【蜷川実花が語る、父・蜷川幸雄との最期の日々】10年間残された書斎を再現|『蜷川実花展 はじまりの光』

  • 文:はろるど
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『蜷川実花展 はじまりの光』より、「ROOM KEY」での蜷川実花。photo:植村マサ

川口市立美術館 開館記念特別展『蜷川実花展 はじまりの光』が、9月12日より開催されている。埼玉県川口市は、蜷川実花が幼少期を過ごした地であり、演出家の父・蜷川幸雄の出身地。創作の出発点である写真を軸に、幸雄の書斎を移設した展示や、キルト作家である母・宏子によるキルト作品なども織り交ぜながら、自身のルーツをたどる展覧会となっている。蜷川にとって川口とはどのような場所なのか。両親との記憶、そして今なぜ改めて写真という原点に向き合おうとしているのかについて話を聞いた。

「原点だった」鮮烈によみがえる川口という街の風景

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記者発表会の際、川口への想いを語る蜷川実花。photo:植村マサ

古くから川口宿として栄えた市の中心地・本町に父の実家があり、5歳の頃までしばしば預けられた蜷川。人々が行き交う路地裏にピンク映画館が建ち、混沌としながらも熱気あふれる街の記憶は、今も脳裏に焼きついているという。見世物小屋や屋台がひしめくおかめ市(酉の市)の雑踏で目にしたのは、現実と虚構の境界が曖昧に揺れ動く世界だった。

「『川口で展覧会やりませんか?』と言われた瞬間に、この川口こそ原点だったことを鮮明に思い出しました。というのも、怪しくも惹きつけられるおかめ市など、子どもの頃に川口で目にしたのは、明るい部分とダークな面が表裏一体になった不思議な光景だったのです。今改めて川口に来てみると、実家のあった場所もマンションになってしまいましたし、よく通ったお風呂屋もないのですけど、なじみの洋食屋さんや神社はそのままだったりして、かつて肌で感じた猥雑な香りも少し残っているのですね。

川口が私にとって重要な場所だったということを、日々の生活の中で忘れていたかもしれません。それに家族にまつわる表現にしても、ずっと避けていたかもしれない。でもどこかで区切りをつけて、1度は作品として見せていかなくてはと考えていました。だから今回の展覧会で川口と触れ合い直すことができたのは、良いタイミングだったと感じています」

タイトルの由来となった『First Light』。アルバムの再撮影で見えてきたもの 

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『蜷川実花展 はじまりの光』より、『First Light』展示風景 photo:来田猛

まず2階の第一章では、6つのシリーズより新作を含む約190点の写真が展示されている。中でも初公開となる新シリーズ『First Light』は、本展のタイトル『はじまりの光』の由来ともなった作品だ。若き日の両親が写るアルバムを自ら再撮影したもので、当時の写真へ娘の視点から改めてレンズを向けることで、両親の思い出に蜷川自身の新たな記憶や情念が重ね合わされている。

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First Light, 2026 ©mika ninagawa / bookshop M Co.,Ltd. / Courtesy of Tomio Koyama Gallery 

「アルバムは実家で見つけたもので、新婚旅行など仲睦まじい両親の姿が写されています。もちろん私の生まれる前の光景ですが、たとえば母親の写真を再撮影していくと、知るはずもない若い時代の母に出会っているような気がするのです。見たり語ったりするよりも、撮ることによって感じられることや分かることがあるのだと思いました。過去の写真を撮り直すことは、同じものを複製するのではなく、そこに写された人や時間を、今の私の眼差しから見つめ直すことにつながります。自分は毎朝、2人の子どものお弁当を作るので5時半に起きますが、8時半頃にかけて出ていくのを見送ります。そして10時にはアトリエで仕事が始まるのですけど、その間、一人になれる約1時間半でテーブルの上でアルバムと向き合い、日課のようにして撮影を行いました」

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一年半の看取りと、一年半の潜水。2つのシリーズが辿り着いた境地

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『蜷川実花展 はじまりの光』より、『うつくしい日々』展示風景 photo:来田猛


『うつくしい日々』は、父・幸雄が倒れてから亡くなるまでの一年半ほど、病床を見舞う行き帰りに撮影された写真を中心に構成されたシリーズだ。満開の桜や芽吹く若葉、横断歩道や交差点、ビルの屋上や病室といった何気ない光景が、眩しいほど美しく写し出されている。そこに強い感情は表立って見えないものの、どこか物悲しさを帯びた儚さが漂う。

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The days were beautiful, 2017 ©mika ninagawa / bookshop M Co.,Ltd. / Courtesy of Tomio Koyama Gallery

「川口で展示を開くことが決まった時、絶対に見せたいと思ったのが『うつくしい日々』でした。ちょうどこの頃、生後間もない次男がいたのですが、たとえば次男が寝返りを打てるようになれば父が打てなくなるなど、一つの命が成長していく一方、父の時間が終わりへと向かっていくような生と死の交差を感じたのです。発表した当時は作品がセンチメンタルになり過ぎていると思うこともありましたが、10年経つと素直な気持ちで見せられるような気がします」

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『蜷川実花展 はじまりの光』より、『Dancing with Shadows in the Light』展示風景 photo:来田猛

初の水中作品となる『Dancing with Shadows in the Light』にも目を向けたい。蜷川が自ら沖縄の海へ幾度となく潜って撮影した本シリーズは、群れ泳ぐ魚や波間に浮かぶ泡、海底のサンゴなどを、すべてモノクロで捉えている。

