【能登のいま】震災に耐えた「黒瓦」からアートへの再生物語。再び歩き出した風景を訪ねて

  • 文:はろるど
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高台から見る珠洲市狼煙地区の街並み。黒い能登瓦の屋根が連なる様子を望むことができる。提供:一般社団法人瓦バンク

能登半島地震からの復興に向けて一歩ずつ前へ向かう石川県珠洲市。ここには能登瓦と呼ばれる黒い瓦屋根の家屋が少なからず点在し、豊かな自然と呼応しながら、奥能登ならではの独特の景観を形づくっている。

一般社団法人・瓦バンクでは、現在、地震で倒壊した家屋から無事だった瓦を「レスキュー瓦」として回収し、屋根の修繕や新しい建物への再利用を進めている。またその瓦を建築の意匠やアート作品として活かし、能登の黒瓦の魅力を後世へつなぐ取り組みも行っている。

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波穏やかな内浦とは対照的に、起伏に富んだ断崖地形が続く外浦。木ノ浦海岸では地震の影響により、海岸線が大きく後退し、かつての海底が露出している。Photo:harold

震災後に生まれつつある新しい能登の景色や、レスキュー瓦を用いた建築、そして瓦をテーマとしたアート展を巡りながら、黒瓦が描き出す能登の“いま”をご紹介したい。

能登の黒瓦とは?黒く艶のある色と無骨な造形が魅力

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一般社団法人・瓦バンク代表の森山茂笑(左)とディレクターの吉澤潤(右)。森山は石川県内で唯一、神社仏閣の屋根に用いられる鬼瓦を制作する専門の職人、鬼師(おにし)として活動している。提供:一般社団法人瓦バンク

高温で焼きしめられることで高い強度を持ち、雪や塩害に耐えるため両面に黒い釉薬が施される能登瓦。他の地域よりも大ぶりなサイズと、黒く艶のある色合いが相まって、無骨で力強い造形を生み出している。かつては地場産業として珠洲の土を使って瓦が作られていたが、住宅様式の変化や担い手不足などの影響から、能登での瓦の生産はおよそ30年前に姿を消してしまう。

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瓦バンクによってレスキューされた能登瓦。一枚3〜4キログラムとずしりと重い。同じ石川県内の小松瓦が畳一坪あたり53枚(53判)敷き詰めるのに対し、能登では49枚敷く(49判)。よって能登瓦の方が大きい。提供:一般社団法人瓦バンク

2024年1月1日に発生した能登半島地震では、黒い能登瓦で屋根を葺いた伝統的な家屋も多く倒壊した。当初は「瓦が重いため家が潰れた」といった声もあったが、実際には祭礼などで大勢を招く“よばれ”の風習から1つの部屋を広くとる独特の構造や、旧耐震基準のまま残っていた住宅の脆弱さが主な要因とされている。とはいえ、被害を受けた家屋の解体が進むなかで、貴重な能登瓦が大量に廃棄されかねないという問題が浮上する。---fadeinPager---

一般社団法人・瓦バンクが取り組む「瓦レスキュー」

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瓦バンクの活動に協力する、株式会社矢野本家謹製瓦の敷地内にストックされたレスキュー瓦。現在、倒壊した家屋から約2万枚もの能登瓦が救い出されている。Photo:harold

この能登瓦を救おうと立ち上がったのが、鬼瓦職人・森山茂笑を代表とする「瓦バンク」だ。森山らは、2023年9月から瓦素材を活かした商品ブランド「GAWARA」を展開し、地元の瓦の魅力を全国へ発信してきた。 

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能登では一般的な家屋で2000〜3000枚、大きな場合は5000枚ほどの瓦が屋根に用いられているという。Photo:harold

しかし地震発生後、被災地に足を運ぶなかで、能登瓦が打ち捨てられようとしている現状を目の当たりにし、「瓦バンク」プロジェクトを立ち上げる。高い強度を誇る能登瓦は、家屋が倒壊してもなお原型を保つものが少なくなく、救出の可能性を十分に秘めていた。

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珠洲市正院町の本住寺での瓦レスキューの様子。提供:一般社団法人瓦バンク

倒壊した建物からどのように瓦を回収すればよいのか…?手探りではじまったプロジェクトに大きな転機が訪れたのは、珠洲市において復興住宅の建設など被災地支援を行っている建築家の坂茂とつながったこと。瓦レスキューの試みに賛同した坂茂の協力を得て、瓦バンクは地震から5ヶ月後、坂茂建築設計と珠洲市内にて瓦回収を本格的にスタート。その後、同市内の専念寺や本住寺など倒壊した寺院の瓦を次々とレスキューしていった。

「あみだ湯」にて瓦をテーマとしたアート展が開催!

