エルメスを象徴する腕時計3選。時のオブジェが与える衝撃【腕時計のDNA Vol.22】

  • 文:柴田充
  • イラスト:コサカダイキ
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右上:「エルメス カット タンシュスポンデュ」斬新なシェイプにユニークな複雑機構を搭載し、制止することで自分だけの時間を過ごすことができる。ⓒJoël von Allmen 右下:「アルソー」馬の鐙から着想したラグデザインに、レザーストラップとのマッチングも美しい。ⓒJoël von Allmen 左下:「エルメス H08」異素材を組み合せるスポーティなモデルは、アクティブな現代のライフスタイルに応える。ⓒHERMÈS

連載「腕時計のDNA」Vol.22

各ブランドから日々発表される新作腕時計。この連載では、時計ジャーナリストの柴田充が注目の新作に加え、その系譜に連なる定番モデルや、一見無関係な通好みのモデルを3本紹介する。その3本を並べて見ることで、新作時計や時計ブランドのDNAが見えてくるはずだ。

高級時計におけるエルメスの存在感が高まっている。昨年、エルメスの時計部門であるエルメス・オルロジェ社のローラン・ドルデCEOにそう投げかけると「私たちは歴史ある時計業界ではまだ新参ですし、ほんの小さいものです」と謙遜した。だからこそ、と言葉を続け「メゾンとして自分たちらしい時計を手掛けたいと思います」と語った。まさに最高峰のラグジュアリーを追求するエルメスの真髄だろう。

メゾンと時計との関わりは1912年に遡る。3代目当主エミール・エルメスが乗馬好きの幼い愛娘のために、懐中時計を手首につけるレザーのケースストラップを制作した。やがて1928年にはスイスの名門ブランドとの協業でオリジナルデザインの時計を発表。1978年にスイス・ビエンヌに子会社のラ・モントル・エルメス(現エルメス・オルロジェ)を設立し、数多くの代表作を生み出す。馬具をモチーフにした「アルソー」や錨の鎖から着想した「シェーヌ・ダンクル」が派生した「ケープコッド」など、いずれもジュエリーと時計を一体化した独自の世界観を打ち出している。

ウォッチメイキングが次のフェーズに入ったのは、2006年のムーブメント専門会社ヴォーシェ・マニュファクチュール・フルリエへの資本参加だ。それまでのオリジナリティあふれるデザインと高品質に、専用設計のムーブメントという残るピースを加えたのである。これにより機能や信頼性の向上はもちろん、創作の領域は複雑機構へと広がった。その3年後にはクリエイティブ・ディレクターにフィリップ・デロタルを迎え、メゾンのウォッチスタイルを確立したのだ。

エルメスにとって腕時計は時のオブジェであり、そこには独創的なエスプリがなくてはならない。そしてクラフトマンシップの価値が遠大な時によって育まれるように、時間は最も重要なメゾンのテーマなのである。

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新作「エルメス カット タンシュスポンデュ」 

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エルメス カット タンシュスポンデュ/ゴージャスなフルゴールドにサンバースト仕上げのボルドー文字盤が映える。ブレスレットはインターチェンジャブル式。自動巻き、18KRGケース&ブレスレット、ケース径39㎜、パワーリザーブ約45時間、10気圧防水。¥7,502,000(予価)ⓒJoël von Allmen

美しきフォルムに、唯一無二のユニークな機構を

「エルメス カット」は、「エルメス H08」に次ぐまったく新しいコレクションとして昨年登場した。36㎜径の円形ケースの両サイドを裁ち落とし、その独創的なシルエットを損なわぬよう、リューズを斜め上方に配する。ブレスレットを備え、かつての代表作「クリッパー」を思い起こさせるスポーティなスタイルだ。

カレンダーを省いたシンプルな3針でのデビューに続き、新作は意外にもユニークな複雑機構を搭載した。8時位置のケースサイドのプッシュボタンを押すと、時分針は12時のインデックスを挟んだ目盛りもなく通常ではあり得ない時刻を指し、制止する。しかしこの間もムーブメントは正確な時間を刻み、再びボタンを押すと針は現在の時刻に戻る。2011年に発表された「タンシュスポンデュ」と名付けられた複雑機構の再来である。

モジュールはムーブメント開発の名門アジェノーが手がけ、ヴォーシェのムーブメントに組み込む。スイス高級時計のムーブメントを代表する2社の協業であり、時計通もうならせる内容だ。コンプリケーションでありながらもケースサイズは39㎜に抑え、その分、厚みは出るが、むしろ小石を思わせるなめらかなボリューム感は手にも馴染む。男女を問わず、シェアウォッチとしてもいいだろう。

“時を保留し、時間を忘れる”というコンセプトに基づく唯一無二の機構は、実用機能とは一切関わらない。4時位置にあるカウンターにしてもスモールセコンドと思いきや、針が反時計回りに進むランニングインジケーターに過ぎない。こうした無為と思えるようなエスプリに満ちた機構こそ、時に対する概念を覆し、非日常の新たな発見や発想をもたらす。それもエルメスらしさだ。

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定番「アルソー」

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アルソー/ストラップはインターチェンジャブル機構を採用し、簡単に脱着ができる。またシンプルな定番デザインはシーンに応じて多彩に使い分けることができる。クオーツ、SSケース、ケース径40㎜、アリゲーターストラップ、3気圧防水。¥580,800 ⓒHERMÈS

