フランスにおける「出版エコシステム」はいまもなお健在だ。年間の刊行点数はおよそ7万5000冊。30年前の3倍にまで増えた。全国に3000店以上ある独立系書店は、世界でも最も密度が高いネットワークのひとつであり、法律で定められた「書籍の固定価格制度」によって、大型店との過度な競争から守られている。
出版業界は国の補助金も多く、「国立図書センター(Centre National du Livre)」が作品の刊行や翻訳、書店・出版社への支援を通じて出版文化を支えている。一方で、市場全体の売り上げの75%を5つの大手グループが占めるなど、業界は高い偏りを見せている。
そうしたなか、2000年代以降、アートやグラフィック、写真を中心に、数多くの独立系出版社が誕生した。彼らは現代の創作活動を支える重要な存在だ。2010年から始まったパリのアートブックフェア「オフプリント(Offprint)」では、こうした出版社が毎年集まり、若い世代からも高く支持されている。アートブックを評価する賞も多く、「ジャム・ル・リーヴル・ダール賞(J’aime le livre d’art)」や「ボブ・カル・アーティストブック賞(Bob Calle)」などがよく知られている。
本稿では、現在のフランスで注目されている独立系出版社のアール・ヴィー・ビー・ブックス(RVB Books)、エディシオン・ベー・キャラントドゥ(Éditions B42)、フィデル・エディシオン(Fidèle Éditions) の3社を紹介する。いずれも12月11日〜21日に開催されるTOKYO ART BOOK FAIRに出展する出版社だ。
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本を“作品”へと引き上げる、「アール・ヴィー・ビー・ブックス(RVB BOOKS)」
アラダン・ボリオリ/アピアンによる 『ルーシュ、2400 A.E.C.』(2020年)は、蜂の巣の歴史を辿る小冊子で、アール・ヴィー・ビー・ブックスを代表するベストセラーのひとつ。2011年創業のアール・ヴィー・ビー・ブックス (RVB Books) は、実験的な写真作品を中心に、本というメディアが持つ表現の可能性を追求してきた出版社だ。ドキュメンタリー性が重視される潮流のなかで、冊子をひとつの実験場として扱うアーティストとともに歩んできた。
「私たちが惹かれるのは、本を作品の最終形として捉えるアーティストです。単なる資料やカタログではなく、本自体が作品として成立していることを望んでいます」と語るのは、共同創業者のレミ・フォーシュー(Rémi Faucheux)。もうひとりの共同創業者、マチュー・シャロン(Matthieu Charon)とともに、プロジェクトごとに最適なかたちを丁寧に探りながら本をつくっている。
マリナ・ガドネクスの 『フェノメン』(19年)。火山噴火を思わせる煙の噴出など、自然現象を再現しようとする科学実験の瞬間をとらえている。そのアプローチは、作家との長い協働関係にも繋がっている。たとえばマリナ・ガドネクス(Marina Gadonneix)の作品『フェノメン(Phénomènes)』(19年)では、自然現象を再現する科学的装置をテーマにした写真をもとに、撮影の初期段階から模型をつくり、構成、リズム、色の印象を数年かけて練り上げていった。
アール・ヴィー・ビー・ブックスは撮影初期からガドネクスを支え、反復するイメージの構造やリズムを作家とともに本に落とし込んでいった。
生々しく鮮烈な色彩が、本の視覚的インパクトを一層高めている。新しい才能の発掘にも積極的で、毎年1〜2冊、デビュー作家の本を手掛ける。スペイン人写真家オスカル・モンソン(Óscar Monzón)の『カルマ(KARMA)』(13年)もそのひとつだ。車と運転者の関係をテーマに、強いフラッシュで撮影したこのシリーズを、作家は大判の縦長フォーマットと光沢紙で表現したいと提案。印刷上の難しさを乗り越え実現し、同作は世界的な写真フェア「パリ・フォト」で開催される「パリフォト―アパチャーファウンデーション・フォトブックアワード(Paris Photo–Aperture Foundation PhotoBook Awards)の「ファースト・フォトブック・アワード(First PhotoBook Award)」を受賞した。
オスカル・モンソンの 『カルマ』(13年)は、刊行年に 「パリフォト―アパチャーファウンデーション・フォトブックアワード」の 「ファースト・ブック・アワード」を受賞した。
