ロマの一家との30年以上にわたる関係、移民や難民との出会い、そして戦争や時間の経過によって残された廃墟──。フランス人写真家マチュー・ペルノは、異なる人々の視点や写真、アーカイブを重ね合わせながら、ひとつの視点だけでは捉えきれない現実を作品にしてきた。被写体を見る側/見られる側という関係を超え、私たち自身の「見る」という行為を問い直す、彼の写真表現をひも解く。
フランス人写真家マチュー・ペルノにとって、写真とは何よりも「出会い」の芸術だ。そこでは、自分が思い描いていたものよりも、現実そのもののほうが強い力を持つ。その考えを最もよく示しているのが、彼が生涯にわたって撮り続けてきた代表作「Les Gorgan(レ・ゴルガン)」だろう。
1990年代、アルル国立高等写真学校の学生だったペルノは、南フランスに暮らすロマの人々に関心を持ち、ある家族の写真を撮り始めた。それから10年が経ち、彼らと再会する。その再会をきっかけに、ペルノの視線にも変化が生まれた。ひとつの「コミュニティー」に目を向けるのではなく、ニナイ、ジョヴァンニ、ミカエルら、一人ひとりの人生に目を向けるようになったのだ。
『ミカエル』アヴィニョン、2001年。「レ・ユルール、 叫ぶ人々」シリーズで、ペルノは刑務所に収監された人を訪ね、その近況を知ろうと刑務所の周辺に集まった家族や親しい人々の姿を捉えている。© Mathieu Pernot
ペルノは彼らとの間に友情を育みながら、誕生や死によって彩られる日々の暮らしを、ポートレートから親密な生活の場面まで、さまざまな形で捉えてきた。なかでも印象的なのが、刑務所の外から、収監されている家族に向かって大声で呼びかけ、近況を尋ねる姿を撮った「Les Hurleurs(レ・ユルール、叫ぶ人々)」のシリーズだ。
写真家が撮った家族の写真に加えて、ゴルガンの人々自身が撮影した写真も並べられる。そこには優劣も、上下関係もない。このシリーズについて、彼らは今でも「私たちの写真」と呼んでいるという。家族のアルバムと民族誌的な記録の中間にあるようなこの作品は、ロマの文化を一瞬垣間見せながらも、決して美化することはない。
「私にとって、見ることに権威はありません。彼ら自身も自分たちを表現しているのです」とペルノは話す。「何かを見るということは、ひとつの視点だけを持つことではありません。いる場所や、その時、その瞬間によって、見えるものは変わってくる。そこにこそ、正しいものがあるのだと思います」
この共同制作のようなプロジェクトは、ペルノ自身が「最も誇りに思っている」という作品へと発展し、2017年、アルル国際写真祭での展覧会につながった。写真に写っている当人たちも実際に会場を訪れていた。それは、写真を見るという行為そのものを揺さぶる、観客にとっても印象的な体験となった。何より彼らが暮らすアルルの街で、自分たちの姿が作品として紹介されることは、ゴルガンの人々にとってひとつの大きな意味を持つ出来事だった。
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ひとつではない視線を重ねる
マチュー・ペルノは複雑に交差する視点をひとつの作品のなかに組み込んでいく。また、写真の形式も変化させる。「レ・ゴルガン1995-2015」では、カラー写真とモノクロ写真が交互に現れ、その間にはフォトブースで撮影された写真や、いくつかの貴重なアーカイブ写真が差し込まれている。
パリのアトリエを訪ねると、彼はちょうど、20世紀の戦争に参加したソ連兵や日本兵が残した古いアルバムを手に取っていた。こうしたアルバムを収集しているという。ペルノの写真作品には、こうした資料を探り、読み解くドキュメンタリー的な作業もたびたび取り入れられている。
「私が興味を持っているのは、写真と写真の関係について考えることです。ひとつの場所にとどまらず動き続ける視線で、異なるものを自由に組み合わせることで、意味を生み出していくのです」
