【横浜美術館】在日コリアンから帰国運動まで。アートでたどる、戦後日本と韓国の80年

  • 文&写真:はろるど
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中村政人『トコヤマーク/ソウル』 1992年 個人蔵 2本以上のサインポールが風俗店の目印とされる、韓国の実際の床屋マークを用いて作られた立体作品。中村は同シリーズの作品をソウルや東京、大阪に設置することで、同じサインが国や受け手によって異なる意味を持つことを示した。

1945年以降の日本と韓国の美術交流をたどる展覧会『いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年』が、横浜美術館で開催されている。両国の美術館が3年にわたる共同リサーチと準備を重ねた、初の本格的な国際共同企画だ。戦後から現代へ、アートが交わし続けてきた対話の軌跡を紐解く。

50組以上の作家による約160点の作品が、日韓両国から集結 

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曺良奎『マンホール B』 1958年  宮城県美術館蔵 1928年、日本統治下の朝鮮半島に生まれた曺良奎。1948年に密航で日本に渡り、現在の武蔵野美術大学に通うも、生活のために中退。1960年には妻と子どもと朝鮮民主主義人民共和国へわたり、しばらく活動が確認されるものの、1968年以降の足跡は不明とされている。

日本の敗戦により朝鮮半島は植民地支配から解放されたものの、朝鮮戦争を経て南北に分断され、1965年まで正式な外交関係が途絶していた日本と韓国。そして約35年にも及ぶ植民地支配の影響で多くの朝鮮半島出身者が日本に定住し、戦後は国籍をめぐる選択を迫られる。第1章では、1940〜60年代を生きた在日コリアン1世の表現者の活動に着目。日常の生活や故国の分断、また民族の離別などをテーマとした作品を紹介している。

曺良奎(チョ・ヤンギュ)は、マンホールの清掃など、日本で日雇い労働者として生計を立て、その実感を反映した絵を描いた画家。その作品とともに、同時代の美術評論家の織田達朗とのやりとりを示す書簡などの新出の資料が展示されている。また10歳で済州島から大阪へ渡った曺智鉉(チョ・ジヒョン)は、在日コリアンが多く住んでいた猪飼野、現在の日本最大のコリアンタウンである鶴橋あたりの日常の光景を写真に収めている。

国交正常化以降の日韓の美術交流のあり様を追いかける

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左から李禹煥『点より』、『線より』 ともに1977年 東京国立近代美術館蔵 1970年代前半にはじまった李禹煥の代表的な絵画シリーズ。限られた色数で画面を構成する作品の特徴が、韓国の「単色画」に共通するといわれている。

1965年、日本は朝鮮半島南側の大韓民国とのみ正式に国交を樹立。これによって人や物の往来が活発化し、日本でも韓国の同時代美術を紹介する展覧会が相次いで開催される。中でも1968年、東京国立近代美術館で開かれた『韓国現代絵画展』は国交正常化を記念したもので、日本の国立美術館で初めて韓国の現代絵画の状況が取り上げられた。そしてこの展覧会にて、のちにもの派を代表する李禹煥(リ・ウファン)が本格的にデビューを果たす。

一方で植民地支配の記憶が重く深く残っていた韓国では、国交正常化後もしばらく日本美術を大規模に紹介する動きは生まれなかった。結果として日本の現代アートが一定のスケールで韓国で紹介されるようになったのは1970年代末から80年代にかけてのこと。日本の若手作家も招かれた『第5回大邱現代美術祭』(1979年)や、両国の公的機関が初めて協働して開いた『日本現代美術展―70年代日本美術の動向』(1981年)などは、日韓の美術交流史における重要な転機となった。---fadeinPager---

中村政人と村上隆による伝説の展覧会、『中村と村上展』とは?

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中村政人『明るい絶望 ソウルー東京』 1989〜1994年 個人蔵 1980年代末より90年代のはじめにかけて撮影されたソウルと東京の写真から構成されたシリーズ。中村が「アート」と呼べるのではないかと注目した風景が捉えられている。

日本の二人のアーティストの活動に着目したい。ひとりは1990年に韓国政府の国費留学生として美術大学の名門・弘益大学に留学した中村政人。中村はいまや韓国を代表するアーティストとなったチェ・ジョンファやイ・ブルらの結成したグループ「ミュージアム」のメンバーを中心に、当時のソウルのアート界と繋がりを持つようになる。かつての植民地支配の時代には、多くの留学生が朝鮮半島から日本へ渡ったが、その「逆流」ともいえる動きを先駆けた存在が中村だった。

中村が留学生活を終えた1992年、東京藝術大学の同窓生であった村上隆と『中村と村上展』というプロジェクトを企画する。これは中村が実施したアンケートで、韓国の人々にとって「不快な印象を与える日本人の姓」の1位と2位が中村と村上であったことから着想を得たもの。会場では小沢剛や会田誠らも参加した韓国でのオープニングの記録映像も公開され、当時の文化的緊張と交流の両義性を伺うことができる。

祖国を離れた女性たちの現実と時間の重み

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林典子『sawasawato』 2013年〜ongoing 個人蔵 「もし彼女たちと同じ境遇にあったのなら。帰国運動の熱気に包まれた社会の中で、私もあの船に乗っていたかもしれない。」と林は記している。

2000年代後半以降の比較的近年の作品にも目を向けたい。そのうち朝鮮民主主義人民共和国で暮らす「日本人妻」に焦点を当てた、林典子の『sawasawato』プロジェクトは大変な労作だ。林は在日コリアンと結婚し、1959年以降の帰国事業を通して共和国へと渡った女性たちを、2015年から12回にわたって取材。いまも国交のない地で生きる彼女たちの姿を、写真やテキストなどを通して丁寧に記録し、祖国を離れた女性たちの現実と時間の重みを静かに映し出している。

大阪の朝鮮学校に通う子どもたちの日常を捉えた作品などを展開する金仁淑や、在日コリアン2世のパートナーを持つ高嶺格が妻との結婚式を記録した作品なども見どころの本展。さらに百瀬文とイム・フンスンは2015年から3年続けた映像による「交換日記」を、今年交わした最新の日記と合わせて公開している。個人と社会、記憶や歴史が交錯する場として、日韓のアートが描き出す多様な風景の共振を通し、いまを問い直しながら、ともに生きる未来を見つめたい。

『横浜美術館リニューアルオープン記念展 いつもとなりにいるから 日本と韓国、アートの80年』

開催期間:開催中~2026年3月22日(日)
開催場所:横浜美術館
神奈川県横浜市西区みなとみらい3-4-1
開館時間:10時〜18時 ※入館は17時30分まで
休館日:木、12/29(月)~1/3(土)
観覧料:一般 ¥2,000
https://yokohama.art.museum

はろるど

アートライター / ブロガー

千葉県在住。WEBメディアを中心に、アート系のコラムや展覧会のレポートを執筆。日々、美術館や博物館に足を運びながら、作品との出会いや発見をSNSにて発信している。趣味はアートや音楽鑑賞、軽いジョギング。そしてお酒を楽しむこと。

はろるど

アートライター / ブロガー

千葉県在住。WEBメディアを中心に、アート系のコラムや展覧会のレポートを執筆。日々、美術館や博物館に足を運びながら、作品との出会いや発見をSNSにて発信している。趣味はアートや音楽鑑賞、軽いジョギング。そしてお酒を楽しむこと。