オスカル・モンソンは、制作したい本のイメージを明確に抱いていた。アール・ヴィー・ビー・ブックス はおもに制作面をサポートし、当時は難しかったコート紙への印刷に取り組んだ。アール・ヴィー・ビー・ブックスが手掛ける本は限定版から一般流通する本まで幅広い。エリック・ケッセルス(Erik Kessels)の『インコンプリート・エンサイクロペディア・オブ・タッチ(Incomplete Encyclopedia of Touch)』をはじめとする人気タイトルから、トマ・マイランダー(Thomas Mailaender)との30部限定のシアノタイプ作品まで多岐にわたる。なかでもマイランダーの本は発売後すぐに完売し、テート美術館やポンピドゥー・センターのコレクションへと収蔵された。「私たちにとって、こうした美術館に収蔵されることはとても象徴的な意味があります」とフォーシューは語る。
エリック・ケッセルスの『インコンプリート・エンサイクロペディア・オブ・タッチ』(24年)は、さまざまな物に触れる匿名の人々の写真を集めたものだ。
植物からドアまで、収集された写真は“普遍的な身ぶり”を軸にテーマごとに整理されている。ヴァナキュラー写真(一般人が撮った写真)の名編集者による創造的な再解釈が、今回も見事な一冊を生み出している。一方で、写真愛好家だけでなく、一般読者にも愛される本づくりにも取り組む。たとえば、アラダン・ボリオリ/アピアン(Aladin Borioli/Apian)による『ルーシュ、2400 A.E.C. (Ruches, 2400 A.E.C.)』は、蜂の巣の歴史を写真とグラフィックでまとめたユニークな小型本で、アール・ヴィー・ビー・ブックスのベストセラーのひとつとなっている。
『ルーシュ、2400 A.E.C.』。手に取りやすいサイズと題材も相まって、幅広い読者を魅了した。今年のTOKYO ART BOOK FAIRでは、写真家・河野幸人が運営する金沢のギャラリー兼書店 「アイアック(IACK)」 が アール・ヴィー・ビー・ブックスの本を紹介する予定だ。フォーシューとシャロンは「いつか自分たちも日本へ行き、直接本を紹介したい」と語る。
25年11月、パリのオフィス兼ギャラリーにて。アール・ヴィー・ビー・ブックスの共同創業者、マチュー・シャロン(左)とレミ・フォーシュー(右)。---fadeinPager---
タイポグラフィとデザインに光を当てる、「エディシオン・ベー・キャラントドゥ(Éditions B42)」
エディシオン・ベー・キャラントドゥの書籍は、緻密に設計されたタイポグラフィと、一般的にミニマルに抑えられがちな表紙スペースを独自のデザインによって差別化。一目でその存在を識別できる。グラフィックデザイナーのアレクサンドル・ディモス(Alexandre Dimos)は、パリの著名なデザインスタジオ「スタジオ・ドヴァランス(studio deValence)」に参加した後、08年にエディシオン・ベー・キャラントドゥ(Éditions B42) を設立した。グラフィック、建築、ファッション、プロダクトなどのデザインに関する重要な書籍をフランス語で出版することを使命に掲げている。
最初は、スイスのタイポグラファー、ヨスト・ホッホリ(Jost Hochuli)の『ル・デタイユ・アン・タイポグラフィ(Le détail en typographie)』(15年)など、これまでフランス語版のなかったデザイン理論書の翻訳から始まった。その後、ポストコロニアル研究やクィア・スタディーズなど、若い世代に人気があるテーマを扱う「Culture」シリーズなど、多彩なコレクションを展開していく。
特徴は、カバーデザインの強さだ。タイトルが全面を占め、裏側にまわされることの多い紹介文もカバーにまとめられている。スタジオ・ドヴァランスが一貫してデザインを担当しつつも、作品ごとに“入り口”となる視覚的な導線を変えている。
「読者がどのように本へ入っていくのかを常に考えています」とディモス。独立系出版社で、スタッフは創業者を含めて3人という小規模な B42 は、棚で存在感を示すために、あえて大胆なデザインを提案しているのだ。
制作工程の全体を把握しているからこそ、目次の扱いを定型化せず、書籍ごとに固有のアイデンティティを与えることができる。テキストの扱い方にも思想がある。「フランスでは思想や研究が重視され、デザインが対等に扱われない傾向があります」とディモスは続ける。