このアプローチは、もうひとつの代表作「L’Atlas en mouvement(ラトラス・アン・ムーヴマン、動くアトラス)」にもつながっている。移住や移動をテーマにしたこの作品は、アビ・ヴァールブルクの「ムネモシュネ・アトラス」(1921~1929年)にも着想を得ている。
ゴルガンの人々と長い時間をかけ、近い距離で仕事をしてきたペルノは、2010年代、ヨーロッパで深刻化していた移民・難民問題という同時代の現実に向き合うことになる。最初にパリで、寝袋のなかで眠る移民たちを撮影。その後、フランス北部にある、現在は閉鎖された「カレー・ジャングル」と呼ばれたキャンプへ向かい、さらにレスボス島へと足を運んだ。そこでは、家族全員で、長期化したキャンプ生活を送る人々の姿があった。そこで彼は、写真のなかに、移民たち自身の「言葉」が足りないことに気づく。彼らの話に耳を傾けるなかで、むしろ自分が多くを教えられる側なのだと知っていった。
そのひとりが、スーダン出身の写真家、モハメド・アバカルだ。彼はペルノに、パリの彫像が冬になると寒さから守るためにシートで覆われていることを指摘した。歴史的な文化財には、人間よりも手厚い保護が与えられている。路上で生き延びようとしている人々よりも、街の彫像のほうが大切に扱われているのではないか。モハメド・アバカルは、シートに包まれたパリの彫像のそばに立つ難民たちを撮影した。ペルノは、アバカルの写真を自分の写真と並べて本に収録することにこだわった。
現実の持つ力を写し出す
10年以上にわたる「ラトラス・アン・ムーヴマン」(2009~22年)で、ペルノは再び、被写体となる人々との共同制作に取り組んだ。ただし今回は、個々の人々の物語から出発し、彼らが受け継ぎ、担っている「知」の歴史を描き出そうとした。
そもそも、ギリシャ文字自体が移動や交流の歴史から生まれたものではないか。そんな問いを投げかけるように、作品にはシリアの天文学者ムハンマド・アリー・サムヌネが作成した星の地図や、アフガニスタン出身の医師マリアム・アジミが母語で書き込みを加えた古い解剖学の図版なども登場する。もちろん、最初からこのような作品になることを想像していたわけではない。
「全体的なビジョンがあるわけではありません。ある瞬間や、やりたいこと、アイデア、そして何よりも、その時々の状況に引き寄せられていくのです。写真とは、まずその場所、その瞬間にいることなのだと思います」
ペルノの写真は、そこに写っているもの以上のことを語りかける。たとえば、移民たちが通り過ぎた後の自然を撮った写真や、崩れ落ちようとしている建物を撮影した「La ruine de sa demeure(ラ・リュヌ・ド・サ・ドゥムール、彼の住まいの廃墟)」(2019~21年)などがそうだ。
この作品では、写真家だった祖父が数十年前に観光で旅した中東への旅を、ペルノ自身がたどり直している。祖父が撮影したのは古代遺跡や観光地としての「廃墟」だった。一方、ペルノが目を向けたのは、現代の戦争や時間の経過によって生まれた廃墟である。
「痕跡や、はかなさのようなものがあるのが好きなんです。写真によって、そうしたものを問いかけたり、捉えたりできる。もしかしたら、次の日にはもうそこにないかもしれないものを」
人の姿が写っていなくても、その写真の力が弱まることはない。むしろ、そこに残された場所そのものが、かつてそこにいた人々の歴史を、言葉以上の強さで語りかけることがある。彼が最初に手がけた、通っていた高校の寄宿舎を撮影した作品以来、ペルノは住宅から刑務所まで、人が暮らし、あるいは閉じ込められる建物にも関心を向けてきた。
「写真家の仕事とは、現実の持つ力を見つけ、それをある出来事や歴史、場所を特別なかたちで伝えるための言葉や形式へと変えていくことだと思います」
そう語るペルノの作品では、異なる写真や資料がひとつの画面、ひとつの本、ひとつの展示のなかで出会う。複数のイメージを組み合わせることで、私たちは自分の視線そのものを問い直し、現実を別の角度から見つめることができる。
「写真で現実を変えられるとは思っていない」と彼は言う。それでも、その写真は現実の複雑さを浮かび上がらせ、ひとつのイメージと別のイメージの間にある余白から、私たちが世界を見る新たな方法を立ち上げていく。