007の着想地が観光スポットに。ロンドン地下30mの秘密トンネルが223億円かけて大変身

  • 文:青葉やまと
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ロンドンの地下30mに眠る秘密のトンネルが、2028年に観光施設として一般公開される。第二次世界大戦中に防空壕として建設されたこの地下迷宮は、007シリーズの生みの親、イアン・フレミングが勤務し、作品の着想を得た場所でもある。時代とともに姿を変えてきた歴史的空間が、新たな観光名所として生まれ変わる。

8400㎡の巨大地下空間が観光施設に

ロンドンの地下30mの地点で、壮大な観光施設の建設計画が動き出している。地下鉄のホルボーン駅とチャンスリー・レーン駅の間に眠る8万6000平方フィート(約8400㎡)の巨大トンネルが舞台だ。

AP通信によると、地下鉄セントラル線のさらに地下に位置するこの空間に、今は使われていない2本のトンネルが存在する。

平行に走るこれら2本のトンネルは元々防空壕として建設されたが、1980年代以降はほぼ放置状態だった。しかし2023年、転機が訪れる。スミソニアン誌によると、オーストラリアの投資家でロンドン・トンネルズのCEOアンガス・マレーがこの地下空間を買収。1億4900万ドル(約218億円)という途方もない額を投じる改修計画が動き出した。

完成すれば複合施設となり、大きく3つのゾーンで構成される。「歴史遺産」セクションには、4万人以上が犠牲となったロンドン大空襲の記念館ほか、英国軍事情報博物館を収容。往時の通信機器などを通じ、戦時中や冷戦期の歴史を体感できる。

「芸術文化」セクションでは、プロジェクターや音響、香りを駆使した没入型展示や、企画展を開催するアートギャラリーが計画されている。そして施設の目玉となるのが、マレーが「都市で最も深いバー」と呼ぶ、数百人を収容可能な地下バーだ。

マレーは、年間300万人という大胆な集客目標を掲げる。実現すれば、イングランドで最も人気の有料観光施設であるロンドン塔に肩を並べることになる。ロイターの取材に対し、同氏は「ロンドンで確実に機能するものがあるとすれば、それは観光業だ」と語った。BBCによると、ロンドン市(シティ・オブ・ロンドン・コーポレーション)はすでに計画を承認しており、2026年後半の着工を予定している。かつて国家機密に包まれていた地下空間が、ロンドンの新たな顔になろうとしている。

設計を手がけるのは、香港国際空港のスカイブリッジやゲイツヘッド・ミレニアム橋など世界的ランドマークを生み出してきたウィルキンソン・エア建築事務所だ。

007の生みの親が勤務した極秘司令部

トンネルには、世界で最も有名なスパイ小説との深い縁がある。

BBCによると、キングスウェイ・トンネルとして知られるこの地下施設は、イアン・フレミングが書いた最初のジェームズ・ボンド小説に登場する。フィクション作品に描かれた秘密基地だが、作者自身が日々足を運んでいたまさにこの場所がモデルだった。

時は1944年。若き海軍将校であった作者のイアン・フレミングは、この薄暗いトンネルで連絡将校として極秘任務にあたっていた。AP通信によると、当時ここは英国の秘密諜報機関、特殊作戦執行部(SOE)の極秘司令部となっていた。チャーチル首相から「ヨーロッパを燃え上がらせろ」との命令を受け、部隊は破壊工作ミッションを実行すべく、多数のエージェントをナチス占領地域へと派遣していた。

フレミングは海軍と特殊作戦執行部の間の連絡役として、この地下司令部で極秘任務の調整役を務めていた。やがて作家となったフレミングが描いた007シリーズには、秘密のガジェットや地下深くに隠された司令部が登場する。多くは彼がこの場所で目にした現実にインスピレーションを受けたものだ。

マレーはAP通信の取材に同行し、007シリーズでおなじみの秘密兵器開発部門、Q支部のモデルがまさにここだと説明している。

防空壕から冷戦の通信拠点へと変遷

そもそもこのトンネルは、8000人を収容する巨大防空壕として着工した。AP通信によると、1940年にナチス・ドイツの侵攻を恐れたイギリス政府が極秘裏に建設を開始。しかし工事の遅れが運命を分けた。1942年の完成時には、すでにロンドン大空襲は終息していたのだ。市民たちはすでに地下鉄駅を防空壕として利用しており、最新鋭のシェルターは結局、防空壕として使われることは一度もなかった。

冷戦の始まりとともに、この場所は意外な役割を担うことになる。イギリス政府はこれを通信センターに転用することを決め、1950年代半ばには史上初の大西洋横断海底電話ケーブルがこの施設へ接続された。

運命が大きく動いたのは1962年のキューバ危機だった。核戦争の瀬戸際から人類を救うため、ペンタゴンとクレムリンを結ぶ「赤い電話」ホットラインがここを経由することになった。この「赤い電話」は、米ソ首脳が核戦争の危機を回避するための直通回線として設置された、歴史に残る重要な通信回線だ。ったのだ。

冷戦終結とともに役目を終え、1980年代に施設は閉鎖された。その後の数十年間、かつて国家機密を扱った場所は、都市の探検家たちがこっそりと侵入を試みる度胸試しの場へと変わっていた。

2028年に施設が開業時した暁には、ロンドンの学校向けに週40人以上の児童を受け入れる無料訪問プログラムも予定されている。かつて極秘事項だった地下空間が、次世代に歴史を伝える教育施設として一般公開される。