そしてそれを形にするデザイン力が、ずば抜けていた。それが彼女の強みです」

特にスーツは、シャネルがキャリアの前半から注力してきたキーアイテム。カーディガンのように軽い着心地のジャケットは当時裏地を付けず、軽くても美しいシルエットを保つため、裾にチェーンを忍ばせた。

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テーラードのジャケットとスカート 1956-57年 京都服飾文化研究財団/男性服の象徴であるミリタリーのディテールを女性らしくアレンジ。

「シャネルの場合、アイコニックなアイテムがあまりに多くその強い存在感にものづくりの背景が霞んでしまっていると、今回の回顧展に携わって気付きました。私自身、この準備で膨大な数の彼女の作品に触れ、考え抜き研ぎ澄まされたデザイン、緻密なバランス、そして本当に妥協のないていねいな仕事の数々に驚きました。シャネルは自分が決めた原則を守るために、揺るがずまったく手を抜かない。だからこそ、彼女がつくり出したスタイルは永遠なのです」

年間の空白の時間を経てガブリエル・シャネルは1953年、再びクチュール・ハウスを再開させる。ジャン・コクトーやサルバドール・ダリなどの芸術家、そして作曲家のストラヴィンスキーなど、歴史に名を残すアーティストとも親交が深かったシャネルは、表舞台から姿を消していた時にも刺激的な日々を過ごしていたに違いない。そして満を持して、彼女がモードの最前線に戻ってきたのは、折しも、ディオールが発表したニュールックが台頭していた頃。再び、女性たちの身体は、洋服の形に嵌め込まれ、自由を失っていた。

「それでもシャネルはトレンドに擦り寄ることはありませんでした。着心地が良く、動きやすいデザインで勝負し、いまではメゾンの象徴になっているツイードのスーツはこの時代に完成されます。そこからもわかるように、シャネルは初期から亡くなるまで、その哲学にブレがありません。ルールを重んじた自由なクリエイションこそ、シャネルが現在も唯一無二の存在となっている理由なのです」

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香水「シャネル N°5」1921年 パリ、パトリモアンヌ・シャネル/シンプルで直線的なラインが特徴の香水「シャネルN°5」のデザイン。シャネルが親しくしていた男性たちが愛用する、お酒を入れるフラスクボトルがヒントとも言われている。

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シャネルのコードを体現する、ストイックな展示空間

紳士服が出発点のシャネルのスーツ

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男性のワードローブからアイデアを拝借したシャネルのスーツ。軽くてカラフルなツイードを使い、短くした袖はブレスレットを目立たせるため。ボタンにハンドペイントを施すなど、シンプルな見た目に反して、彼女のこだわりとクチュールの技が詰まっている。

モード界ではタブーの黒を現代的な解釈で

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イヴニング・ドレス/1917-19年頃 パリ、パトリモアンヌ・シャネル

当時は喪服の色だった黒。モード界では敬遠されていた色を女性のドレスに採用したのも、またシャネルだった。シルクとビーズ刺繍というテクスチャーの違う黒を組み合わせ、豊かな表情を描き出す。シャネルが提案する新しい黒は、当時の女性たちにも受け入れられ、モダニティのシンボル「リトル・ブラック・ドレス」が誕生した。

下着の素材でつくった快適なドレス

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ドレスとジャケットのアンサンブル/1922-28年 パリ、パトリモアンヌ・シャネル © Julien T. Hamon

伸縮性に富んだジャージー素材をレディスウエアに取り入れたのもシャネルの功績。やわらかく快適な素材でドレスやセーターをつくった。もともとは下着に用いられていたシルクジャージーをラグジュアリーウエアとして昇華。

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アクセントとしてのジュエリー

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左:シャネルのクリエイション、ロベール・ゴッサンス製作 1960年代 パリ、パトリモアンヌ・シャネル/クロスのペンダントトップ 右:シャネルのクリエイション、ロベール・ゴッサンス製作 1960年代 パリ、パトリモアンヌ・シャネル/ラストロン(胸飾り)、獅子座のシャネルはライオンのモチーフも好んだ。

シンプルな装いを好んだシャネルだが、ジュエリーは別。ハイジュエリーとコスチュームジュエリーを組み合わせた独自の世界を確立。

女性らしいバッグもひらめきは男性から

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「2.55」バッグ 1955-71年 パリ、パトリモアンヌ・シャネル © Julien T. Hamon

アーミー用のダッフルバッグが着想源のアイコン「2.55」バッグ。エレガントなボリューム感を演出するため競馬場で見た競走馬の調教師が着用していたキルティング模様を採用することを思い付く。ショルダーストラップを付けることで、それまでクラッチバッグで塞がっていた女性たちの手を解放した。

生涯、一貫した美学・原則を追求

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1953年、再びコレクション制作を再開。スーツはもちろん、イヴニングドレスのデザインにも注力した。彼女の原則に従い、華美な装飾に頼ることなく控えめで洗練されたドレスは、纏う女性自身の魅力を際立たせた。

『ガブリエル・シャネル展 Manifeste de mode』

開催期間:開催中〜9月25日 
開催場所:三菱一号館美術館
東京都千代田区丸の内2-6-2
TEL:050-5541-8600(ハローダイヤル)
開館時間:10時〜18時 ※祝日を除く金曜、会期最終週平日、第2水曜は21時まで。入館は閉館30分前まで。
休館日:月曜 ※月曜が祝日の場合、8/15、8/29は開館
入館料:一般 ¥2,300
https://mimt.jp/gc2022

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※この記事はPen 2022年9月号より再編集した記事です。