作品の多くがニューヨーク近代美術館に所蔵され、ブックデザインの世界で最も影響力のある巨匠。本づくりに人生をかける、イルマ・ボームの信念に迫る。
自由かつ多彩な表現をかたちにしたアートブックがいま、面白い。本特集では、数々の傑作をたどりながら、つくり手たちの言葉を紐解き、さまざまなアートブックに出合える書店やフェアまで網羅した。自分だけの一冊を見つけ、奥深いアートブックの世界をともに語り尽くそう。
『アートブックを語ろう』
Pen 2026年1月号
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インターネットの時代、再評価される本という存在
手にした本に目を向けながら、「本というものは、さまざまなハイテク技術が進化する中で、未来に対していちばん安定した対応性を持つ媒体です」と語る、ブックデザイナーのイルマ・ボーム。これまでに500冊以上もの作品を手掛けてきた、本づくりの巨匠と呼ばれる人物である。
「編集した文章や画像を、紙に印刷して束ねた本というアナログな媒体は、その誕生からほとんど形状を変えていません。その安定性のおかげで、私たちはいまでも数百年前に記された思想に出合うことができます。これほど不変で堅実な媒体はほかにありません。芸術表現のひとつとして、文明の一部として、私は本に深い敬意を抱いています。だからこそ、人生をかけて本の限界に挑み、その進化に貢献していきたいのです」
彼女の本が初めて脚光を浴びたのは1988年。前年度に発行された切手の誕生プロセスを紹介した『ダッチスタンプブック1987/1988』は、イルマ自身が構成を手掛け、100%アナログな手法でデザインしたもの。この本で、彼女はオランダのベストブックデザイン賞を受賞した。
「コンピューター普及以前のアナログの時代に、時間と手間がかかるスロープロセスでブックデザインを始めたことは幸運でした」と当時を振り返る彼女は、いまもなお、本全体を実物大でデザインすることから制作を始める。しばしば複数のダミーをつくり、モニターではなく「紙を束ねた立体物」を前に、手を使って思考するのだ。
インターネットの時代が到来した96年、イルマの名前を世界に轟かせる名作が誕生した。全2136ページ、重量3.5㎏の大作『SHVブック』だ。創立100周年を迎えたオランダの一族企業SHVホールディングスが、社史と企業理念を未来の株主に継承するためにつくられた本である。依頼主のSHV社長が出した唯一の条件は、これから500年存在し得るものであること。それを満たせば、本である必要はなかった。媒体も形状も内容も、共同制作者で美術史家のヨハン・パインアッペルと、イルマのふたりに一任された。
本というものは、未来に託す「現在の知」
「まだDVDすらなかった時代。当初、最新の媒体といわれたCD−ROMも検討しました。でも調べてみると、技術の進化は目まぐるしく、瞬く間に過去の遺物となり再生不能になる。500年後にも確実に読み取ることができる媒体は、本だけだと確信しました」
企業と一族のアーカイブ画像や文章が収録されたものだが、膨大なページ数にもかかわらず、ノンブルや目次は用意されていない。
「探しているものは見つからず、予期せぬ発見は山ほどある。そんなインターネット的な、ブラウズ(偶発性を伴う探索行為)することを狙った本」と、イルマはコンセプトを説明。それは、既存の記念本の概念を覆しただけではなく、最終ページに向かって直線的に読み進む、読書の概念をも刷新するものだった。完成から30年経ったいまもその新鮮さが色褪せないのは、本という媒体固有の普遍性ゆえだと彼女は語る。
「本は、ほかのメディアに比べて進化が遅い。それでも、新しく生まれるテクノロジーが、新たな視点で本のあり方を見つめる機会を与えてくれます。SHVブックは、インターネットの存在がなければ生まれ得なかった作品です」
日進月歩のテクノロジーの発展は、媒体としての本の特性を際立たせ、その物質性と、読書という行為の身体性への回帰を、逆説的に誘引する。本の長い歴史を研究し、その未来を自らの課題とするイルマは、本はいま、再評価され始めていると見ている。
「印刷された文字には、モニター上のものとはまったく異なるセンセーションがあります。インクの匂い、紙の手触りやそれが擦れ合う音、物質としての重量といった身体性によるものです。ネット上の断片的で、身体的リアリティのない高速コミュニケーションは、人を受け身にする。それに対して、本は考えるための遅さを与え、本という物体に働きかける身体性と能動性を呼び起こします」
2018年に制作した『ヴィクター&ロルフ:カバーカバー』は、そんな物質性や身体性を極限まで具現化した作品と言える。ファッションデザイナーのデュオ、ヴィクター&ロルフが表現し続けてきた実験的な世界観を、印刷物で再構築した一冊だ。タイトルが示唆するように、全ページがカバーで、8ページの観音開き仕様。本体サイズは37×29㎝、左右ページを全展開すると幅は1mにもなる。折りたたまれたページを展開していくたびに、新たなビジュアルの組み合わせが現れるという刺激的な仕掛けが、見る者の能動性と身体性にスイッチを入れる。いま改めて手に取ると、この本は、AIに駆られ、身体的リアリティを欠いた世界で、人々が再び身体を介した知覚を渇望する近未来へのマニフェストにすら見える。
ある時点でのアイデアや思想を、綴じて固定する「本」。それは、未来における参照点として「現在の知」を綴じるものでもある。求めるべきブックデザインの解は、多くの場合、既にコンテンツの中に潜んでいるとイルマは言う。そこにフォーカスすることで、ブックデザインは必然の結果として現れてくる。だから彼女は、コンテンツのディレクションや編集にも深く携わる。そのためには、依頼者との対等な信頼関係も不可欠だ。本づくりとは、協働による創造。相乗効果なくしてエネルギーは生まれず、エネルギーなくして成功はない。それが、コンテンツと不可分な固有性を持った本をつくり続けるブックデザイナー、イルマ・ボームの信念だ。
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いまもなお進化を続ける、奇才の本づくり
イルマ・ボームの本づくりは、まさに時代を本に綴じ込むような行為であり、その制作意欲は、約40年のキャリアを経たいまもとどまることを知らない。ここからは、近年に制作された作品の中から、傑作と言える5冊を紹介しよう。
オランダのファッションデザイナーデュオ、ヴィクター&ロルフの作品集
『Viktor & Rolf : Cover Cover』(2018)

建築家レム・コールハース率いるAMO/OMAによる展覧会のために制作された
『Diagrams』(2025)


アムステルダムのEyeフィルムミュージアムで2026年2月まで開催されている、ティルダ・スウィントンの展覧会の公式カタログ
『Tilda Swinton Ongoing』(2025)


グリメルスホルス財団のプライベートアートコレクションの作品を収録した
『The Grimmerschors collection』(2015)

フランスの自動車メーカー・ルノーのために、企業哲学やイメージを視覚的に表現した
『Renault = Présent』(2016)


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