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海が見える銭湯として親しまれる「海浜あみだ湯」。能登半島地震によって水道インフラは壊滅的な被害を受けたが、地下水を汲み上げ、薪のボイラーでお湯を温めていたあみだ湯では水の確保が出来た。そのために地震より1ヶ月もかからないうちに営業を再開し、被災者に開放した。Photo:harold

羽田空港より1時間、のと里山空港から車に揺られること約50分。珠洲市中心部にほど近い海岸沿いに位置する銭湯「海浜あみだ湯」では、瓦バンクの主催によるアート展覧会、『アウトサイド』が開かれている。企画を担当したのは元国立工芸館特定研究員の石川嵩紘だ。

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展覧会場の待合室で、『アウトサイド』の作品について語る石川嵩紘。石川の右手に見えるのは、大和楓による《ぽよぽよ新聞 瓦版》(2025年)。《ぽよぽよ新聞》とは、大和が2021年より毎月発行している新聞形式の作品シリーズで、時事の話題や身の回りの出来事をユーモラスと批評精神をもって綴っている。今回は瓦バンクのメンバーなどに取材を行い、その声をもとに紙面を構成している。能登瓦の産業史も綿密にリサーチした大変な労作だ。提供:一般社団法人瓦バンク

いずれも被災地を訪ね、能登と関わってきた6名の作家が、能登瓦を素材、あるいはテーマした作品を展示している。石川は「アウトサイド」の意味や、企画した背景について次のように語る。

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山本基《「モノクローム」 - 記憶への回廊》(2025年)。「塩」を素材にしたインスタレーションで知られる山本は、「奥能登国際芸術祭2020+」で塩のブロックを積み上げた《記憶への回廊》(2021年)を恒久展示作品として発表。その後、能登半島地震によって倒壊してしまうが、あえて修復を行わず、崩れたままの姿を残すという選択をした。本作では、能登瓦を支持体に用い、《記憶への回廊》を想起させる紋様をアクリル絵具で描き出している。なお山本が曲面に作品を描いたの初めて。Photo:harold

「タイトル『アウトサイド』には、いくつかの意味を込めています。まずは金沢で暮らす私自身の立ち位置です。小松市を拠点とする瓦バンクと同様、私は被災者ではない外部の人間として震災と向き合ってきました。その部外者の立場でも、能登の瓦が持つ歴史に光を当て、瓦をモチーフとしたアートを介して、地域やさまざまな人々をつなげられないかと考えました。だからあえて地元の人々が日常的に集う銭湯を会場として選んだのです」

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池田杏莉《それぞれのかたりて / あしたも おはよう》(2025年)。震災後、ボランティアとして10回以上も能登を訪れてきた池田は、現地で見た風景や人々の声を作品に結びつけてきた。本作では、地震で割れた能登瓦の欠片と、和紙に描いたドローイングを組み合わせ、新たな立体作品として構成している。一見すると写真ではわからないが、和紙には被災地の光景が淡く描かれていて、時間の経過とともに黄ばむ紙の上で、少しずつその姿を現していくという。Photo:harold

 

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七尾旅人《呼び声》(2025年)能登半島地震に思いを寄せるシンガーソングライター、七尾旅人による作品。倒壊した建物から回収された能登瓦に新作の詩、《呼び声》を書き下ろしている。震災の現実を真正面から受け止め、生々しい筆触を残した一つひとつの言葉の魂が、瓦へと乗り移ったような迫力が感じられる。Photo:harold

 「『アウトサイド』には、珠洲という土地の地理的な意味も重ねています。県の先端に位置し、中心から離れたこの場所で営まれる日常や、地域から生まれる声に耳を澄ませたいと考えました。また瓦という素材が屋外で風雨にさらされながら、長い時間をかけて地域の風景を形づくってきた存在であることも、この言葉と響き合っています」

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宮崎竜成《物質と記憶》(2025年)。宮崎の住む金沢から珠洲のあみだ湯までを日々、車で往復し、会期中に公開制作される作品。金沢では前日の出来事を日記のように破損した能登瓦に描き、その瓦をあみだ湯に持参して砕く。粉砕した瓦はパウダー状にし、絵具として能登の家屋や風景を描くために用いるという。また車の運転や制作の様子は映像で記録され、後に映像作品として発表される。※写真は作家提供

 

