来年から日本では買えない! 1920年創業、米アウトドア界の名門エディー・バウアー

  • 写真&文:小暮昌弘

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「米カジュアル衣料大手のエディー・バウアーが、2021年12月までに日本から撤退」。こんなニュースが先週流れた。

いやいや、エディー・バウアーはアメリカを代表するアウトドアブランド。単なる“カジュアル衣料”ブランドではないと思っても、最近の品揃えを見れば、一般の人、あるいはマスコミ関係の人にとっては、そういう認識だったのかなと、驚きとともに、残念な思いが……。

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マイ・ファースト・エディー・バウアーはこのバッグ。日本上陸前の70年代、当時、原宿のビームスが入っていたビルの2階にアメリカ製品を集めた雑貨店があり、そこで買い求めた。並行輸入品だろう。キャンバスの素材に革のトリミング。ベルトなどがナイロンという組み合わせが独特だった。
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背面にネームタグが付いているのは旅行用を意識してか。このバッグにはモデル名もあった記憶があるが、忘れてしまった。

エディー・バウアーについて詳しく知らない方のために同ブランドの歴史を書いておこう。

創業は1920年。ハンターであり、フィッシャーマンであったドイツ系アメリカ人、エディー・バウアーがアメリカのシアトルで自分の名を冠したスポーツ用品店を開業したのが始まりだ。創業者がアウトドアーズマンという点はL.L.ビーンにも似ていて、80年代の雑誌では「東のL.L.ビーン、西のエディー・バウアー」とよく比べられていた。

東のL.L.ビーンは、ビーンブーツやトートバッグなど、多くの製品が実用品に徹していたのに対して、西のエディー・バウアーは同じアウトドアブランドでも匂いが違っていた。私が初めてエディー・バウアーのショップを見たのは1988年だったと思う。サンフランシスコのユニオンスクエア近くにあったエディー・バウアーはまるでトラッドショップのような堂々とした佇まい。ブランドマークが描かれた大きなガラスのウィンドウ、マホガニーの木材をふんだんに使ったインテリアで、多彩な品揃えや雰囲気に圧倒された覚えがある。

同ブランドの製品でいちばん有名なのが、ダウン=羽毛を使ったジャケットだろう。エディー・バウアー本人が釣りに出掛けた際に寒さで凍死寸前になり、最高の防寒着をつくろうと、1936年に「スカイライナー」というダウンジャケットをデザインした。アメリカで初のダウンウエアで、特許も取得しているという。アメリカ初のエベレスト登頂や北極探検などにも使われ、「ダウンならエディー・バウアー」と言われるほどのアイコン的なアイテムになった。ずいぶん後になってから私も復刻モデルのスカイライナーを購入したが、どうにもフィッティングが合わず、手放してしまった。いまも復刻されているが、さっそくホームページをチェックしたら、ほとんどがサイズ切れになっている。私のように「あれ、買っておこう」と思う人も多いのだろう。

70年代に私がこのブランドを知った頃は、「オールパーパスジャケット」というMA-1に似たダウンジャケットがファション好きから人気を集めていた。ロクヨンクロスの中にたっぷりと羽毛が入り、モデル名の通り、どんなスタイルにも合ってしまうジャケット。親友が先に買ってしまったので私は購入を断念したが、まさに名品だった。あれも復刻してもらいたいとずっと思っていたが、それももはやそれも叶わぬ夢になってしまった。

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私が買ったエディー・バウアーのダウンジャケットはもう手元にないが、妻が80年代に購入したダウンジャケットはまだ現役。ジャパン社が出来る前の製品と記憶している。女性向けだからかもしれないが、ダウン量も少なめで、着やすい。襟や袖に入ったストライプもどこか洒落ている。

羽毛を使った製品で有名だったエディー・バウアーだったが、サンフランシスコのショップは自社製品以外のものも販売されていた記憶がある。ハンティングやフライフィッシングはそれぞれ専門のブランドの製品が販売されていたし、同じシアトル生まれのフィルソンのヴァージンウールのハンティングジャケット、ウィスコンシン州で19世紀に創業した名品であるラッセルモカシンのスネークブーツなども並んでいた。いわばセレクト型のアウトドアショップといった感じだった。私は見た経験はないが、ヘミングウェイが通ったニューヨークのアバークロンビー&フィッチの雰囲気に近かったのではないだろうか。

イラストレーターの小林泰彦が著した『ヘビーデューティーの本』(ヤマケイ文庫)を読むと、1971年には既に創業家を離れてアメリカの食料品会社、ゼネラルミルズの手に渡っている。ファッション性は加わっているが「ヘビーデューティー精神は撤退していない」とある。それでも小林は「名店にへんになよなよした流行品はいらない」と書いている。その後エディー・バイアーはドイツ系のオットーグループなど、いくつかの会社が経営し、現在のような衣料中心の品揃えになったというわけだが、巨大マーケットを相手にするアメリカではそれも致し方ないことなのかもしれない。

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いつ頃かは忘れたが、ニューヨークのエディー・バウアーでお土産にと購入した女性用の腕時計。映画の舞台になったF .A.O.シュワルツ近くにエディー・バウアーのショップがオープンした時には「西のエディー・バウアーがついに東海岸に進出した」とすぐに商品チェックに行った覚えがある。

2010年頃だろうか。イギリスのデザイナー、ナイジェル・ケーボンがエディー・バウアーと組んでダウンウエアを製作したことがある。コラボの話をもちかけたのはナイジェルから。しかし同社には歴史的な製品がほとんどアーカイブされておらず、ナイジェルが昔から集めていたエディー・バウアーのダウンジャケットをベースにデザインしたと彼から聞いた。アーカイブの価値に気付いて慌てて会社側がEベイなどを使って昔の製品を集めているとナイジェルは笑っていた。

会社の経営は簡単に引き継ぐことはできても、歴史を引き継ぐことはそんなに容易なことではない。まさにそんな話ではないだろうか。ともかく来年からはエディー・バウアーの製品は日本では買えないことになった。それならば気になる商品があった場合は、アメリカから個人輸入するしかない。でもそれもいい。70年代、憧れのアメリカ製品はいつもそうして手に入れていたのだから……。

小暮昌弘

ファッション編集者

法政大学卒業。1982年から婦人画報社(現ハースト婦人画報社)に勤務。『25ans』を経て『MEN’S CLUB』に。おもにファッションを担当する。2005年から07年まで『MEN’S CLUB』編集長。09年よりフリーランスとして活動。

小暮昌弘

ファッション編集者

法政大学卒業。1982年から婦人画報社(現ハースト婦人画報社)に勤務。『25ans』を経て『MEN’S CLUB』に。おもにファッションを担当する。2005年から07年まで『MEN’S CLUB』編集長。09年よりフリーランスとして活動。