東京バレエ団が、モーリス・ベジャール作品『M』を5年ぶりに上演する。三島由紀夫の作品世界をモチーフとした本作は、ベジャールが東京バレエ団のために創作、演出振付したオリジナルであり、世界に誇るレパートリー。積極的に海外公演を行う東京バレエ団だけに上演が許可された、世界で称賛される作品である。今年は戦後日本を代表する作家・三島の生誕100年にあたる。メモリアルイヤーにふさわしい、待望の公演である。

ベジャールには東京バレエ団のために振り付けたオリジナル作品が3つある。『舞楽』『ザ・カブキ』そして三島由紀夫作品を題材にした『M』である。フランス生まれのバレエ振付家が日本人作家を取り上げることに違和感を感じるかもしれないが、少なくともベジャールにはその資格が十分にある。『M』の初演は1993年なのだが、ベジャールは先立つ1984年にすでに三島の「近代能楽集」の舞台を演出し、パリで上演しているのである。日本ではあまり語られないが、古典能を現代を舞台に翻案した三島の名作は、ベジャールの功績でフランスで評価を高めたのである。そもそも大変な読書家であるベジャールは日本文学、特に三島作品に心酔していた。
作品は少年期の三島本人の視点を中心に、その分身であるイチ、ニ、サン、シ(死)の登場人物が、さまざまな三島作品の作品世界を移動していくアンソロジー的な構成を持つ。とはいえ決してディベルティスマンの集合体などではなく、三島の全人生と思想、精神が底流に貫かれている。現実の三島は多感な幼少期から文学者となり、やがて愛国的な思想のもとに自分の民兵組織「盾の会」を組織し、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で総監を拉致、隊員らに大演説ののちに割腹自殺している。作品は激動の人生を縦軸に置き、「潮騒」「鏡子の家」「禁色」「鹿鳴館」「午後の曳航」「仮面の告白」「金閣寺」といった代表作のイメージを散りばめていく。

フランスの知識層に三島作品の人気は高く、1980年代までには代表的な作品のほとんどは仏語訳され、出版さている。「近代能楽集(ル・サンク・ノ・モデルヌ)」は1970年に元・日仏会館理事のジョルジュ・ボンマルシャン訳で大手出版社ガリマールから発行。ベジャールの舞台が上演された1984年には、フランス文学界の巨匠マルグリット・ユルスナールによる新訳が同社から刊行されている。ユルスナールは女性初のアカデミー・フランセーズ会員となった1980年に評論『三島あるいは空虚のビジョン』を上梓している人物だ。ノーベル賞候補でもあった三島の作品は日本と同様にフランスでも評価されていた。
ベジャールが「近代能楽集」の準備をしていた頃、ポンピドゥー元大統領夫人宅に招かれて同席した評論家・渡邉守章は、上演の準備期間だったベジャールのことを「三島に夢中になっていた」と評している。ベジャールは三島を愛読し、耽溺した。


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タイトルに込められた、さまざまな“M”の魅力

ベジャールが当時率いた20世紀バレエ団とともに初来日したのは1967年だが、実現には東京バレエ団の代表でもあった佐々木忠次の功績が大きい。来日は、我が国の芸術シーンに大変な衝撃を与えた文化的“事件”でもあった。文化人らがこぞって激賞し、観客が熱狂したベジャールのバレエ団は、常に来日が待ち侘びられることになる(アメリカでは事情が異なり、ベジャールを毛嫌いするニューヨーク・タイムズ紙のバレエ評担当・バーンズ一派の意図的な攻撃があった)。日本は、ベジャールのよき理解者であり続けたのである。
東京バレエ団のための3度目のオリジナル作品が構想されたとき、三島を題材にすることをベジャールに提案したのは作曲家の黛敏郎である。黛本人が初演当時のインタビューで明かしていることだ。『ザ・カブキ』で音楽を担当し『舞楽』の作曲者としてもベジャールと共同作業を行った黛は、三島とも生前に20年にわたる深い親交があった。ベジャールと三島の縁は、ここでもつながったのである。
タイトルの『M』にはさまざまな意味が重なっていると、ベジャールは初演時のインタビューで語っている。ミシマ、モーリス、フランス語のメール(海)、モール(死)、ミステール(神秘)、ミトロジー(神話)に共有される頭文字。作品を構成するさまざまな要素を貫く一文字は「“マユズミ”の“ミュージック”でもありますね」ともベジャールは語る。



さまざまな作品の物語世界をつなぐ役回りのⅣ‐シ(死)、聖セバスチャン。東京バレエ団が生んだ大スター・上野水香(ゲスト・プリンシパル)が演じる“女”は、重要なポジションを持つ。
『M』のダンス自体には、ベジャールの舞踊の文法とも言える特色がよく出ている。クラシックの技をすべて内包したテクニックの上に成り立つ、前衛とモダン。徹底的に現代的なダンスではあるが、クラシックの『白鳥の湖』や『くるみ割り人形』を見慣れた目にも決して違和感はないものだ。それこそが逆説的に、ニューヨーク・シティバレエの“バランシン的な前衛”を贔屓にするニューヨークの批評家を苛立たせた、本質的なベジャールの魅力なのである。
さらにベジャール作品の特色は、ダンサーそれぞれの個性と魅力を最大限に尊重することだ。「バレエの振付は、抽象ではあり得ない。なぜなら抽象を演じるのは、人間の肉体だからだ」とするベジャールは、モダンダンスの一部が採るような、ダンサーを記号化・匿名化を好まない。『M』の主要な役名が数字であったとしても、彼らは間違いなくダンサーの柄本、宮川、生方、池本であり、役名「女」は上野水香だ。推すべきダンサーは、ちゃんと“推し”として舞台上で存在感を放つ。なおこの作品は、東京バレエ団のプリンシパルやソリストが、これでもかと総出演してくる演目としても有名である。

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ワーグナーが盛り上げる、圧巻のクライマックス

モチーフとなった三島作品のひとつ『豊穣の海』で割腹した登場人物・勲は、次巻では王女・月光姫として転生してくる。最大のクライマックス、少年が自裁するかのように見えるシーンは、じつは再生のメッセージなのである。潮騒をバックに連れ歩かれる少年で始まった物語は、再び同じシーンに戻っていく。それは果てしない物語でもある。
いずれかの三島作品の読者は、既視感に似た感覚に強く惹かれるだろう。一方で、三島作品を読んだことがなかったり、名前だけは知っている観客にも、どれかの作品を一度読んでみたい気にさせる。それもまた、バレエを完全に抽象化することに決して与しない、ベジャールらしい仕掛けのマジックである。
音楽は黛敏郎による日本の伝統音楽を基調とした20超の小曲が、能楽の楽器や17弦の琴を使って奏でられる。このほかサティの『あなたが欲しい』、ドビュッシー『聖セバスチャンの殉教』のファンファーレ、ヨハン・シュトラウス2世の『南国のばら』が採られている。エンデイング近くで心を揺さぶるワーグナー『トリスタンとイゾルデ』の『愛の死』は、菊池洋子のピアノ生演奏。未来への希望を唄う、ティノ・ロッシ歌唱の古いシャンソン『ジャタンドレ(待ちましょう)』(1939年)は、ベジャールが強く希望したものだという。

東京バレエ団『M』
公演日:9/20(土)14:00、9/21(日)14:00、9月23(火・祝)13:00
会場:東京文化会館
TEL:03-3791-8888
www.nbs.or.jp