ウルトラマンはどのように生まれ、ブームとなったのか? 原点「ウルトラQ」と「ウルトラマン」制作秘話

  • 文:幕田けいた
  • 画像提供:円谷プロダクション

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いま、誰も見たことのない新しいウルトラマンが飛び立とうとしている。映画『シン・ウルトラマン』は、ウルトラマンのデザインコンセプトをはじめ、オリジナルへの回帰が謳われているが、そもそも初代「ウルトラマン」はどのように始まったのか? 

テレビ放送された1966年から半世紀以上にわたり愛される、名作の原点を振り返ろう。現在発売中のPen 6月号『ウルトラマンを見よ』特集から一部を抜粋して紹介する。

「ウルトラQ」

映画の特殊撮影技術をテレビに導入し生まれた、伝説的なSF怪獣番組

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新番組発表会見の1コマ。左端が円谷英二。主人公を務める3人、佐原健二、西條康彦、桜井浩子とともに、カネゴンやガラモンなどの怪獣も。

1954年に公開され、日本の映画史に名を刻んだ特撮怪獣映画『ゴジラ』。その特殊技術を手がけたのが、「特撮の神様」と称される円谷英二だ。彼が特技監督を務めた特撮映画は、国内外でいずれも大ヒットを記録したが、日本における映画の観客動員数は58年の約11億人をピークに減少傾向を迎える。背景には、同時期から家庭へのテレビ普及率が増加していくという事情があった。

この傾向は、映像先進国のアメリカでは10年前から始まっていた。大手映画会社が市場を独占するスタジオ・システムが違法とされ、資金繰りに影が差し始めた時期から、テレビドラマが大きく躍進し始めたのである。そのため日本のテレビ放送では、創成期から西部劇「ローハイド」、SFドラマ「空想科学劇場アウターリミッツ」などの秀逸なアメリカドラマが大量に輸入されたのだった。

この状況にいち早く着目した円谷英二は、63年に「円谷特技プロダクション(現・円谷プロダクション)」を本格的に始動させ、TBSでテレビ第1作目となる「ウルトラQ」の制作に乗り出す。

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印象的なタイトルロゴ。絵具を洗濯機モーターで撹拌した映像を逆回転させたアナログ特撮だ。

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幻のタイトル案「アンバランス」は、アメリカのSFドラマを意識!?

当時はまだ、テレビは映画より格下と思われていた時代。映画の本格的な特殊効果技術を導入したドラマは皆無だった。当然、体制や方法論も未知数。そこに果敢にチャレンジしたのが、英二が育てた東宝の特撮スタッフたち、新たなテレビ業界を活躍の場に選んだ若手俳優たち、そしてTBSから出向してきた気鋭の演出陣だ。

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「ウルトラQ」の制作風景。集まったスタッフたちは、新時代を切り拓こうとする熱気にあふれていた。

「ウルトラQ」の物語は、航空パイロットとその助手、新聞社の女性記者兼カメラマンの主人公3人がさまざまな怪事件に遭遇するというもの。撮影は64年にスタートし、66年1月の放送開始時には、全28話すべてが完成していた。

当初はアメリカの人気ドラマ「ミステリーゾーン」を意識したSFサスペンスとして企画された「ウルトラQ」だったが、TBSの意向で「怪獣路線」へと舵を切る。当初の企画タイトルが「アンバランス」だったように、「自然界のバランスが崩れたら」というテーマのもと、ユニークなデザインの怪獣や近未来感を加えた空想特撮シリーズは、社会現象ともいえる空前のブームを巻き起こす。それまで年に数本しか公開されなかった怪獣映画が、毎週“タダ”で観られるのは、まさに大事件だった。

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「ウルトラマン」

怪獣を活かしながら、カラー作品を意識した待望のヒーローが登場

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ウルトラマンのスーツは、スーツアクターである古谷敏(びん)の体型に合わせて造形された。円谷英二(右)もたびたび撮影現場に訪れた。奥にはバルタン星人の姿も。

世に怪獣ブームを巻き起こした「ウルトラQ」だが、放送開始前には全話の撮影が終了していたため、約半年で放送は終了。その人気を受けて直後にスタートしたのが、「ウルトラマン」だった。

その企画自体は、65年の夏に始動している。翌年1月からの「ウルトラQ」の放送がほぼ決定したことを受け、TBSのプロデューサー・栫井巍(かこいたかし)と円谷プロの企画文芸室長であった金城哲夫が主導となって、怪獣の要素を活かしながら、正義のヒーローと人間が協力して困難に立ち向かうというアイデアが練られた。

新企画に盛り込まれたのが、怪獣と戦うヒーローを登場させるほか、怪獣や宇宙人が出現した際にスーパーメカを使って対処する防衛チーム、「科学特捜隊」だ。怪獣退治の専門家という組織を置くことで、物語の構図をわかりやすくするとともに、テンポよくストーリーを進めることに成功。この設定は、後々まで受け継がれるシリーズの礎となる。

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第1話放送の前週に、ウルトラマン前夜祭「ウルトラマン誕生」が公開録画中継で放送された。

企画案でもうひとつ大きなポイントだったのが、モノクロだった「ウルトラQ」に対し、「ウルトラマン」はカラーで制作するということ。身長40m、体重3万5000トンというウルトラマンの設定とともに、目を引いたのが赤や銀の配色だ。これは「戦い」と「宇宙」を表すものであったが、ウルトラマンをデザインし、本作の美術総監督の役割を担った成田亨は、ヒーローを「秩序」と位置づけ、余計なものを削ぎ落とす手法により、シンプルで未来的なデザインを生み出した。科特隊のアラートオレンジの制服と合わせ、当時のカラー受像機での発色を考慮したものであったという。

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最高視聴率は42.8%を記録し、天井知らずの人気に

その物語は、科学特捜隊のハヤタ隊員が専用機で謎の飛行物体を追跡中に、赤い球体と衝突し事故死してしまうところから始まる。赤い球体の正体は、M78星雲・光の国出身のウルトラマン。宇宙の墓場へ護送中に逃亡した、M35星の凶悪な宇宙怪獣ベムラー(青い球体)を追って地球までやって来たところだった。ウルトラマンは、ハヤタに自分の命を与えて一心同体となり、地球の平和を守るために戦うことを決意する。

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66年7月17日に「ウルトラマン」の放送がスタート。カラー番組は多くの視聴者を熱狂させた。記念すべき第1話「ウルトラ作戦第一号」で怪獣ベムラーと戦うウルトラマン。

満を持してスタートした「ウルトラマン」の第1話視聴率は34.4%。いかに子どもたちの期待が高かったかを表す数字である。66年7月からスタートし、翌67年4月に最終回を迎えるまで、ブームはさらに過熱し、最高視聴率は42.8%を記録。人気は天井知らずであったが、一話一話こだわって良心的な作品を送り出してきた制作現場は、既に限界を迎えていた。円谷プロとTBSは断腸の思いで終了を決断。半年間の準備期間を経て「ウルトラセブン」へとバトンは渡され、今日まで続く人気シリーズとなった。

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※この記事はPen 2022年6月号「ウルトラマンを見よ」特集より再編集した記事です。

ウルトラマンはどのように生まれ、ブームとなったのか? 原点「ウルトラQ」と「ウルトラマン」制作秘話

  • 文:幕田けいた
  • 画像提供:円谷プロダクション

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