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仮( )-かりかっこ- 《仮(切籠)》(2025年)。2017年に珠洲へと移住した現代美術家・新谷健太と楓大海によるアートコレクティブ・仮( )-かりかっこ-。新谷は「海浜あみだ湯」の経営にも携わっている。今回は珠洲の祭りで使われる大型の灯籠「キリコ」(直方体の山車)型の構造物を組み上げ、野外にて展示している。Photo:harold

「能登半島地震への支援は決して十分ではなく、発災から2年が経とうとするいま、関心が薄れつつあることを危惧しています。そもそも珠洲には地震以前から、人口減少や著しい過疎化という大きな課題を抱えていました。だからこそまずは若い作家に参加してもらい、若い世代の人たちに関心を向けてもらいたい。そして何より、この展覧会をきっかけに一人でも多くの方に珠洲へ足を運んでほしい。そんな思いから本展を企画しました」---fadeinPager---

お寺の黒い瓦が地域の集会所の屋根材としてよみがえる

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能登半島地震で建物が倒壊し現在、更地となっている正院町の本住寺。提供:一般社団法人瓦バンク

海浜あみだ湯のある一帯から車で東へ向かうと、家屋の撤去のされた跡が残る更地が多く目に付く。珠洲市正院(しょういん)町は、地震の揺れが激しく、特に多くの家屋が全壊したエリア。古い木造住宅に加え、町内に8つあった寺院もすべて倒壊するという大きな被害を受けた。そのうちのひとつ、創建400年以上の歴史を持つ日蓮宗本住寺も、本堂と庫裏、山門が全壊し、現在は更地となっている。 

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地震で全壊した本住寺の様子。瓦レスキューでは能登瓦とともに、本堂の下にあるご本尊も救い出された。提供:一般社団法人瓦バンク

本住寺で瓦レスキューが行われたのは、2024年9月のこと。全国から結集した多くの若い僧侶たちと協力しながら、かつて珠洲で製造され、約30年前に葺き替えられたという瓦を回収する。本堂はぺしゃんこに崩れていたものの、瓦のほとんどが割れずに残っていたというから、その強度の高さがうかがい知れる。

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珠洲市見附島仮設住宅エリアにある集会所。県内産の杉材を用いたという集成材「DLT」による温もりのある外観と、黒光りする能登瓦の屋根が見事に調和しているように見える。Photo:harold

本住寺でレスキューされた能登瓦は、いまどこへ行ったのか。その行き先は、珠洲市南西部、能登のシンボルとして有名な見附島の近くにある仮設住宅エリアの集会所だ。ここでは坂茂建築設計の手によって、本住寺で回収された瓦が屋根材として再び命を吹き込まれている。

なお同寺では、新たな祈りの場を生み出そうと、坂茂建築設計によりお堂の建築プロジェクトが進行している。その屋根にも、この地を覆っていたレスキュー瓦が再利用される予定だ。瓦がつなぐ祈りのかたちは、復興のひとつの象徴として息づきはじめている。

能登半島さいはてのまちに残る、能登瓦が生み出した美しい景観

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能登半島「さいはてのまち」と呼ばれる狼煙地区。「道の駅 狼煙」では、地元の農産物をはじめ、珠洲の特産品「大浜大豆」を使用した豆腐や豆乳のソフトクリームなどが販売されている。現在、地震及び人手不足により営業日・営業時間を短縮している。(週末のみ営業中)提供:一般社団法人瓦バンク

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右手奥に見えるのが、能登半島の最先端に建つ禄剛埼灯台。ちょうど外浦と内浦との接点にあり、「海から昇る朝日と、海に沈む夕陽」が同じ場所で見られることで知られている。Photo:harold

里山と里海、そして黒瓦が一体とって築かれた奥能登の美しい景観。それを求めて能登半島の先端、珠洲市の最北に位置する狼煙(のろし)地区を訪ねたい。道の駅狼煙をはじめ、明治時代に造られた白亜の灯台で、いまも現役として稼働する禄剛埼灯台などの観光スポットも点在する漁村だ。

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日本財団の復興支援のプロジェクトの第1弾として、2025年7月にオープンした「狼煙のみんなの家」。屋根には同じ狼煙地区で倒壊した家屋の黒瓦が、約3000枚再利用されている。Photo:harold

また狼煙地区では、道の駅と仮設住宅のすぐ隣にレスキュー瓦を用いた「狼煙のみんなの家」も建っている。これは伊東豊雄が代表を務めるNPO法人「HOME-FOR-ALL」が企画し、被災地の住民の交流を促進するために作られたもので、奥能登4市町村で5ヶ所計画されているうち、最初に完成した。能登ちょうちんの照明がぶら下がる屋内には、機能的な厨房も整備され、現在では地域の人々向けに食堂やワークショップなどのイベントが行われている。