「たとえば、テキストは均等割付にすべきだという考え方が強い。でも、短い文章や特別なリズムが必要な文章では左揃えの方がいい。ページの余白や配置を工夫することで、テキストとイメージの関係に動きを生み、読者へ問いかけることができるのです」
そのいい例が、ホッホリの『アン・デザイン・ドゥ・リーヴル・システマティック?(Un design de livre systématique ?)』(2020年)だろう。ジョン・モーガン(John Morgan)による序文が、後半に登場するホッホリのテキストを“囲む”ようにデザインされている。
ヨスト・ホフリの 『アン・デザイン・ドゥ・リーヴル・システマティック?』(20年)は、前書きが後半に登場する本文を挟み込むように配置された、ミラー構造のレイアウトを採用。序文が、後ろの章に登場するテキストを額縁のように取り囲む構成となっている。
後半のテキストのページ。序文が置かれていた箇所には画像が置かれ、テキストを囲んでいる。B42 はアートブックも制作しており、イラストレーターのヨッヘン・ガーナー(Jochen Gerner)によるフェルトペンとインクを使ったシリーズ『ワゾー(Oiseaux)』『シアン(Chiens)』『フロマージュ(Fromages)』(刊行予定)など、身近なモチーフを色と線だけで立体的に見せる新鮮な表現が人気だ。また、日系英国人画家クリスチャン・ヒダカ(Christian Hidaka)の作品をまとめた英文併記の画集も制作しており、デ・キリコのように建築が重要な役割を果たす独自の世界観が楽しめる。これらの書籍は IDEA Books を通じて日本へも届けられる予定だ。
イラストレーター、ヨッヘン・ガーナーの 『ワゾー』(21年)は、罫線入りノートに描かれた鳥の絵をまとめた作品。イラストレーターの寄藤文平の『ラクガキ・マスター 描くことが楽しくなる絵のキホン』(16年)では、想像力を育てるための専門的なアドバイスを紹介している。
イラストレーター、ヨッヘン・ガーナーは、多様な鳥類を描き分けることで、色彩とフォルムの変化を楽しませてくれる。一方、寄藤文平は、明快な視覚的説明によってフランスでも広く支持を得ている。実は、ディモスは日本との縁が深い。12年にヴィラ九条山でのレジデンスに参加したことをきっかけに、当時は小学校で開催されていたTOKYO ART BOOK FAIRを初めて訪れた。その際に出会ったのが、教育的でユーモラスなイラストで知られる寄藤文平である。B42 はその後、寄藤の本を出版し、累計約1万2千部という同社では異例のヒット作になった。今年のTOKYO ART BOOK FAIRにはディモス本人が参加し、独立系出版社としての姿勢を伝えるという。
エディシオン・ベー・キャラントドゥの創設者、アレクサンドル・ディモス。手にしているのは、日英混血の画家クリスチャン・ヒダカのモノグラフだ。---fadeinPager---
リソグラフィから“理想の本棚”をつくる、「フィデール・エディション(Fidèle Éditions)」
25年11月、オフプリント・パリに出展したフィデール・エディションのブース。ファンがつくるファンのための雑誌「ファンジン」が好きだったヴァンサン・ロンギ(Vincent Longhi)は、雑誌『ベル・イラストラシオン(Belles Illustrations)』を通じてリソグラフィに出会った。リソグラフィとは、安価に多色印刷ができる技術で、仕上がりはオフセット印刷に近い。1980年代に理想科学工業が独自のインクや機械を開発し現在のかたちになった。近年、環境負荷の低さや鮮やかな色使いで注目が再び高まっている。
ロンギは当初、雑誌『フィデール(Fidèle)』や自費出版の本を刊行するために出版社『フィデール・エディション(Fidèle Éditions)』を立ち上げ、その後 リソ印刷機を借り、印刷スタジオを始めた。SNS で制作過程を積極的に発信したこともあり、大きな反響を呼び、「鮮やかな色面」や「軽やかな質感」で知られるフィデール・エディションのスタイルが確立した。
マガリ・カゾの 『パサージュ』(25年)は、アーティストの親密な世界にそっと触れられる、リソグラフ印刷の小型シリーズ「コンフィダンス」のなかの一冊。リソグラフィで印刷した本は刊行物の中心にある。特に「コンフィダンス(Confidens)」シリーズは、アーティストの短いテキストに小さなドローイングを添える構成で、作家と読者の距離を縮めるような親密さが魅力だ。ロンギは、このシリーズの最新作、マガリ・カゾー(Magali Cazo)の『パサージュ(Passages)』(25年)を4000部以上刷り、「自分が目指してきたリソグラフィの到達点を達成した」と語る。
