
知的障害のある人々の表現をはじめ、既存のアートに影響されずに独学で制作を続ける作家たちの作品をジャン・デュビュッフェがアール・ブリュットと名付け、調査や収集を行ったのが1940年代のこと。日本では、知的障害のある作家とともに新たな文化価値の創造を目指すヘラルボニーの活動が注目されたこともあり、徐々にアール・ブリュットというアート分野の認知度は高まってきている。
世界的に見ても、メジャーになり始めてからまだそれほど長い時を経ていないアート分野だが、パリのマレ地区にあるアール・ブリュットに特化するギャラリー・クリスチャン・バーストは、今年で20周年を迎える。昨年よりヘラルボニーがスタートし、来年の審査に向けた応募も8月半ばより開始したアートアワード「HERALBONY Art Prize」に審査員として名を連ねているギャラリストの、クリスチャン・バーストに話を聞いた。アール・ブリュットに魅了される理由とは?

アール・ブリュットに見たアートの本質
——バーストさんは2005年にアール・ブリュットに特化するギャラリー・クリスチャン・バーストを創業したそうですが、このアートのジャンルとの出会いについてお聞かせください。
私はもともと出版に携っていました。詩やエッセイなども含む文学の出版です。もともとアートにも興味があったのですが、30年ほど前に、アドルフ・ヴェルフリ(1864-1930)という画家を紹介する本との出会いが大きな転機となりました。20世紀前半の、統合失調症を患ったアール・ブリュットの画家なのですが、その作品に魅了されたのです。
シュルレアリストで詩人のアンドレ・ブルトンが、20世紀を代表する画家のひとりだと評したこと。美術史の本などを調べてもそれ以外にヴェルフリの情報は見つからず、それどころか、アール・ブリュットについても、ジャン・デュビュッフェという画家が1940年代にコンセプトを考案したという程度の情報しか得ることができませんでした。何もわからないことでさらに関心が高まり、専門家や学者に会い、自分で話を聞いてアール・ブリュットのことを学ぼうと決意しました。30年前の話です。
——バーストさんは徐々にアール・ブリュットのことを知り、その特性をどのようなものだと考えましたか。
そこにはアートの本質があるのではないかと感じました。なぜなら、アール・ブリュットの作家たちは、マーケットやビジネスのために制作しているわけではないから。本来アートとは関係のないそうした要素に影響されることなく、高度な集中力をもって創作に勤しむ作家たちの表現をもっとアートの世界に紹介したい、そんな気持ちでギャラリーを立ち上げたのが20年前のことです。


内なる神話を作品に表出
——展示をして誰かから評価されることを目的とせず、純粋な創作から生まれた表現がアール・ブリュットの作品を形作っているのですね。
アール・ブリュットの作家たちの制作は、個人的な内なる神話に形を与えることを動機に行われているのだと思います。そうした個人的な神話は、非常に内面的なものであるけど、同時に多くの人が共感できる普遍性をそなえている。彼らや彼女たちは、その神話を表出させることに強くこだわっているのですが、それは決して、展示することや評価されることを目的とはしていません。非常にパーソナルな必要に応じて、内なる神話をアウトプットしようと試み続けているのです。
結果として素晴らしい作品が生まれると、展示されて鑑賞者が評価する。そうなると、作家は喜ぶでしょう。その循環は素晴らしいと思いますが、アール・ブリュットの作家たちはそもそも評価を求めて作品を制作しているわけではないのです。
——ギャラリーを経営するとなると、商売ですから作品を売る必要があります。
私はアート市場に関心を持っていたわけではないですし、ビジネスは得意分野ではありません。もし私が資産家だったとしたら、財団でも創設していたでしょう。しかし当然、一編集者だった自分にそんな資金はない(笑)。では、どうしたらよいか。ギャラリーで作品を展示してコレクターに購入していただき、売り上げでアール・ブリュットに関する本——展覧会ごとにカタログを出版することに決め、これまでに150冊ほどを出版してきました——を手がけ、できるだけ多くのレクチャーやシンポジウムを開催しようと考えました。

