谷川俊太郎さんの翻訳は「新しい詩」になる、ライフワークとなった『ピーナッツ』との出会い

  • 文:大野 真
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谷川俊太郎さんのひらがな詩は、日本語、とくに大和言葉的な音とリズムの面白さに定評がある。ノーベル文学賞作家の大江健三郎はかつて、谷川さんの翻訳業を「日本語の言葉の面白さとリズムによって、新たに子どもの心を捉える。その難しい事業がなし遂げられて、大人の心も捉える。それは翻訳といっても、意味を移しかえるだけでなく、ここでは谷川さんが新しい詩をうたいだすというか、つくりだす興奮を経験しながら仕事をされている」と評した。谷川さんの翻訳の魅力とはなにか。

雑誌「Pen」で反響の高かった特集『みんなの谷川俊太郎。』を、再編集&新規収録ページで再構成。より読みやすく、携帯しやすい書籍スタイルでお届け。PenBOOKS『みんなの谷川俊太郎。』では、詩人・谷川俊太郎さんの活動のひとつ「翻訳」の魅力に迫った。今回、抜粋して紹介します。

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繰り返される日常が人生の真理を突く詩となる

マザー・グース、レオ・レオニ作品と並んで、谷川の翻訳業で忘れてはならないのが、チャールズ・M・シュルツの人気マンガ『ピーナッツ』の翻訳である。主人公チャーリー・ブラウンとその飼い犬スヌーピーをはじめとする仲間たちが繰り広げる、ユーモラスかつ人生の真理を突いた内容は、子どもから大人まで、世界中の人々を魅了してきた。

谷川はマザー・グースやレオ・レオニ作品とほぼ同時期、1967年に『ピーナッツ』の翻訳を開始している。その後、2019年に未刊だった作品の翻訳を手掛け、その全作品の翻訳を完成するまで、『ピーナッツ』の翻訳は足掛け50年ほどにわたるライフワークとなった。半世紀にも及ぶ仕事を振り返って、谷川自身、「なんだかずうっと『ピーナッツ』の締切があった印象なんですよ。長期に外国に行く直前に、どさっと原稿が送られてきて、ほとんど寝ずに翻訳をやったこともありました」と述懐している。

谷川と『ピーナッツ』の出会いは、60年代の欧米旅行の時期にまでさかのぼる。「ジャパンタイムズ」紙の日曜版に掲載された同作を読んだのが、最初だった。日曜版には『ピーナッツ』以外のマンガ作品も掲載されており、当初は特別な印象は抱かなかったという。自ら翻訳を望んだわけでもなく、依頼に応じて引き受けた仕事だったが、読み進めていくうちに、谷川は「自分の感性に近い」と思うようになっていった。マンガの吹き出しという短い言葉をいかに訳すかという新しい仕事にも意欲的だった。アナウンサーの渡辺真理のインタビューに応えて、谷川は次のように『ピーナッツ』の魅力を語っている。

「笑わせるとかそういうことをあんまり感じさせないで、ただ淡々とその連中の日常生活を描いているだけで、そこにユーモアみたいなものを見つけているわけですよね」

「我々、漫画のような生活をしているわけじゃなく、 普通の人は見過ごしちゃっていくところで、 けっこうクスッと笑ったりとかね、 そういうことをしているわけだから」

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『ピーナッツ』の世界は、私たちの繰り返しの日常がそうであるように、同じテーマをめぐって、類似した形式の物語が反復される。そのマンネリを問題視し『ピーナッツ』を打ち切りにした編集長が、読者からの抗議が殺到したことから、連載を再開せざるを得なかったというエピソードもあるように、この繰り返しにこそ、『ピーナッツ』の面白さがあると言える。主人公チャーリー・ブラウンはいつも野球や凧揚げで失敗し、思いを寄せる赤毛の女の子に声をかけられないでいる。彼に好意を抱くも空回りしてばかりのペパーミント パテイ、主人公を馬鹿にしてばかりのルーシーもまた、シュローダーに振り向いてもらえない。淡々とした日常の繰り返しが、人生の真理そのものを語ってくれるのだ。

谷川の詩も、短いセンテンスで日常的な言葉遣いを繰り返しながら、いつの間にか詩的な世界に読者を誘う。生活に埋没せず、かつ日常のなかにユーモアを見つける姿勢は、『ピーナッツ』と谷川の詩に通底する魅力だ。こうした翻訳の仕事は、確かに谷川の詩作と反響し合い、その後の作品に大きな影響を与える契機となった。まさにそれは、大江が言うところの、「新しい詩」の誕生へとつながったのである。

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『SNOOPY SUNDAY SPECIAL PEANUTS SERIES』
チャールズ・M.シュルツ作 谷川俊太郎訳
KADOKAWA 2024-2025年 全10巻
チャーリー・ブラウンやスヌーピーといった人気キャラクターで知られる『ピーナッツ』。アメリカの新聞での連載には、月曜から土曜までのデイリー版と日曜のサンデー版がある。サンデー版の復刻版が、お馴染みの谷川訳オールカラーで刊行。

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