ブルーとシルバーに、デザインの完成度が際立つ

ひと目見てエルメスとわかるアイコニックなラインナップのなかでも、特に定番といえるのが「アルソー」だ。独自のウォッチメイキングを目指して1978年に設立したラ・モントル・エルメスによって同年発表され、初めてシリーズ化されたマイルストーンである。

デザイナーのアンリ・ドリニーがメゾンの発祥である馬具の鐙から着想を得たデザインは、ケースの上下のラグが非対称になり、オーソドックスな円形ケースに個性を与えている。もうひとつの大きな特徴になっているのが斜体のアラビア数字インデックスだ。まるでたてがみをなびかせてギャロップする馬の躍動感やスピード感を表現するとともに、止まることのない時間の流れを思わせるのだ。

ミニマルでありながらも洗練された個性を演出するスタイルは、まさにメゾンの本領発揮。シンプルな2針から始まり、クロノグラフやムーンフェイズ、ダブルタイムゾーンや前述のタンシュスポンデュといったコンプリケーションまで多彩なバリエーションを揃え、誕生から半世紀近く経った現在も魅力を広げ、存在感に磨きをかける。

ベーシックな2針カレンダー仕様はその魅力の原点でもある。美しいブルー文字盤にカレンダーの地色を揃え、アラビア数字もインデックスのタイポグラフィーと統一する。マットで仕上げた同色のアリゲーターストラップもスタイリッシュだ。

ドレッシーなファッションに合うのはもちろん、カジュアルなスタイルにも上品さを添える。搭載するのはクオーツ式ムーブメントだが、むしろ気負わず使いこなすにはいいだろう。使い続けるほどその奥深い魅力を発見するに違いない。

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通好み「エルメス H08」

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エルメス H08/グラスファイバーの編み上げ複合素材は、アルミニウムと粉末の粘板岩の表面にメタリック加工を施し、固有のパターンも魅力だ。自動巻き、合成グラスファイバーケース、ケース径42㎜、パワーリザーブ約50時間、ラバーストラップ、10気圧防水。¥1,276,000 ⓒJoël von Allmen

対極のコントラストと調和が生む新たな美学

「エルメス H08」は、メゾンでは珍しいメンズスポーティウォッチを打ち出し、2021年に登場した。コンセプトは相反するものが織りなすコントラストと調和であり、角と曲線が溶け合うクッション型ケースに、円形の文字盤を組み合わせる。インデックスには新たなタイポグラフィーを採用し、とくに0や8はケースと文字盤のシルエットを投影する。そしてコレクション名も無を表す「0」と横にすれば無限記号になる「8」に由来する。長年メンズのディレクションを担当してきたデザイナー、ヴェロニク・ニシャニアンの文脈に沿い、フィリップ・デロタルがデザインを手掛けた。

目を引くのが先進素材の採用だ。外装にはグラフェン複合素材をはじめ、チタンやセラミックといった新素材を用い、さらにストラップは新たにラバー素材を開発。軽量性や堅牢性を両立し、心地よい装着感とともにコンテンポラリーなテイストが楽しめる。これまでの伝統的なレザーストラップとは異なる、新たなメゾンの挑戦を象徴するのだ。

新作では、グラスファイバー複合素材のケースにセラミックのベゼルを組み合わせた。ライトグレーとブラックのシックなコンビネーションカラーにオリーブグリーンのラバーストラップが映え、エレガントななかにもスポーティな躍動感が漂う。グリーンをアクセントカラーにした円形の文字盤はまるでコンパスを思わせ、次なる時代に向けた方角を指し示すかのようだ。

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時計のカテゴリーを越えてメゾンが刻む時の価値

エルメスは、バッグやレザーアイテムで培ってきた素材へのこだわりや高品質のクラフトマンシップ、そして独自の美的感性から生まれるタイムレスな価値をウォッチメイキングにも余すことなく注ぐ。自社ファクトリーや専用ムーブメントといった生産体制を構築するのも、こうした唯一無二のクリエイティビティを実現するためだ。

新作では「タンシュスポンデュ」をはじめ、対向するふたつのインダイヤルの周回で月相を表示する「ルゥール ドゥ ラ リュンヌ」、12時位置のホームタイムと外周の都市名の位置にインダイヤルを合わせてローカルタイムを表示する「ル タン ヴォヤジャー」といったユニークな複雑機構を発表し、オリジナリティあふれるデザインと機能を融合する。その一方で、新たなコレクションの開発や先進素材への取り組みも欠かさない。

伝統的な時計の世界においてメゾンの歴史はけっして長くはない。だがその存在は、時計というカテゴリーのヒエラルキーに収まることなく、愛用者はそれ以上にエルメスが刻む時の価値を手にするのだ。そこにメゾンたる所以がある。

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柴田 充(時計ジャーナリスト)
1962年、東京都生まれ。自動車メーカー広告制作会社でコピーライターを経て、フリーランスに。時計、ファッション、クルマ、デザインなどのジャンルを中心に、現在は広告制作や編集ほか、時計専門誌やメンズライフスタイル誌、デジタルマガジンなどで執筆中。

エルメスジャポン

TEL:03-3569-3300
www.hermes.com

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