ソフィ・カルとの共感、コラボレーション
——作品を展示し、販売できるギャラリーを立ち上げることで、出版やイベント開催と組み合わせて循環を生み出そうと考えたのですね。
より多くの人にアール・ブリュットを知ってもらえるために、そうした循環が効果的だとイメージしました。これまでカタログや書籍を出版する際には、アール・ブリュットについてまったく執筆したこともないような批評家、哲学者、小説家に原稿を依頼してきました。アール・ブリュットに初めて触れることで、作品を丁寧に見て、コンセプトについて深く考えて執筆していただけるので、多くの方々に向けて開かれたアール・ブリュットのコミュニティが生まれてきていると実感しています。
また10年以上前には、フランスを代表する現代アーティストのひとりであるクリスチャン・ボルタンスキー(1944〜2021)をギャラリーに招き、シンポジウムを行いました。多くのオーディエンスに来ていただき、アール・ブリュットをより多くの方に知っていただくきっかけとなりました。
——そして創業20周年を記念して、ソフィ・カルさんとバーストさんの共同キュレーションによって展覧会を開催しました。ソフィさんは日本でも人気のある作家で、『Pen』でも取材したことのあるアーティストです。
ソフィは昨年秋に日本で世界文化賞を受賞し、パリのピカソ美術館と東京の美術館でも展覧会を行ったので(※2024年11月23日〜25年1月26日に三菱三号館美術館にて開催された「再開館記念『不在』—トゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル」)、彼女はとても多忙でしたが、お声がけしたら快く引き受けてくれました。

——知り合われてから長いのですか。
直接お会いして友人になったのは数年前のことですが、作品はそれこそ、アール・ブリュットと出合ったのと同じ30年前ぐらいに初めて知りました。彼女の作品はとても豊かな物語に溢れていて、文学的だとも表現できます。おそらく彼女は、自身の空白を埋めるために物語を紡ぎ、作品として形にしているのだと思うのです。実際にお会いしたらすぐに親しくなり、うちのギャラリーでも何点か作品を購入してくれています。
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この10年で起きたゲームチェンジ
——バーストさんが開催してきた展覧会や出版してきた本に加え、先ほどのボルタンスキーさんの話もそうですし、ソフィさんにしても、現代アートの世界で評価されている作家がつなぎ手となり、アール・ブリュットが現代アートのいちジャンルとして広く認識されつつあるのかもしれません。
アール・ブリュットが置かれた状況は20年前とは大きく変わりました。この数年間は、私のギャラリーから毎年、200点から250点ほどの作品を世界各地の美術館に貸し出しています。パリのポンピドゥ・センター、ニューヨークのMoMAやメトロポリタン美術館など、世界的に有名な美術館もそこに含まれています。
最近では、コレクションとしてアール・ブリュット作品を購入する美術館も増えてきましたが、それはつまり、美術をきちんと網羅し、調査し公開するためには、アール・ブリュットが欠けていては完全だと言えない。そのことに多くの美術館が意識的になってきたことを意味していると思います。私たちが参加するアートフェアでも、多くの現代アートコレクターに購入していただけるようになりました。この10年ほどで間違いなく大きなゲームチェンジが起こっています。
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へラルボニーとの双方向的な取り組みとは?
——日本ではヘラルボニーが誕生し、精力的な活動を通してアール・ブリュットと社会の接続を試みています。バーストさんも「HERALBONY Art Prize」の審査員として関わっておられますが、へラルボニーにどのような印象をお持ちですか。

パリのギャラリーまで会いにきてくれて最初に話を聞いたとき、非常に興味深い試みをしていると感じました。アール・ブリュットを社会と接続するとなると、コレクターやアート好きに作品を見てもらい、興味を持ってもらうのがこれまでの方法でしたが、ヘラルボニーのアプローチはまったく異なる。より広いオーディエンスに目を向けていて、ファッションを通して作品に触れてもらうだけではなく、アート作品で電車をラッピングしたり、日本航空ともコラボレーションをしたり、あらゆる角度から人々の日常とつながろうとしていることに感銘を受けます。
私たちのようなギャラリーは、コレクターや美術館とアール・ブリュットとの接続を続けていて、ヘラルボニーは人々の日常にアール・ブリュットをもたらす。その双方向の取り組みが結びつき、アール・ブリュットが他のアートと隔たることなく世界とつながるのではないかと想像しています。

言語を超えた共有の根源
——これはアール・ブリュットに限らないことかもしれませんが、バーストさんがアートに触れて最も興奮したりハッピーだと感じたりする瞬間を教えてください。
アートを通して、ある種のミステリーに触れた瞬間だと思います。作品が非常に深く人々の心を感動させるという事実に、私は強く魅了されるのです。なぜその作品が人の心を動かすのか、理由ははっきりしません。しかし、その作品は人に何かを感じさせ、そこに何があるのかを読み取りたい気分にさせてくれる。そこには、人間が言葉を超えて共有するヒューマニティに触れる何かがあるのだと思うのです。私はそれをアール・ブリュットから学びました。だから、新たなアール・ブリュット作品と出会い続けたいと思うのかもしれません。
christian berst art brut
住所:3-5 passage des gravilliers75003 paris
TEL:+331 53 33 01 70
開廊時間:14時〜19時
休廊日:月、火
https://christianberst.com/en