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禄剛埼灯台のふもとに50世帯、100人が暮らす狼煙地区の黒瓦による小さな町並み。一般的に黒は無機的な印象を与えがちだが、光を受けてにわかにきらめく姿を目にしていると、不思議と土と人の営みが沁みこんだような優しさを感じてならない。Photo:harold

この「狼煙みんなの家」から禄剛埼灯台へと向かう坂道を歩くと数分、後ろを振り返ると、漁港を背に立ち並んだ黒瓦の家々を望むことができる。海の風と雨に晒されながらも深い艶を宿す黒い能登瓦は、厳しくも美しいこの土地の時間を静かに映し出している。---fadeinPager---

黒い能登瓦を通して伝統的な文化を後世につなげたい

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見附島の集会所にて、インスタレーションの展示とともに朗読を行った森山晴恵。床には、森山茂笑が能登瓦を再利用して制作した、蓮華合掌宝珠と黒瓦礫(くろがわらつぶて)による作品が並んでいる。なおインスタレーションは取材日に合わせて展示した当日限りのもの。通常は地域の集会場として使用されている。提供:一般社団法人瓦バンク

最後に瓦バンクのメンバーで、森山茂笑とともに2人組クリエイター・鬼x笑として活動するアーティスト、森山晴恵のメッセージを紹介したい。

「これまで陽の光や月の光、さまざまな景色を一枚一枚映し出して屋根の波となり、人々の営みを守ってきた美しい黒瓦は、地震によってたくさんの瓦礫となってしまいました。崩れた瓦は一般的に産業廃棄物として処理されますが、貴重な文化遺産を瓦礫にしてはいけないと瓦バンクを立ち上げ、日々活動してきました」

「屋根瓦とは映してきた景色だけでなく、そこに住む人々の物語を内包している存在ではないかと感じています。この能登という風土に住む人の暮らしに寄り添うものとして、黒瓦による美しい屋根の文化を、未来にどのようにつなげ、人々に残していくのか。そうしたことを考えながら、今後も瓦のレスキューを続けていきたいと思っています」

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本住寺より正院町を見た光景。もともと家や寺が立ち並んでいたが、建物の多数は地震により倒壊し、現在はほぼ更地になっている。Photo:harold

珠洲市をはじめとした能登の被災地に入ると、一部の道路には凹凸も残り、電柱や標識は歪み、崖崩れの跡なども散見される。また損壊された家屋は公費解体によりほぼ撤去されたため、がらんとした更地も目立ち、地震の爪痕を色濃く感じさせる。

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鉢ヶ崎海岸に設置された、ラグジュアリー・ロジコ(台湾)による《家のささやき》。「奥能登国際芸術祭」の屋外常設作品のうちのひとつで、作品には市内の家にあった能登瓦が約520枚用いられている。なお地震によって「奥能登国際芸術祭」の常設作品は被災し、本作も揺れとともに津波の被害も受けたが、破損することはなかったという。Photo:harold

 

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石川県指定天然記念物、及び名勝の見附島。島の形が軍艦に似ていることから、「軍艦島」とも呼ばれている。地震の影響で南東側の半分が崩れ、姿を大きく変えてしまった。提供:一般社団法人瓦バンク

しかし隆起した海岸線や珠洲の澄んだ自然、そして豊かな海の幸を生かした食文化など、能登にはたとえ景色が変わっても、いまだからこそ見つけられる美しさと、人のぬくもりがある。わずかな潮の香りを運ぶ風、そして瓦屋根に落ちる光が時間をゆるやかに動かし、再び歩みはじめたこの地へ、足を延ばして訪ねてみてほしい。

展覧会『アウトサイド』

開催期間:開催中〜12月16日(火)
開催場所:海浜あみだ湯
石川県珠洲市野々江町ナ部5番地3
開場時間:14時〜21時
閉場日:水、木
※開場時間・閉場日は、海浜あみだ湯の営業時間・定休日に準じる
入場料:無料 ※銭湯の利用には別途入浴料が必要

『一般社団法人・瓦バンク』

「瓦バンク」は、能登半島地震によって倒壊した家屋のまだ使える瓦を保管し、屋根用の建材としてだけでなく住宅の意匠や庭の造形、あるいはアート作品としてなど、様々な方法で再利用し、能登瓦の文化を次世代に継承していくことを目的として活動している。
https://kawarabank.org