旧宮邸で味わうアール・デコの華、東京都庭園美術館「幻想絶佳:アール・デコと古典主義」

  • 写真:江森康之
  • 文:青野尚子
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週末の展覧会ノート 07:昨秋、リニューアルを果たした東京都庭園美術館。皇族朝香宮の邸宅として建てられた名建築を舞台として、知られざるアール・デコの世界を紹介する展覧会が開催されています。

ストーリー展開のあるインテリア

旧朝香宮邸をもとにした、東京都庭園美術館本館。
東京都庭園美術館は1933年に完成した旧朝香宮邸を美術館にしたものです。朝香宮、鳩彦王は22年にフランスに留学しましたが交通事故に遭い、25年まで長期滞在することになりました。当時のフランスでは25年に「アール・デコ博」が開かれるなど、アール・デコが花盛り。日本に戻った朝香宮夫妻はフランス人芸術家、アンリ・ラパンに自邸の主要な部屋の内装設計を依頼するなど、アール・デコのエッセンスをとりいれた邸宅造りを始めたのです。完成から80年、現在は美術館として活用されていますが、かつての面影を残す建物となっています。
本館1階、アンリ・ラパンのデザインによる「香水塔」。
関さんの説明に耳を傾ける青野尚子さん。
今回の展覧会ではラパンらによるアール・デコの建物自体も見どころのひとつ。
「アール・デコを代表するデザイナー、アンリ・ラパンにアール・ヌーヴォーの頃から活躍していたルネ・ラリックも協力したこの建物はフランスにも例のない、価値のある建物だと思います」と語るのは、今回の展覧会を担当する、東京都庭園美術館の学芸員、関昭郎さん。
たとえば本館1階、エントランスを入ってすぐのところにある、「香水塔」と呼ばれるセーヴル磁器が置かれた「次室」もラパンの手によるものとされています。「香水塔」は上部の照明部分に香水をたらし、照明の熱で香りを漂わせていたそうです。アロマ・ポッドの大きなものと考えればいいでしょうか。壁や柱は、漆や人造大理石の黒と朱で彩られています。
「アール・デコの特徴の一つ、エキゾティシズムの表れですね」と関さん。日本でのプロジェクトなので、日本らしさを意識したのかもしれません。
ラパンの壁画で彩られた小客室。
森林の風景の一部に、水の流れが銀で描かれている。
上の2枚の写真、「小客室」の壁画もアンリ・ラパンによるものです。川が流れる森林の風景に橋などの建造物が小さく描かれています。基本的には単彩ですが、一部に銀で水の流れなどが表現されています。
「この『小客室』と、香水塔がある次室の隣にある『大客室』、前のページに出てくる『大食堂』の壁画はすべてラパンによるものですが、彼はこの3つを一続きのものとして考えていたのではないかと思います。『小客室』では森、『大客室』では邸宅の屋敷内、『大食堂』ではどこかのテラスからの眺めというように、少しずつ描かれるものとの距離が近くなってきています。色彩もモノクロームの『小客室』からカラフルな『大食堂』へと変化していきます」
建物の中を進むごとにより親密な雰囲気が醸し出される。ラパンはそんなことも計算していたのかもしれません。

