つい先日、久しぶりに取り出したN社のスニーカーに足を入れようとしたとき、ソールが剥がれているのに気づいた。いわゆる加水分解である。履き心地が気に入って愛用していたO社のスニーカーも、いつの間にかソールが滑るようになっていた。修理を依頼しようとメールを送ると、「危険なので履かないでほしい」との返事。色違いを4足揃え、ローテーションしながら履いてきたが、どれも同じ症状を起こしていた。つまり、すべて「履けない靴」になってしまったということだ。
それに比べると、革靴はずいぶんとしぶとい。今回取り上げるのはレッドウィングのペコスブーツ。およそ50年前のものだが、いまでも十分履くことができる。30年近く放置していたせいで、表面にはうっすらとカビが浮いていた。クリーナーで汚れを落とし、ミンクオイルを塗り込む。新品のようには戻らないが、その代わりに時間をくぐり抜けたような風合いが現れる。いまの自分には、むしろそのほうがしっくりくる。普段履きにはちょうどいい表情になった。
1979年、サンフランシスコで手に入れた一足
このブーツを手に入れたのは1979年、サンフランシスコだった。当時、日本ではレッドウィングはまだ正式に展開されておらず、限られたショップで売られていた。高価で私は買うことはできなかった。
しかし、この年、せっかくアメリカに来たのだからと、雑誌で読んだあやふやな記憶と、ホテルの部屋に置かれていた電話帳=イエローページを頼りに売っている店を探した。向かったのはマーケットストリートのかなり西、軍の放出品を扱うアーミーネイビーサープラスショップだった。バスに降りて通りを延々歩いてようやく辿り着き、店内でレッドウィングを見つけた時の高揚感をいまでも覚えている。
サイズが合わなくても、欲しかった
当時、私が欲しかったのは、いわゆるレースアップのワークブーツではなく、ペコスブーツだった。日本ではサイズが揃っていないことが多く、半ば憧れの存在だった。店員に頼むと、奥の倉庫を長い時間をかけて探してくれたが、残っていたのは幅広の1足だけ。「あなたには合わない」と言われたが、それでもどうしても欲しくて「それで構わない」と半ば強引に購入した。帰国して履いてみると、やはり幅は広かった。厚手の登山用ソックスを履いたり、インソールを入れたりして、なんとか付き合っていた記憶がある。
それから10数年後、ロサンゼルスでのロケの折に、編集部の備品としてレッドウィングのブーツを1足購入することになった。専門店を探して訪ねると、郊外の小さな店で、髭をたくわえた店主がひとりで切り盛りしていた。カウンターのボードには「フィッティングには時間がかかります」と書かれている。その言葉通り、待つこと約1時間。ようやく順番が来ると、最初に聞かれたのは「誰が履くのか」ということだった。備品だからある程度汎用的なサイズでいい——そんな考えを口に出せる空気ではない。同行したモデルを指さすと、すぐに計測が始まり、何足ものブーツを試しながら、丁寧にフィッティングが進んでいった。ようやく1足を選び終えたとき、靴というものの位置づけの違いを強く感じた。欧米では、1日を通して靴を履き続ける。その前提に立てば、フィッティングが重要なのは当然だろう。ましてやワークブーツは、働くための道具だ。サイズが合わなければ仕事にならない。専門店に限らず、取り扱う店の多くにその意識が共有されていることにも感心した。どちらも靴の文化の厚みの違い感じた体験だった。
町とともにあるブランド、レッドウィング
レッドウイングは、アメリカで1905年に誕生したブランドである。創業者はドイツからの移民、チャールズ・ベックマン。私は1990年代に2度、本社を訪ねたことがある。
本社があるのは、アメリカ中西部ミネソタ州の小さな町、レッドウィング。カナダ国境にもほど近いこの町には、工場だけでなく、革のなめし工場もあり、ブーツづくりの工程が地域に根づいている。多くの住民が工場で働き、手間のかかるグッドイヤーウエルト製法のブーツなどを日々縫い上げている。
取材中、職人から「なぜ日本人は、グッドイヤーウエルトの靴が好きなのか」と逆に質問されたことがある。当時の工場では、より生産性の高い「スーパーソール」を使った靴の製造が主流になりつつあった。「スーパーソール」の靴は減りも少ない。合理性を重んじる視点から見れば、手間のかかる製法にこだわり理由が不思議だったのだろう。
町の中心に位置する駅にはアムトラックが停まり、長い貨物列車がホームからはみ出すほど連なっていた。その駅舎はレッドウィング社が建て、町に寄贈したものだという。宿泊したクラシックなホテルも同社も所有だった。夜に出かけた野球の試合では、「日本からレッドウィングを取材にきた一行」と場内アナウンスで紹介された。この町がいかにこのブランドと共にあるかを、さまざまな場面で実感した。
後から知ったことだが、この町はブーツだけでなく、陶器の生産地としても長い歴史を持っている。19世紀半ばから同地で採れる老質な粘土を活かして多くの陶器がつくられ、アメリカの台所を支えてきたという。町にはその歴史を伝える博物館もあり、古いものはコレクターズアイテムとして人気が高いらしい。しかし、それを知ったのは、帰国後しばらくしてからだった。取材のとき、町の外れで見かけた焼き窯の後のような廃墟の意味も、後になってようやく腑に落ちた。もし当時知っていたら、もう少し違う歩き方をしていたかもしれない。
消耗品ではなく、時間を連れてくる道具
いま手元に残るレッドウィングのワークブーツには、そんな記憶がいくつも染み込んでいる。履き込まれた革の皺を眺めていると、それらがゆっくり立ち上がってくる。そして思う。靴はただの消耗品ではなく、時間を連れてくる道具なのだと。