「アナキズム」を手がかりに社会の問題を生活者目線で考える

  • 文:今泉愛子

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『くらしのアナキズム』松村圭一郎 著 ミシマ社 ¥1,980 松村圭一郎は1975年、熊本県生まれ。岡山大学文学部准教授。専門は文化人類学。『うしろめたさの人類学』(ミシマ社)で第72回毎日出版文化賞特別賞を受賞。著書に『はみだしの人類学』(NHK出版)などがある。

【Penが選んだ、今月の読むべき1冊】

著者の松村圭一郎は本書で、自身が研究を続けてきた人類学の視点から国家のあり方を考える。手がかりとしたのは、アナキズムだ。

アナキズムは、革命を目指した運動や思想と結びつけられることもあるが、松村の指すアナキズムはそれとは一線を画している。そもそも人類にとっては国家がない状態が初期設定(デフォルト)であり、現代にもその状態が息づいていると考えているからだ。

確かにいまの日本では、政治家に期待する気持ちは薄い。政治と暮らしとの間に大きな隔たりがあるのだ。なぜこうなったのかを松村に訊いた。

「選挙で国の代表を選び、政治をすべて任せることがあまりに常識になってしまったからではないでしょうか。特に政治的な問題が『国』を主語にして語られることで、問題が大きくなりすぎて、『難しいことはよくわからない』『私にできることなんてない』と選挙にすら行かなくなっています」

“国”を主語にすることの問題点とは? 「たとえば、少子化は日本の国レベルで起きている社会問題のように語られますが、現実には、結婚したくてもいい出会いがなく結婚できない人、不妊に悩む人、子どもの将来の教育費を考えて躊躇する人など、異なる問題を抱える無数の個人がいて、できることはそれぞれ違うんです」

ところが、政府や専門家が語る「少子化」は一般化されていて、実感に乏しい。

「生活者目線で問題に向き合うと、解決のためになにができるかと当事者意識をもって考えるようになります。そこで、法制度や行政のサポートが必要だと気づいて、政治との接点が生まれるのです。問題は生活の中にあり、政治もその生活の中にあります」

彼は本書で、目の前の問題を解決する力を私たちがもっていると説く。当事者として生きることの大切さを考えさせられる一冊だ。

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