生活を彩るアール・デコの香り。

モーリス・ドニの『トレストリニェルの岩場』1920年 埼玉県立近代美術館
上の写真で2人が眺めているモーリス・ドニの『トレストリニェルの岩場』は、ドニがブルターニュで購入した別荘から見える海岸から着想した絵画です。
「ドニは『アール・サクレ運動』という、美術家の宗教芸術への参加をすすめ、教会に宗教的な壁画を描く運動を主導していた画家です。彼はセザンヌなどから学んだ古典的な手法をポジティブにとらえ、理論化しようとしていました」と関さん。
コティ社 香水瓶『アンブル・アンティーク』ルネ・ラリック 1910年 箱根ラリック美術館
ドニの絵が掛けられた「大広間」に展示されているルネ・ラリックの香水瓶には「アンブル・アンティーク」、古代の琥珀というタイトルがつけられています。そこに描かれた古代ギリシャ風のモチーフは当時の流行です。ラリックは、アール・ヌーヴォーの時代にはジュエリーデザイナーとして活躍しましたが、この香水瓶はフランスの香水商、フランソワ・コティの依頼でつくられたもの。コティの香水はラリックのこの美しい瓶で、一躍人気となりました。
ラパンをオマージュした、「大食堂」の展示。構成:太田はるの(CARRE BLANC)
「大食堂」は庭に向かって大きく張り出した半円形のスペースが印象的です。上の写真で右手に見える黒いサイドボードと手前のテーブルや椅子、肘掛け椅子はフランスを代表する鉄工芸家として活躍し、旧朝香宮邸の内装にも関わったレイモン・シュブによるもの。テーブルの上にはラリックのガラス器とクリストフルのカトラリー、そして日本の大倉陶園の磁器が並んでいます。
左手のガラスケースに入った白い花瓶のようなオブジェは、アンリ・ラパンがデザインした照明です。いずれもこの展覧会のために特別にセッティングされたものですが、あたかも朝香宮夫妻が毎日使っていたかのように、しっくりと空間に馴染んでいます。

古典とモダンの華やかな融合。

右は『弓をひくヘラクレス(習作)』エミール=アントワーヌ・ブールデル 1909年 国立西洋美術館(松方コレクション)、上は「キャビネット『戦車』の中央モティーフ下絵」モーリス・ピコのデザインからジャック=エミール・リュールマンによる写し 1910年頃 30年代美術館(ブーローニュ=ビヤンクール)、左は『キャビネット』ジャック=エミール・リュールマン 1922‐23年頃 モビリエ・ナショナル(パリ)
キャビネットに施された花の装飾。
上の写真、左はジャック=エミール・リュールマンのキャビネット、その上に掛けられているのはキャビネット「戦車」の中央モティーフの下絵(モーリス・ピコのデザインからのジャック=エミール・リュールマンによる写し)、右はエミール=アントワーヌ・ブールデルの「弓をひくヘラクレス」の習作です。リュールマンはパリ市商工会議所の内装や、首相となるアンドレ・タルデューの館を手がけ、レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエや同勲章のオフィシエを受章するなど、国民的なデザイナーとして活躍しました。
「キャビネットには鉢に盛られた花というモティーフと曲線的な脚という古典的なデザインが採用されていますが、平面的な表現はとてもモダンです」と関さん。
「戦車」のモティーフをデザインしたピコはリュールマンとも協働しており、このキャビネットも実際に制作されました。ブールデルのヘラクレス像は1925年のアール・デコ博にも縮小版が展示されています。古代ギリシャ彫刻に見られる理想的な肉体美、健康美が表現されていて、古典主義のひとつの表れといえる作品です。
アンリ・ブシャールによる、戦場におけるカムフラージュの方法を説いたスケッチブック 。1914-18年 アンドレ・ディリジャン芸術・産業博物館「ラ・ピシーヌ」(ルーべ)
こちらは、ちょっと変わった絵です。戦場で敵に見つからないように見張りをするための装置のスケッチなのです。第一次世界大戦ではアール・デコの画家やデザイナーが戦場へとかり出され、このようなカムフラージュのアイデアを求められました。このスケッチを描いたのは画家、アンリ・ブシャール。イミテーションの木などを使って敵地を偵察する様子などが描かれています。
『葉形双耳花瓶』フランソワ・デコルシュモン 1925年 装飾美術館(パリ)
『花文飾鉢』フランソワ・デコルシュモン 1926年 東京国立近代美術館
上の2枚の写真は、どちらもフランソワ・デコルシュモンがパート・ド・ヴェールという古典的な技法でつくったガラス器です。パート・ド・ヴェールとは鋳型にガラスの粉を詰め、高温で溶かして成形する手法。色の違うガラスの粉を使うことでこのような模様を出すことができます。デコルシュモンは第一次世界大戦前から制作を始め、第二次世界大戦後も活動したガラス工芸家。パリの教会のステンドグラスなども手がけました。

