古くから湯治場として知られ、あまたの旅人を癒やしてきた箱根。明治から昭和にかけては、文人や財界人も多く訪れた。なかでも強羅は旅館や保養施設が点在し、箱根を代表する温泉地として知られる。この場所で2014年にオープンした「円かの杜(まどかのもり)」は、日本文化を象徴するおもてなしを現代にアップデートした大人の隠れ家だ。
扉を開けた瞬間、木の香りに迎えられる
箱根内輪山の麓に佇む宿に到着すると、心地よい水車の音がゲストを優しく迎える。玄関を入ってまず驚くのは、圧倒的な木の存在感だ。レセプションのカウンターには、1mを優に越える分厚いヒノキの一枚板が並び、天井には鳥海山の神代ケヤキ、ロビーには切り株のように木の断面をそのまま活かしたテーブルがいくつも置かれている。飛騨高山で旅館を営み、木の目利きでもあるオーナーが、この宿のために全国から選りすぐりの木材を集め、宮大工とともにつくりあげたという。

全館畳敷きの廊下を進み部屋へ入ると、ここでも主人(あるじ)の木への愛着を感じることになる。スギ、ケヤキ、ナラ、トチといった多様な木材が、ベッドフレームやクロゼットなど建具に応じて使い分けられ、異なる木目がひとつの空間に調和している。窓の外に広がる雄大な森を眺めながら木の家具に囲まれていると、都会で過ごしていた慌ただしい時間が次第にリセットされていくようだ。

食事の前にまずは温泉へ向かう。聞けばここには2本の自家源泉があるという。大浴場へと続く畳敷きのアプローチは鳥居をモチーフにつくられていて、湯への期待が高まる。まずは内湯で身体を温めたら露天風呂へ。この地に湧き出しているのは、早雲山の火口から流れ出る硫酸塩泉に火山性の温泉が混合したもの。ほどよい湯加減で、長湯しても疲れにくい。高低差を活かした3カ所の湯船はどこにいても眼前の自然との一体感を味わえる設計だ。新緑の春、木漏れ日の夏、紅葉の秋、雪見の冬と四季折々の自然が心と身体を悠久の時へと誘ってくれるだろう。

---fadeinPager---
食べた瞬間、違いがわかる「水素料理」
円かの杜での食事は客室、個室、そしてカウンター割烹(別料金)と好みのスタイルから選ぶことができる。料亭のように洗練の品々をつくりあげるのは、関西で長らく腕を振るってきた柴尾良太総料理長。世界初となる水素コンロを導入した調理場で、日本中から取り寄せたとびきりの食材を調理する。クリーンエネルギーである水素は無臭なため、素材本来の味や香りを大切にする繊細な和食に最適なのだ。最高2,500度まで達する水素コンロだが、高温で蒸し焼きにすることにより短時間で火が入り、肉や魚の水分を逃さずしっとりジューシーに焼き上げることができる。



宿では二酸化炭素を発生させない水素調理を取り入れたことで、年間約20パーセント(4.4トン)のCO2削減を実現。現在、夕食に提供している近江牛ステーキはすべてこの水素調理を取り入れている。このほか生ごみ処理機も導入し、焼却や運搬の際に排出されるCO2の削減にも貢献している。

---fadeinPager---
宿泊客が主役になれる、粋な仕掛け
最高の料理と湯、行き届いたサービス、環境への配慮。これらに加え、円かの杜がほかの温泉旅館と一線を画すのは、大人のための遊びの空間を提供している点だ。「旅館は建物をつくって終わりではありません。そこに集う大人たちが楽しめる仕掛けをちりばめました」と話すのはプロデューサー/ディレクターの立川直樹だ。音楽や映画、舞台など幅広いジャンルで活動する立川は、映画の音楽監督や音楽評論家としての顔も持つ、メディアミックスの先駆者である。

そんな立川の発案によりできたのが蔵バー「こだま」だ。白壁と格子戸、ケヤキのカウンターと掘り炬燵の板の間で構成されたこの空間には、立川がセレクトしたCDが並ぶ。「宿泊者が映画の主人公になれるような、サウンドトラックとして楽しめる選曲をしました。ワインリストから好みのワインを選ぶように、『円かの杜CDリスト』から気になる曲を選んでほしい」。ビリー・ホリディやフランク・シナトラ、ボブ・ディラン、エリック・クラプトンなど錚々たる名曲が箱根の夜を彩り、隣り合わせたゲストたちの間に会話の花を咲かせる。

立川のネットワークを活かして、ロビーでは宿泊者を対象としたスペシャルライブも不定期で開催している。これまでにチェリストの溝口肇やギタリストのSUGIZO、ボーカリストでフリューゲルホーン奏者のTOKUらを迎え、一夜限りのスペシャルライブを行ったほか、2024年の10周年記念イベントではロックの歴史に名を刻むふたりのスーパースター、デビッド・ボウイとエルビス・プレスリーを極上のオーディオシステムで堪能した。
---fadeinPager---

他にも立川は、囲炉裏のある部屋を喫煙所に解放したり、ブックディレクター・幅允孝による本を部屋ごとに配置したりと、滞在をより楽しめるアイデアを提案している。「いまはどんなシーンでも情報を集めて準備しすぎてしまう時代。旅は気まぐれに訪れるのがいちばんいい。知らない場所で迷い込む感覚を楽しんでもらえれば」と立川は言う。なにも準備せずふらりと訪れた時にこそ、五感が解放され新しい発見がある。円かの杜にはそんな極上の時間が流れているのだ。
※2026年2月13日(金)は「NIGHT OF VALENTINE EVE」と題し、TOKUとギタリスト・小沼ようすけによるスペシャルライブを開催予定。