カゾが描く風景は、夜明けと夕暮れ、明暗のあわいを行き来しながら、どこまでも広がっていくようだ。
近年は印刷スタジオの業務を終了し、出版社としての活動に注力している。ビジュアルへのこだわりは変わらず、コレクションはますます多彩さを増している。アートブックでは、マノン・セザロ(Manon Cezaro)の『テラン・グリッサン(Terrain Glissant)』(24年)が印象的だ。白いボードにカラーペンで描いた作品をスキャンし、消してしまうという儚さを抱えたシリーズで、本のサイズやインクの匂いなど、どこか学校の思い出を呼び起こすような仕掛けが随所にある。
マノン・セザロの 『テラン・グリッサン』(24年)。児童が使う白い学習用の小さな白いスレートを、サイズから描線、そしてインクの匂いにいたるまで再現した驚くほど緻密な作品だ。
スレートに一枚ずつ絵を描き、スキャンした後に消去するという工程を経てつくられた。すでに存在しない一連の作品をアーカイブした本だ。ロンギはアングレーム美術学校の出身で、同地は国際漫画祭の開催地としても知られている。そのため漫画への思い入れが強く、フィデール・エディションの出版ラインにも反映されている。ここで出版される漫画は、鮮やかな色彩や独特の構成により、ほぼアートブックの域に達している。たとえば、環境をテーマに共同生活を描くマルゴ・デュセイニュール(Margaux Duseigneur)の『アプレ・ラ・プリュイ(Après la pluie)』(25年)や、かたちと色が爆発するような世界を旅するクリス・ハーナン(Chris Harnan)の『ビッグ・プール(Big Pool)』(25年)などがそれだ。
マルゴー・デュセニュールによる、鮮やかな色彩が特徴のコミック作品 『アプレ・ラ・プリュイ』(25年)。
ユートピア的な物語は、土を耕し、生を尊び、互いを気遣うという営みから出発し、現代社会の不安から解放された、理想的な共同生活の姿を描き出す。「フィデール・エディションの刊行物そのものを、私はひとつの創作として考えています」とロンギは語る。
「漫画やグラフィックだけではなく、絵画やドローイングもある。でも共通して大事にしているのは、自由さや個性、そして“何かをつくりたい”という気持ちを刺激してくれるような声です。『リソは日本語で “理想” を意味する』そうですが、その言葉の通りの本を目指しています」
英国人イラストレーター、クリス・ハーナンによる 『ビッグ・プール」(25年)。
一種のイニシエーションの旅ともいえる物語は、変化に富むページ構成と豊かな象徴表現によって、読者の想像力を広げていく。長い間、TOKYO ART BOOK FAIRへの参加を待ち望んでいたロンギは、「日本の読者に見せたい」と胸を張れるだけの作品が揃ったいま、12月11〜14日の第1週目に参加する予定だ。今後、日本でのディストリビューターの獲得も目指している。
──アール・ヴィー・ビー・ブックス(RVB BOOKS)、エディシオン・ベー・キャラントドゥ(Éditions B42) 、そしてフィデール・エディション(Fidèle Éditions)。本という文化のいまを担い、刺激し続けるパリの独立系出版社の作品を、機会があればぜひ手にしてみて欲しい。
アール・ヴィー・ビー・ブックス(RVB BOOKS)
https://rvb-books.com/
エディシオン・ベー・キャラントドゥ(Éditions B42)
https://editions-b42.com
フィデール・エディション(Fidèle Éditions)
https://fidele-editions.com/
『TOKYO ART BOOK FAIR 2025』
開催期間:
【第1週】12/11 12時〜19時(最終入場18時30分) 12/12〜14 11時〜18時(最終入場17時30分)
【第2週】
12/19 12時〜19時(最終入場18時30分) 12/20〜21 11時〜18時(最終入場17時30分)
開催場所:東京都現代美術館 東京都江東区三好4-1-1
入場料:一般 日時指定オンラインチケット¥1,165(手数料込み)、当日券¥1,200、小学生以下無料
https://tokyoartbookfair.com