現代アートに潜む“ゴッホの種”。ポーラ美術館『ゴッホ・インパクト―生成する情熱』展で見る、絵画の記憶と変容

  • 文:はろるど
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ポーラ美術館『ゴッホ・インパクト―生成する情熱』展示風景より、「5. 芦屋の『向日葵』 」。陶板で再現された芦屋の『向日葵』 (1888年、陶板製作年:2023年、大塚オーミ陶業株式会社)と中村彝の『向日葵』(1923年、石橋財団アーティゾン美術館)が並んでいる。 Photo:Ken Kato

神奈川県箱根町のポーラ美術館では現在、開館以来初となるフィンセント・ファン・ゴッホをテーマとした『ゴッホ・インパクト―生成する情熱』を開催している。ゴッホがさまざまな時代や地域の芸術家に与えた影響や、社会現象に焦点を当てた展覧会の内容とは?

ポーラ美術館のコレクションを中心にたどるゴッホの画業

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ポーラ美術館『ゴッホ・インパクト―生成する情熱』の展示風景より、「1. ゴッホとその時代」。左手前がフィンセント・ファン・ゴッホの『草むら』(1889年)、右奥が同じくゴッホの『アザミの花』(1890年)。ともにポーラ美術館。 Photo:Ken Kato

オランダで牧師の父のもとに生まれたゴッホは、伝道師という聖職に就くという夢をあきらめ、27歳にして画家になる決心をする。当初の暗い色調で占められた作品において目立つのは“労働”の主題。目を開いて前を見つめる農婦を実直に捉えた『座る農婦』からは、ゴッホの農民たちに寄り添う姿勢が感じられる。そして、パリで新印象派などの新しい絵画の潮流に身を投じると、アルルへの移住後に制作した『ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋』といった色彩にあふれた作品を手掛けるようになる。

ゴーガンとの共同生活が破綻した「耳切り事件」以降も、ゴッホは療養を目的に滞在した南仏サン=レミにて激しくうねるような筆触を伴う作品を描いていく。そして精神科医であるガシェによる治療を受けるため、オーヴェール=シュル=オワーズに移り住んだのは、人生最後の2ヶ月あまり。亡くなる1ヶ月前に制作した『アザミの花』の描写には活気も見られ、画家の様式がさらなる高みに到達したように思われるものの、自身にピストルを発砲して世を去ってしまう。

フランスにおけるゴッホの影響から日本での受容まで

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ポーラ美術館『ゴッホ・インパクト―生成する情熱』展示風景より、「3. ニッポンにおけるインパクト-『白樺』を中心に」。『白樺』は武者小路実篤らを中心とした文学者たちによって1910年に創刊された文芸・美術雑誌。日本におけるゴッホの初期の受容には、芸術は内面の感情や精神を反映したものとする大正期の人格主義の影響が色濃く見られるという。 Photo:Ken Kato

ポーラ美術館の3点のゴッホ・コレクションを中心に、ゴッホの画業をダイジェストのように追える本展。しかし、主役はゴッホの影響を糧に、新たな情熱を持って作品を生み出した後世の芸術家たちにあるといっても良い。ゴッホの影響を直接的に受容した最初の美術についての動向が生まれたのは、画家の没後10年以上経過してからのこと。フランスではゴッホに関する展覧会がいくつか開かれ、「フォーヴ(野獣)」と称される様式を創出する上で大きな役割を果たすことになる。

一方、日本ではいつ頃ゴッホが受容されたのだろうか。明治末期、欧米で美術を学んだ人たちが西洋美術に関する情報を持ち帰ると、大正期にかけて美術書や画集、さらには雑誌『白樺』により、ゴッホやセザンヌ、マティスらの作品が複製の図版で紹介されていく。中でもゴッホは作品だけでなく、数多く残された手紙を通して、生涯や人間性などにも関心が集まり、若い文学者や芸術家たちに「孤高の天才芸術家」として熱烈に受け入れられた。---fadeinPager---

空襲にて焼失した『芦屋のヒマワリ』の陶板作品を展示!

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ポーラ美術館『ゴッホ・インパクト―生成する情熱』展示風景より、「4. 日本人によるゴッホ巡礼-オーヴェール=シュル=オワーズ」。最晩年のゴッホを診察したガシェ医師は美術愛好家として知られ、彼のもとには20点余りのゴッホの作品が残されていた。22年から39年までのあいだ、実に240名以上もの日本人がガシェ家を訪問したとされている。Photo:Ken Kato

岸田劉生らを中心に、萬鉄五郎、木村荘八も参加した1912年に開催された「ヒュウザン会第1回展」でも、ゴッホをはじめとするポスト印象派の影響を受けた作品が数多く展示。同会は翌年をもってその活動を終えるものの、大胆な筆致や強烈な色彩、さらに主観を吐露するといった表現主義を先駆けた美術運動として注目を浴びる。また昭和初期にかけてはゴッホの作品が残されていたオーヴェールを多くの日本人が訪問していて、前田寛治はゴッホと弟テオの眠る墓を描いた『ゴッホの墓』という絵画を残している。

会場にて一際目を引く『ヒマワリ』(※)は、戦前に日本に招来し、2回ほど一般に公開されながら、45年8月の空襲にて焼失した通称『芦屋のヒマワリ』を陶板で精巧に再現したもの。それを強く意識して描いた中村彝の『向日葵』と並んで展示されている。また戦後のゴッホ・ブームの立役者の一人とされるのは、ゴッホ研究者として著名だった精神科医の式場隆三郎だ。53年にはヨーロッパ製の複製画150点などからなる『生誕百年記念ヴァン・ゴッホ展』を開くと、来場者が1日1万人に達するなど空前の活況を呈した。※記事トップに画像を掲載。

現代のアーティストたちがゴッホの芸術を糧に生み出した表現とは? 

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ポーラ美術館『ゴッホ・インパクト―生成する情熱』展示風景より、「8. 森村泰昌」。森村が扮装による自画像を制作しはじめたのは85年のことで、その際には耳に包帯を巻いてパイプをくわえる、よく知られたゴッホの自画像が取り上げられた。Photo:Ken Kato

福田美蘭、森村泰昌、桑久保徹、それにフィオナ・タンといった現代のアーティストの作品も充実している。このうち福田が2012年に手がけた『冬-供花』とは、ゴッホの『薔薇』を翻案した作品。そこには制作の数年前に亡くした父の記憶とともに、東日本大震災による犠牲者への哀悼の意が込められている。また桑久保は、美術史における巨匠を取り上げた「カレンダーシリーズ」のひとつにおいて、名作『星月夜』を思わせる夜空の下にゴッホの絵画を並べた想像上のアトリエを描いている。

歴史上の人物などに扮装したセルフ・ポートレートで知られる森村が、実寸大で再現したゴッホの部屋を舞台とする『自画像の美術史(ゴッホの部屋を訪れる)』など、ゴッホにまつわる6点の全ての作品を展示しているのも見逃せない。今年はこれから関西や東京で大規模なゴッホ展が開かれる「ゴッホ・イヤー」と言われている。だからこそいまゴッホに触発された芸術家の創作をたどるポーラ美術館オリジナルの本展にて、ゴッホが絵画に捧げた情熱がどれほど大きな価値を持つのかを肌で感じたい。

『ゴッホ・インパクト―生成する情熱』

開催期間:開催中〜2025年11月30日(日)
開催場所:ポーラ美術館 展示室1、2、3
神奈川県足柄下郡箱根町仙石原小塚山1285
開館時間:10時〜17時(入館は16時半まで)
休館日:会期中無休
入館料:一般 ¥2,200
www.polamuseum.or.jp