【消滅した設計図】ついに完成に向かうサグラダ・ファミリアに絶えない「贋作」論争の真実

  • 文:青葉やまと
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Shutterstock ※画像はイメージです

2026年6月10日、ガウディの没後ちょうど100年に当たる日の夜。サグラダ・ファミリアの最高塔「イエス・キリストの塔」の落成式がバルセロナで盛大に行われた。だが、そもそもサグラダ・ファミリアの設計図は内戦で焼かれ、現在の工法もガウディが意図した原型と大きく異なる。偉業を称える声の一方で、「すでにガウディの作とは呼べない」との批判も根強い。

自然界の美を取り込んだガウディ

 ガウディは、自然のなかに神の意図を読み取ろうとした建築家だった。国際美術月刊誌のアポロ・マガジンによれば、少年時代から木の枝分かれする様子や葉の並びといったパターンに強い興味を示し、やがてその知見をカトリック信仰と結びつけていったという。

ガウディはまた、重力を「神の最大の発明」と呼び、鎖を2点間に垂らしたときにできる曲線を上下反転させた形「カテナリーアーチ(懸垂曲線)」に着目している。建築における最も経済的で力学的に優れた形状とされるこのアーチは、ガウディ建築の主旋律(ライトモチーフ)となった。その思想を形にしたのが、バルセロナのサグラダ・ファミリア聖堂だった。

聖堂が自分の代では完成しないことを、ガウディは見越していた。生前におおむね形になったのは「生誕のファサード」と呼ばれる一部の壁面だけだった。

後世の建築家が工事を引き継げるよう、大量の図面と精緻な縮尺模型を残している。だが、その資料の多くは、後世の混乱で失われることとなる。

灰になった設計図

1926年6月、ガウディはバルセロナ中心部で路面電車にはねられた。アイルランド全国紙のアイリッシュ・タイムズによれば、搬送先の病院では誰ひとり、ぼろをまとった髭面のこの男が、わずか数ブロック先で聖堂を建てているバルセロナ随一の建築家だとは気づかなかったという。3日後、彼はそのまま息を引き取った。

10年の歳月が流れ、スペイン内戦勃発直後の1936年7月20日。イベリア・アナーキスト連盟(FAI)の無政府主義者たちが聖堂に押し入った。アポロ・マガジンは、ガウディが永眠する地下聖堂に踏み込み、墓を破壊してイワシの缶詰を詰め込んだと伝える。無政府主義者らは図面や計算書を焼き払い、石膏模型を叩き壊した。職人など関係者12名も、その後数週間にわたって追跡され殺害されている。

貴重な図面や模型は、大半が灰や断片と化した。以後の建設作業においては、焼け残った図面や模型からガウディの意図を推し量りながら工程が進められた。

そして2026年6月10日の夜。サグラダ・ファミリア聖堂の「イエス・キリストの塔」が、照明を受けてバルセロナの夜空に浮かび上がった。イタリア建築・デザインWebマガジンのデザインブームによると、聖堂で最も高いこの塔は高さ約172.5メートル。頂に巨大な十字架が据えられ、外観がついに完成した。

足かけ100年以上の建設が節目を迎えたいま、ガウディなきあと建て続けられたこの聖堂が、なおも「ガウディの作品」と呼べるのか、議論は絶えない。

繰り返される「贋作」批判

設計図が失われてなお建設が進む聖堂をめぐり、真正性をめぐる論争が何世代にもわたり再燃してきた。

1980年代、「受難のファサード」の彫刻を任された彫刻家のジョセップ・マリア・スビラックスは、聖堂に住み込んで制作に打ち込んだ。

だが、彼が制作に勤しんだのは、装飾を省いた角張った印象の彫像群だ。曲線を多用した生誕のファサードとは、似ても似つかない。同業者は「彫刻のゴミ」と罵ったが、スビラックスは揺るがなかった。「ガウディを真似ようと思ったことは一度もない。深く尊敬しているからこそ、安易に近づかないのだ」と語っている。

皮肉なことに、その25年ほど前にはスビラックス自身が、ジョアン・ミロやル・コルビュジエら著名芸術家・建築家とともに、聖堂の建設の進め方に抗議する宣言に署名している。かつて建設続行を批判した者が、やがて建設に加わり、今度は自らが批判を受ける。この聖堂では、そうした立場の変遷が繰り返されてきた。

2012年には、建築専門誌アーキテクチュラル・レビューが聖堂を「ガウディの聖なる怪物」と呼んだ。同誌は、聖堂はもはやガウディの名を借りた「一種のサーカスの見世物」と化しており、「原作者の手を感じ取ることは不可能だ」と批判している。

実際、石材を鋼材で補強する「テンションド・ストーン(後張り石材パネル)」など現代的工法が主に用いられており、石材パネルは工場製。高さ17メートルの頂の十字架にいたってはドイツで造られた。

聖堂の本来の姿

それでも、聖堂建設を支持する有力な反論もある。30年にわたり建設工事を指揮した前主任建築家のジョルディ・ボネットは、アイリッシュ・タイムズの取材に、「ほとんどの大聖堂は、大勢の人の手で、何世紀もかけて造られてきた」と語る。

ガウディの存命中でさえ40人の彫刻家が働いており、当時からすでに「複数の彫刻家たちによる作品だった」とボネットは言う。本来、大聖堂とは世代を超えて受け継ぎ完成させるものであり、サグラダ・ファミリアもその例外ではない、というわけだ。

ガウディ自身、模型を実現するための詳細な設計手法は必ずしも逐一遺しておらず、当時から職人たちと共に手を動かして判断していた。後に工法が変化すること自体、想定の範囲内だったとの見立ても成り立つ。

ガウディが練り上げた構想を、後の世代が解釈しながら受け継いできた。一世紀半近くに及ぶその建設は、2030年代半ばに完了する見通しだ。

青葉やまと

フリーライター

1982年生まれ。大手メーカー系企業でのシステムエンジニア職を経て、2010年から文筆業に転身。IT・アートから国際政治・経済まで、幅広くニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『プレジデントオンライン』などに寄稿中。

青葉やまと

フリーライター

1982年生まれ。大手メーカー系企業でのシステムエンジニア職を経て、2010年から文筆業に転身。IT・アートから国際政治・経済まで、幅広くニュース記事の執筆を手がける。ウェブサイト『プレジデントオンライン』などに寄稿中。