ウォーホルたちの名作に目が眩む、アメリカン・ポップ・アート展。

  • 写真:江森康之
  • 文:青野尚子

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週末の展覧会ノート Book 01:コレクターから見た、アメリカン・ポップ・アートのスター

この展覧会は日本人のキミコ・パワーズさんとアメリカ人のジョン・パワーズさん夫妻が集めたポップ・アートのコレクションで構成したもの。1960年代以降、夫妻はレオ・キャステリ画廊などを通じて彼らの作品を購入するだけでなく、個人的にも交流していました。「ジョン・パワーズさんは美術書専門出版社を経営していた友人すすめで現代美術に興味をもち、コレクションを始めたそうです」と南さん。パワーズさんのコレクションにはアメリカのポップ・アートのホットな歴史を物語る、重要なピースがたくさん含まれています。これまでもこのコレクションをキミコさんの故郷、日本で展示しようというプランがありましたが、いままで実現はしませんでした。作品の価格が高騰していて、展覧会を開くための保険料が莫大になってしまうこと、壊れやすい作品が多く、運搬が大変なことなどがその理由です。今回の展覧会も他館には巡回せず、国立新美術館のみで開かれています。
アンディ・ウォーホル『200個のキャンベル・スープ缶』(1962年)
その貴重なコレクションの中でも、一番の目玉がアンディ・ウォーホル「200個のキャンベル・スープ缶」(上写真)。キャンベル・スープの缶が縦に10個、横に20個並びポップ・アート界のモナリザとの別名もある、人気の高い作品です。「これと同種の作品は全部で3点しかありません。この作品では缶がすべてステンシルで描かれており、しかもパーツごとに違う型紙が使われています。ウォーホルはこのあとシルクスクリーンの版画を始めるのですが、ステンシルを使っていたのはごくわずかな期間でした。またスープの味は20種以上あり、ランダムに並んでいます。他の作品では同じ味のものだけを並べていたりするので、その点でも貴重です」。ウォーホルはこの絵を描くときに実際の缶ではなく、キャンベル社の広告をもとにしています。もともと平面だったものを、平面のアートに置き換えているのです。「ポップ・アート」の語源は広告やファッション、映画やイラストレーションなどを指す「ポピュラー・アート」、つまりは大衆芸術のこと。それらは当時「ハイ・アート」、高尚なアートとは区別されていました。それが60年代のアメリカで、大衆芸術のモチーフや手法を引用したアートを指す言葉になったのです。
アンディ・ウォーホル『キミコ・パワーズ』(1972年、1973年)
上の写真に並んでいるのはキミコさんのポートレイトです。ウォーホルは注文を受けてポートレイトを作成する、というビジネスを手がけていたことがありました。キミコさんのポートレイトはそのビジネスのテスト版として作られたようです「パワーズ夫妻のアパートメントで100枚以上撮影したポラロイドの中から、ウォーホルがカットを選びました。できあがったポートレイトの色の並びなども彼が決めています」。キミコさんによると、ウォーホルはキミコさんに思い切り厚化粧させて撮ったりもしていたそう。後にほかの人の注文で作ったものの中にはウォーホル自身、気乗りがしなかったと見えるものもあり、それらはあまりきれいに描いていないのだとか。アートとビジネスの関係が垣間見えるおもしろい作品です。

