LOS ANGELES ロサンゼルス/アメリカ

宇宙を新たな物流網として使う時代が、ついに現実味を帯びてきた。アメリカのスタートアップ、インバージョン・スペース社(Inversion Space、以下「インバージョン」と表記)が開発する宇宙輸送機「アーク(Arc)」は、地球上のどこへでも約1時間で物資を届けることを目指すプロジェクトである。
去る10月1日、インバージョンはこの「アーク」を正式に発表し、技術仕様や開発進捗、初飛行の時期を明らかにした。衛星打ち上げが常態化した今、宇宙は「観測の場」から「輸送の経路」へと変わろうとしている。
宇宙から届ける、全く新しい物流システム
「アーク」は、地球低軌道に滞在する小型の再突入カプセルである。あらかじめロケットのライドシェア(相乗り打ち上げ)によって軌道上へ運ばれ、地球を周回しながら物資の配送指令を待つ。地上からの信号を受けると脱軌道エンジンを作動させ、大気圏へ再突入。揚力を利用して飛行し、最終段階でパラシュートを開いて地上に着地する仕組みだ。滑走路を必要とせず、都市部から離れた場所や災害地域などにも直接降下できる点が特徴である。

公開された仕様によると、機体は全長約2.4m、幅約1.2mとコンパクトで、最大225kgほどの荷物を搭載できる。再突入時には最大で1000kmを超える「クロスレンジ(横方向飛行距離)」を持ち、地上の広範囲にわたる精密な誘導降下を行う。完全再使用型を想定しており、パラシュート、姿勢制御スラスター、脱軌道エンジンを統合した設計が採用されている。
既にアークの主構造となる製造開発版ユニットが完成し、落下実験や空力解析、熱防護システムの検証も進行中だという。試験機「レイ(Ray)」で得たデータをもとに、実際に軌道投入を見据えた段階に入ったことが今回の発表で示された。

インバージョン・スペース社とは?
インバージョンは、アメリカ・ロサンゼルスを拠点とする新興企業である。創業者のジャスティン・フィアスケッティとオースティン・ブリッグスは、ボストン大学で宇宙輸送工学を学んだ仲間だ。彼らは「宇宙を目的地ではなく、地球のためのプラットフォームとする」という理念を掲げ、2021年に会社を設立した。
大手航空宇宙企業が超大型ロケットを追求する一方で、インバージョンは「小さく、早く、安く」という路線を貫く。各部品を自社で設計し、試作と検証を重ねる開発アプローチにより、短期間で試作機を完成させた。2024年にはシリーズAラウンドで4400万ドルを調達し、今回の正式発表によって、アークは構想段階を超えた実機開発フェーズに突入したといえる。

宇宙に保管し最速輸送するしくみ
アークの最大の特徴は、地上輸送や航空機を経由せず、宇宙から直接目的地へ降下する点にある。地球低軌道を周回する複数のアークをネットワーク化すれば、どの地点でも即座に再突入を開始できる。地上のインフラを必要としない「空間からの即時デリバリー」が実現するわけだ。
再突入時にはリフティングボディ(揚力体)構造が生かされる。アークは翼を持たないが、胴体形状そのものが揚力を生み、突入角度の制御によって進路を自在に変えることができる。これにより、単なる落下ではなく、横方向に数千kmを滑空して目標地点へ誘導される。最終的にはパラシュートとスラスターを併用して減速し、着地点を数十m単位で制御する精密な降下を行うという。
今回の発表では、アークが防衛・国家安全保障用途、災害対応や人道支援などへの応用をまず想定していることも明らかになった。通信機器、医療資材、緊急救助キットなど、時間と場所を選ばない輸送に最適な構想である。
ローンチへの道筋と未来像
インバージョンはアークの初飛行を2026年に予定している。軌道上での滞在は最大5年を想定し、将来的には複数機を配備して、2028年ごろまでに小規模な宇宙配送網を形成する構想も打ち出された。今回の発表で、アークは単なるアイデアではなく、具体的な運用ロードマップを伴うプロジェクトとして立ち上がったことが確認された。
再突入技術の信頼性、熱防護システムの耐久性、再使用にかかるコストなど、実用化までには課題も多い。それでも、インバージョンは宇宙を経由した物資輸送という新しい枠組みを、現実的なビジネスとして成立させようとしている。
アークは、宇宙利用の新しい方向性を示す一例である。観測や通信だけでなく、軌道上での保管と地上への回収という循環を成立させることで、宇宙空間の経済的価値はさらに広がる可能性を持つ。
今後の試験結果と運用実証が、この構想をどこまで具体化できるかの鍵となるだろう。
宮田華子
ロンドン在住ジャーナリスト/iU情報経営イノベーション専門職大学客員教授アート・デザイン・建築記事を得意とし、さまざまな媒体に執筆。歴史や潮流を鑑み、見る人の心に届くデザインを探すのが喜び。近年は日本のラジオやテレビへの出演も。英国のパブと食、手仕事をこよなく愛し、あっという間に在英20年。
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