不動のベストセラーを生み続け、不朽のロングセラーを多数擁する唯一無二のブランド、ロレックス。その人気はどのように築かれ、なぜ支持され続けているのか。ブランドの軌跡をたどり、その答えを探る。
2025年は腕時計の“名作”が改めてフォーカスされた1年であった。そして、名作と呼ばれる腕時計には、一つひとつの物語がある。時代を超えて受け継がれる100本の腕時計、その“物語”を読み解いていこう。
『未来へ受け継ぐ 名作腕時計、100の物語』
Pen 2025年12月号
創業と命名、そして頂点へ—。ロレックスを築いた3つの礎
①腕時計業界を歩んだ創立者の軌跡
ロレックスの創立者ハンス・ウイルスドルフは、1881年ドイツ・バイエルン州に生まれた。才気あふれる少年は語学に優れ、1900年にスイスの大手時計メーカーで英語通信員を兼務する事務職に就く。20歳前にして時計業界でのキャリアをスタートしたウイルスドルフは02年、ロンドンで有名な時計販売業者に転職し、24歳の年に起業を決断した。ロンドンのハットン・ガーデン83番地に開設された「ウイルスドルフ&デイヴィス」社が、今日のロレックスの原点である。
初期のロレックスの慧眼は、誕生して間もない〝腕〟時計に注目したことだ。当時はまだポケットウォッチが全盛の時代だった。未だ新興メーカーのロレックスは、先駆者不在の分野に将来を描いていたのである。当時の腕時計の技術はまだ未成熟で、ムーブメントもケースも衝撃に弱く、防水性・防塵性が脆弱であるというウィークポイントを克服できずにいた。それでもウイルスドルフは、それらすべてを克服する腕時計の未来を構想した。ウイルスドルフはスイス・ビエンヌのムーブメントメーカーをサプライヤーとし、英国内と大英帝国管轄国向けに腕時計を販売した。
ビジネスは大成功を収めたが、それらの製品は販売業者のブランドとして販売されていた。ウイルスドルフは自身のブランドで腕時計を販売することを期し、07年に開設していたラ・ショー・ド・フォンの事務所を本社所在地として、08年にスイスで商標登録を行う。「ROLEX」の誕生である。事務所は12年にはビエンヌに移され、スイスでの製造体制は磐石なものとなった。
②一瞬の閃きが導いたブランド名
ウイルスドルフは英国市民権を獲得してイギリスに定住し、結婚もして家族を持った。しかし販売の主戦場と定めたイギリスでは、王室御用達業者の威光が依然として強く、新興ブランドが市場を得るのは容易ではない。販売業者の商標名を冠して時計を売る風習が根強かったイギリスで、新しい「ロレックス」の商標が受け入れられるために、販売業者としては新しい手法を取った。陳列される6本ずつの時計ケースのひとつだけを「ロレックス」にすることにし、次第に増やしていくという地道な努力が続けられたのである。
一方で腕時計メーカーとしてのロレックスは、固く閉じられた扉に真正面から、性能と精度で立ち向かったのである。10年、ロレックスは腕時計ムーブメントとして初めてクロノメーター公式証明書を取得。14年にはイギリスのキュー天文台による精度テストで、初のA級証明書を獲得した。小型のため精度が出しづらいという腕時計ムーブメントの常識を克服した快挙が、ロレックスの未来を拓いたのである。
③極限の環境で実証された性能
2025年に発表された最新作