200点を超える圧巻のコレクション

1950年代から活動を始めたロバート・ラウシェンバーグやジャスパー・ジョーンズらは、当初、ポップ・アートではなく「ネオ・ダダ」と呼ばれていました。捨てられてしまうようなものを集積してアートにする、といった手法がダダを受け継ぐものとされたからです。そのラウシェンバーグの作品の中で、重ね合わせた透明なアクリル板にさまざまな画像をプリントし、アクリル板の順番や向きを変えることで何通りものイメージになる、という作品があります。上の写真の2点はいずれもこの手法によるオブジェですが、左のものには電球がついています。電球は普段は消えていますが、撮影のために特別に点灯してもらいました。この『シェード』は6枚のアクリル板でできていて、こちらも自由に順番や向きが変えられます。リビングやベッドルームに置いて、照明器具として使えたら楽しそうです。
ジャスパー・ジョーンズ 左から『うす雪』(1980年)『ダッチワイフ』(1977年)『死体と鏡』(1976年)
ジャスパー・ジョーンズとパワーズ夫妻は親密な交流があり、互いにスタジオと家を行き来する関係でした。彼の作品の中には変わった題名のものがあります。『うす雪』は川端康成の小説の雪の表現からインスパイアされたもの。でも『死体と鏡』『ダッチワイフ』となるとわけがわかりません。「『死体と鏡』は左右対称と見えないこともないのですが……。ジョーンズは自分の作品についてあまり説明しないタイプだったので、本当の意図はわかりません」と南さん。ジョーンズはマルセル・デュシャンをリスペクトしていました。見る人を煙に巻くようないたずらっぽい態度は、デュシャンをまねたのかもしれません。
クレス・オルデンバーグ『「テムズ川のボール」のモデル #4』(1967年)
クレス・オルデンバーグもキミコさんたちと親しくしていた作家の一人です。キミコさんたちがコロラド州アスペンで開いていたアーティスト・イン・レジデンスのプログラムでアスペンに滞在していたこともあります。この作品は『「テムズ川のボール」のモデル #4』というタイトル。テムズ川に浮かぶボールとは?「トイレのタンクに入っているボールなんです。これはテムズ川に巨大化させたトイレのボールを浮かべるプランの模型として作られたもの。実物の大きさは指定されていませんが、3メートルとか5メートルとか、とにかく大きなものだったのではないでしょうか」。最近、川にアヒルのおもちゃを浮かべるプロジェクトが世界各地で行われていますが、こちらはテムズ川トイレ化計画という、子供っぽいアイデア。遊び心を通り越した悪ふざけが笑えます。

日常に侵入する、最前線のアート

クレス・オルデンバーグ『ほえるフォーク』(1972年、右)
アーティストと個人的に交流のあったパワーズ夫妻のもとには、プライベートなやりとりから生まれた“作品”も残されています。ふたりの誕生日やクリスマスにマメにカードを送ってくれるアーティストもいました。もちろん、カードには彼らの直筆の絵が描かれています。うらやましくなる、最高に贅沢なプレゼントです。オルデンバーグの『ほえるフォーク』は、パワーズ夫妻のアスペンの別荘近くを流れる「Roaring Fork」(ほえるフォーク)という名前の川からオルデンバーグが思いついたもの。「フォークがほえたらこんな感じかな」という絵なのだそう。ユーモアあるやりとりです。
ロイ・リキテンスタイン「大聖堂シリーズ」(1969年)
マンガを拡大したイメージで有名なロイ・リキテンスタイン。上の写真はマンガのシリーズで使われている網点でモネの連作『ルーアンの大聖堂』を描いたシリーズです。こちらも“本家”と同じく、連作になっています。「リキテンスタインはマンガのシリーズで自分のスタイルを確立しましたが、このほかにも美術史の引用をよくしています。この『大聖堂』のシリーズも輪郭線を使わず、大聖堂が溶けていくような表現になっていて、モネのモチーフを引用しながら自分のスタイルとうまく融合しています。このほかにアール・デコを引用したものもありますし、女性が手鏡を見ている『鏡の中の少女』はヴァニタス(虚栄)を表す古くからのモチーフです」
ジェイムズ・ローゼンクイスト『ラナイ』(1964年、左) メル・ラモス『ミス・コーンフレーク』(1964年、中央)
最後の展示室にはジェイムズ・ローゼンクイストやトム・ウェッセルマンの作品が並びます。上の写真の中央にあるのはメル・ラモスの『ミス・コーンフレーク』。実際のケロッグの広告では健康的な女性が(もちろん服を着て)小麦の収穫をする姿などが描かれていました。ラモスはそんな広告のイメージと、ピンナップ・ガールのイメージを無理矢理くっつけてしまったわけです。こんなふうにアートに日常を取り入れていくのも、ポップ・アートの特徴でした。「ポップ・アートの作家や画廊は、版画やマルチプルで誰にでもアートが手に入るようにしました。ウォーホルの版画の中にはエディションが250もあるものもあります。日常生活の中の身近なものを素材にした当時の最前線アートが、日常生活の中に入っていく、そんな図式もおもしろいと思います」ポップ・アートが生まれた1960年代は社会も大きく揺れ動いた時代。アートだけでなく、音楽や映画でも新しい波が生まれています。作品の周辺を読み解けば、クールなポップ・アートの熱い裏側が見えてきます。