「海を撮ろうと思ってダイビングのライセンスをとりました。1年半の間に潜った回数は70回。最初は呼吸するだけでも精一杯です。そして海に潜って強く感じたのは、生と死が極めて近い場所であるということ。安全な装備をして潜りましたけど、身体の全てが何十分も海の中に入る感覚自体が怖い。そして上を見ると天国のように光がキラキラ瞬いて見えるけど、下を向くととても暗いんですね。『海ってなんて美しく、また恐ろしいんだ…』と。

海で体験した怖さや、光の綺麗さを表現するならモノクロだと思い、写真を仕上げました。華やかな色彩や鮮烈なイメージといった、いわゆる蜷川実花的なものはよく求められますし、私も大切にしています。でもそれは諸刃の剣ともいえ、色に阻まれて伝えたいものが届かないこともある。だから今回は色彩を手放しても良いかなと思いました」

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日常の中の異世界への入り口。書斎に散りばめられた家族の記憶とは?

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『蜷川実花展 はじまりの光』より、「ROOM KEY」展示風景 photo:来田猛

階段を下がったM2階の第二章では「ROOM KEY」と題し、父・幸雄の書斎を移設、再構築したインスタレーションが展開している。いくつもの古い窓枠が宙吊りになった中に、幸雄が実際に使っていた机や椅子が置かれ、おびただしい数の蔵書や台本、ダリの時計を模したオブジェ、ヒエロニムス・ボスの絵画のモチーフを象ったフィギュア、四谷シモンの人形などが所狭しと並ぶ。「こんな書斎、見たことがない」と誰もが驚くような、演劇の舞台美術さながらの空間だ。

「父の書斎は家の離れにあったのですけど、10年の間、当時のままの状態でした。私にとって書斎は、日常の中にある異世界への入り口。父は神経質な人ではなくて、書斎にいつ入ってもいいし、不在の時でも『見ていいよ』と言われていたので、小さい頃から中に入ってよく遊んでいました」

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『蜷川実花展 はじまりの光』より、「ROOM KEY」展示風景 母・宏子によるキルト作品。 photo:harold

「ここに流れているのは、20年前に父の舞台で流していた雑踏の効果音です。テレビには金魚の映像が映されていますが、これは父の『血の婚礼』という舞台で、私の金魚のモチーフを使ってくれたことがあるから。周囲には母の制作したキルトを吊るしました。今見ても色彩豊かでとてもエネルギッシュ、圧倒的な手仕事とパワーを感じます。ここに改めて立つと、父の家にいる気分になりますね。川口と同じように、私の創作の原点、いわば原風景と呼べる場所です」

「ああ、私は写真家なんだな」今、写真に立ち返る理由

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『蜷川実花展 はじまりの光』より、『Self-image』展示風景 photo:来田猛

この他、桜の刹那的な姿を捉えた『VIRA』や、デビュー作でもあり、約30年にわたって自身を断続的に記録してきたセルフポートレートシリーズ『Self-image』なども並ぶ本展。『Self-image』にて30年前と今の自分を見比べ、「すっかり顔が優しくなりましたね」と笑う蜷川に、なぜ今このタイミングで写真に立ち返ったのかを尋ねた。

「写真は映画を制作している時も、インスタレーションの展示を行う時も撮っていますけど、ふと『ああ、私って写真家なんだな』と思う瞬間があるのです。写真家であるということは、私にとって一番大事なアイデンティティ。だけど実は写真を額装して白い壁に並べるというような展示はほとんどやってこなかったのです。どちらかといえば、写真を使って鑑賞者に没入してもらうような展示を手がけてきました。

だから逆に、一枚一枚の写真をじっくり見せるという試みが、とてもチャレンジングで面白く感じます。写真のプリントそのものの美しさを追求したり、写真自体の強さ、色々と脱ぎ捨てたような状態で写真を見てもらうということに向き合えたのが、今回私として最大の収穫だったと思っています」

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『蜷川実花展 はじまりの光』より、「ROOM KEY」展示風景 photo:harold

川口に新しく美術館ができ、そこで個展を開けると知った時から、蜷川はこの機会をずっと心待ちにしていたという。写真を中心とした展示は、彼女にとって新たな冒険であると同時に、映画やインスタレーションといった多彩な表現を経てきたからこそ辿り着けた境地でもある。幼少期の記憶が眠る川口という土地でこそ見出した「はじまりの光」を、じっくりと見つめてほしい。

川口市立美術館 開館記念特別展

「蜷川実花展 はじまりの光」

開催期間:開催中〜2026年11月29日(日)
開催場所:川口市立美術館
埼玉県川口市川口3-1-2
開館時間:10時~18時
休館日:月(9/21、10/12、11/23は開館)、9/24、10/13、11/24
観覧料:一般¥2,000 他
https://kawaguchi-moa.jp/

はろるど

アートライター / ブロガー

千葉県在住。WEBメディアを中心に、アート系のコラムや展覧会のレポートを執筆。日々、美術館や博物館に足を運びながら、作品との出会いや発見をSNSにて発信している。趣味はアートや音楽鑑賞、軽いジョギング。そしてお酒を楽しむこと。

はろるど

アートライター / ブロガー

千葉県在住。WEBメディアを中心に、アート系のコラムや展覧会のレポートを執筆。日々、美術館や博物館に足を運びながら、作品との出会いや発見をSNSにて発信している。趣味はアートや音楽鑑賞、軽いジョギング。そしてお酒を楽しむこと。