
6.5cmの短い長さは、一般のお香の半分。太さはやや太めの約3mm。先端に火をつけて煙をくゆらせると、濃いグレーの色が灰となり淡いグレーに移り変わる。燃えたあとも崩れ落ちず形が保たれる。15分経つとお香の燃焼が終わっていく。火が消えたあとも残り香で穏やかに存在を示し続ける。部屋の空気の流れを、ほんの少し変化させる淡い香り。嗅覚表現のアーティスト、和泉侃(いずみ・かん)/Olfactive Studio Neが生み出したクラシックモダンな新しい表現。

構想から完成までの月日は2年。それほど要した理由は主にふたつある。ひとつはお香の制作にはとても時間が掛かること。木の樹皮や炭の粉を練って形をつくり乾燥させるまでが約1週間。和泉侃がそのたいへんさを次のように語った。
「香水なら液体を混ぜればどのような香りか瞬時に判断できます。でもお香は完成させ火をつけてみないとまったくわかりません。サンプルをひとつ作るのにも日数が必要なのです。製品にするまでにこのプロセスを何度も繰り返していきます」
職人と共に作っていくお香は、互いのやり取りに要する時間もかなりのもの。ただしこうした実務的な制作時間は、今回の2年のうちごく一部でしかなかった。もっとも日数を要したのは、お香のテーマである彫刻家の流政之(ながれ・まさゆき)(1923-2018年)を知る心の旅だ。
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流政之は日本とアメリカを往復しつつ、制作を日本の香川・高松市で行ってきた造形作家。日本アカデミー賞のトロフィーの制作者でもある。没後の19年に自宅を兼ねたNAGARE STUDIOが美術館として一般公開された。
流政之の彫刻の魅力を発信するためにお香作りを和泉侃にオファーしたのは、東京を拠点にファッションを中心とした営業・PRを行うON TOKYO SHOWROOM。近年はロサンゼルスにもギャラリーを構え、グローバルに日本文化を発信している。このたびNAGARE STUDIO監修の元で限定100点の香立てを制作し、まずロサンゼルスで発表した。日本でも展開するにあたり、ふさわしいお香を添えるべく和泉侃の扉を叩いた。

和泉侃は香りを画材のように使い空間に情景を生み出す。自身の作家性をなるべく抑えて対象に寄り添うアーティストだ。現代日本を代表するファッションブランドのフレグランスを作ったときは、デザイナーと共に長い時間を過ごしてから調香に臨んだ。故・坂本龍一やコーネリアスらが参加した『アンビエント・キョウト2023』展覧会では、「聴覚のための香りのリサーチ」をクリエイト。展示作品の印象に影響を与えず、かつ聴覚が鋭敏になる香りを会場に漂わせた。2025年6月27日(金)まで東京・銀座の「ISSEY MIYAKE GINZA / 445」のCUBEで開催中の『水を味わう 水を纏う “Savor water, Embracing water”』では、食をテーマに味覚を感じる香りに挑戦している。
上記のふたつの展覧会と今回のお香の制作には、共通する前提事実がある。それはイメージの源泉である人物が故人であること。
「これまでのプロジェクトでも故人の方の作品に関わってきましたが、香りの出来栄えを当人に確かめていただくことができませんでした。流さんも残念ながらお亡くなりになっています。正解を自身の力で探るしかなく、今回のプロジェクトは流さんを深く知ることからはじめていきました」
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高松駅から車で30分の距離にある海に面したNAGARE SUTUDIOに何度も通い、彫刻に囲まれて時を過ごした。亡くなった当時のままの自宅にも入室が許され、彫刻家の息遣いを身体で感じた。この空間を訪れた気持ちを彼が次のように語った。
「流さんの書籍や資料を取り寄せて、読めるものには目を通してきました。でもご自宅を訪れたときの強い印象に勝るものはありません。とても豪快というか、遊び心もあったのが意外でした。壁の色がピンクだったり黄色だったり、部屋ごとに彩りが異なっていて。西日が差し込んだときの美術教室のように、部屋には絵の具や材料、素材の香りも漂っています。こうしたご自宅の空気が、現在の美術館にまで流れ込んでいる気がしました。まさしく“Still Alive”、いまも彫刻のなかに作家が生きているのです」

しかし和泉侃は長い時間を掛けて得た流政之の情報を、いったんすべて切り捨てることを決意する。ゼロに戻して新たにお香作りに取り掛かった。そのやり方も彼ならではの考え方によるもの。
「知れば知るほど恐れ多いと感じてしまって。だから得た情報を全部捨ててみることにしました。とはいえ自身に蓄積された要素は残っているものです。僕の作家性も、捨てようとして捨てられるものでもありません。最終的に『美術館の空気を外に持ち出そう』という思考に辿り着いて完成させたのがこのお香です」

採用した香料などのスペックを語るのを好まない和泉侃に、あえて香りを言葉で表してもらった。彼の答えは以下の通り。
「ちょっとしたポップさ、コンテンポラリーでソリッド、美術室の絵の具、お菓子のチューインガムの風味、黄色に燃える色、和洋折衷……」
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流政之にインスパイアされた今回のお香について、「空間の差し色」と彼は言う。
「シンプルな空間に彩度をつけたいときに合う香りだと思います。乾燥させたお香は液体のフレグランスと異なり揮発性が低いので、火が消えたあともトータルで1時間ほど空間に色付けできます。壁紙を変えたり音楽を変えるのと同じように生活の場で使ってはいかがでしょうか」

制作したお香を愛用してもらうこと以上に彼がいま強く願うのは、多くの人にNAGARE SUTUDIOに足を運んでもらうこと。
「ぜひ美術館に行っていただきたいです。今回のKunryuをきっかけに、流さんという偉大な彫刻家の存在に改めて気づいていただけたら本望です」
香りが導くアートの世界。場の空間に作用する立体的な彫刻と、空気を動かす香りには、手で触れられるかそうでないかの違いしかないのかもしれない。限定の香立てとセットで使う人も、お香を単独で使う人も、空間表現を意識すればきっと創造的な愉しみが広がっていく。
NAGARE STUDIO
https://nagarestudio.jpON TOKYO SHOWROOM
https://ja.ontokyoshowroom.com
Olfactive Studio Ne
https://o-s-ne.com

ファッションレポーター/フォトグラファー
明治大学&文化服装学院卒業。文化出版局に新卒入社し、「MRハイファッション」「装苑」の編集者に。退社後はフリーランス。文章書き、写真撮影、スタイリングを行い、ファッション的なモノコトを発信中。
ご相談はkazushi.kazushi.info@gmail.comへ。
明治大学&文化服装学院卒業。文化出版局に新卒入社し、「MRハイファッション」「装苑」の編集者に。退社後はフリーランス。文章書き、写真撮影、スタイリングを行い、ファッション的なモノコトを発信中。
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