イタリアの古典を学んだフランスの画家たち。

新館の展示風景。
『蛇』ロベール・プゲオン 1930年以前 アンドレ・ディリジャン芸術・産業博物館「ラ・ピシーヌ」(ルーべ) パリ国立近代美術館 ジョルジュ ポンピドゥセンター(パリ)より寄託
東京都庭園美術館はリニューアル工事のため、昨年11月まで休館していました。リニューアルオープンの際、同時にオープンしたのが、現代美術作家の杉本博司がアドバイザーとして参加した新館です。この新館はルイス・カーンが設計した「キンベル美術館」を思わせる、半円形の天井の展示室が特徴。こうして本館とは趣を変えた空間に、今回の展覧会では大戦間期に活躍した国立美術学校出身者を中心とした画家・彫刻家たちを紹介しています。
ふたりが眺めているのは、展覧会のメインビジュアルにもなっているロベール・プゲオンの『蛇』という絵です。プゲオンは「ローマ賞」を受賞し、1919年から1923年までローマのヴィラ・メディチに留学していました。後にヴィラ・メディチ館長やジャックマール=アンドレ美術館の学芸員もつとめています。この絵のタイトルになっている蛇は画面下部に描かれています。
「アダムとイブの物語がモティーフになっているのですが、大きく描かれている3人の人物はいずれも女性で、アダムは馬として表現されています。地面にはクロッカスやヒナギクなど、毒のある花が描かれている。浮き立つような気持ちの半面、嫉妬や怒りにかられることもある恋の両面が描かれていると思います」
奔放に振る舞う女性たちには当時流行した「ファム・ファタル」、男心を惑わす運命の女性像も投影されています。何をしているのかはっきりしない背後のバルコニーの人物も含め、謎の多い絵です。
『思索』 ジャン・デピュジョル 1929年以前 アンドレ・ディリジャン芸術・産業博物館「ラ・ピシーヌ」(ルーべ) 
ジャン・デピュジョルもローマ賞を得てヴィラ・メディチに留学した画家の一人でした。こちらの『思索』という絵には書物を読む女性がページを繰る手をとめて、物思いにふける様子が描かれています。
「ローマ滞在中に結婚した女性をモデルにしています。全体にルネサンス絵画の影響が見られますが、特に背景にはそれが顕著ですね。デピュジョルは、特にルネサンス絵画を学ぶべき古典と考えていたのでしょう」と関さん。

豪華客船の旅を彩る彫刻。

『エロス』アルフレッド・ジャニオ 1921-22年頃 ギャルリー・ミシェル・ジロー(パリ)/アンヌ・ドムーリス・コレクション
アルフレッド・ジャニオもローマ賞受賞者でローマに滞在したことがある彫刻家です。アール・デコ博にも参加し、ノルマンディー号などの豪華客船の内装に関わったことなどで知られるようになりました。上の作品『エロス』はイタリア、特にミケランジェロの浮き彫りなどを彷彿とさせる作品です。
「精神的な愛と肉体的な愛を象徴する2人の女性の組み合わせも、イタリア・ルネサンス絵画でよく描かれたモティーフです」(関さん)
手前に見えるのが、『海神』カルロ・サラベゾール 1935年 個人蔵。右奥は『パラス・アテネ』カルロ・サラベゾール 1925年 個人蔵
上の写真、中央の彫刻は左手に三叉の矛、右手にほら貝を持ち、下半身は魚の尾になっている海神トリトーンです。この彫刻は客船ノルマンディー号の後部デッキを飾る全長7mの彫像の模型としてつくられたもの。しかし、現実的には重すぎて彫像は実現せず、こちらの小さな像だけが残りました。
右奥に見える彫刻は、1925年のアール・デコ博に出品された彫像の縮小版です。モティーフとなっているアテネはギリシャ神話の女神であり、知性や芸術の象徴ともなっています。近代的な知が物質文明を凌駕するといった意味合いが込められています。
昨秋のリニューアルで誕生した、新館の展示室全景。
上の写真は、新館の展示室全景。アール・デコの装飾が施された本館とは対照的な、シンプルでミニマルな空間です。新館へのアプローチには本館のルネ・ラリックの扉に呼応するような、波形のガラス壁があしらわれました。この新館では展示のほか、音楽やパフォーミングアーツの上演もできるように設計されています。歴史あるアール・デコの空間に新しく加えられた静かで主張しすぎない空間が、アートの新しい顔を見せてくれます。(青野尚子)