高雄の街角にある“本の聖域”。築60年を超える古民家を改装した三餘書店は、ただの書店ではない。詩集が入口に並び、イベントやライブ、展示も開催。ZINEや自主制作本も充実し、学生から文化人までが集う文化の拠点であり、高雄という都市の記憶だ。Pen台湾版の最新号より再編集して掲載する。
Pen台湾版は2024年3月にスタートし、隔月で発行。日本の新たな潮流や価値観を台湾に届けると同時に、ローカルなエッセンスを融合させ、中国語圏の読者により豊かなライフスタイルを提案している。
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午後の陽光が湿った赤レンガと風化したアーケードに斜めに差し込み、どこか懐かしくもあり、同時に生命力も感じさせる。初めてこの街を訪れる旅人にとっても、遥か遠くからやってきた異国の客人にとっても、高雄という都市は、まだ誰にも完全に解かれていない一編の詩のようだ。その詩のリズムを読み解くには、自らの足で歩き、五感で感じ取るしかない。
深紅に染まった古びた扉を押し開けると、最初の一筋の陽光がまだらにコンクリートの床を照らし、まるで都市の鼓動が静かに震えはじめるように感じられる。三餘書店──それは、高雄文化中心駅1番出口前、中正二路沿いにひっそりと佇む本の聖域。かつては田畑と家族の古い家を結び、都市の成長とともに道が広がり、コンクリートの森が立ち上がっていったこの通りで、時の流れを静かに見守ってきた。
書店のドアノブに触れたとき、手のひらに残るぬくもりが教えてくれる。ここはただの本屋ではない。都市の記憶を編み、未来への想像を育む、静かなる基地なのだ。

旧宅に宿る新しい声:赤い扉の向こうにある家族の物語
多くの独立系書店とは異なり、三餘書店のはじまりは一人のカルチャー好きな起業家のひらめきではなかった。そこにいたのは、デザイナー、映画関係者、社会学者、そして地元南部に根を張る実業家という、まったく異なるバックグラウンドを持つ5人の株主たち。ある日、家族の食卓を囲む中で「一緒に本屋をやってみないか」という思いが、不思議と同時に芽生えたのだ。方向性と資金の話がまとまったのち、彼らが選んだ場所は築67年の古民家。三階建ての戸建て住宅は、和洋折衷の洋館に南洋風の騎楼が融合する、時代の面影を色濃く残す一軒だった。
この「三餘・簡宅」は、もとは地元の名家・簡家のもので、かつては自宅のグアバ畑やヤシの木のそばで穏やかな日々を送っていたという。やがて田畑は分割され、道路は拡張され、家族はそれぞれの新たな住まいを持つようになった。この家も、長くコーヒーマシンの修理店として使われていたが、高齢の母親が同居することになり、修繕のために明け渡されることに。ちょうどそのタイミングで、株主たちの目に留まることとなった。
赤い扉の取っ手は、その独居していた母親へのオマージュだ。彼女は日々、階段を上り、庭を通って書斎を抜け、二階の寝室へと向かっていた。取っ手に残る木目は、手のひらが触れた回数だけ、暮らしの記憶を刻んでいる。
経営者たちはこの古い扉と鉄格子の門を残すことを決めた。そしてオープン前、庭の古い正門を再び開け放ち、見知らぬ訪問者にも、家族が歩んできた生活の軌跡をたどってもらえるようにした。それは、歴史への敬意であり、日常が持つ張りつめた美しさへの共鳴でもあった。
空間はひとつの楽章:四階建ての自由なリズム
三餘に足を踏み入れた瞬間、空間そのものが持つしなやかな生命力を感じる。




詩とZINE:読むこと、最前線のときめき
三餘では、一冊の詩集が一杯のコーヒーほどの価格で手に入り、ZINEと呼ばれる小さな手作りの冊子も、ほんのささやかな制作費で、心の新たな大陸への扉を開いてくれる。
台湾の多くの書店が詩集を文学コーナーの奥深くにしまい込むなかで、三餘はあえてそれを、もっとも目を引く入口の棚に置いている。ここで出会う詩は、たしかに言葉の美しさを湛えながら、静かな空間の中で真珠のように響きわたる。詩に触れたことのない若い読者が、初めて行間の呼吸に心を動かされる。詩人たちもまた、新刊朗読会を開き、言葉が震えるその瞬間を読者と共有できる。そんな場がここにはある。
そしてZINEは、さらに自由で多様な表現が息づくメディアだ。三餘では、台湾各地の手づくりZINEを集めており、独立系の漫画や写真エッセイ、手描きの物語など、小さくて美しいそれらの冊子は、まるで書店の中に輝く星々のよう。一冊一冊が、作者それぞれの都市や田舎の記憶、感情の断片、日々の小さな気づきを語りかけてくる。
公共性の実験場:社会課題にひらかれた空間
三餘は、いかなる社会的テーマからも目をそらさない。土地改革やジェンダー運動、住宅の正義について語るとき、地下の展示空間はまるでひとつの巨大なパブリック・クラスルームとなる。
女性の権利やジェンダー平等をめぐる映像展は、三餘で多くの「移動する対話」を生み出してきた。あるときは屋外のサロンとして、夜の広場にドキュメンタリー短編が映し出され、またあるときは高雄市歴史博物館との合同展示で、三餘のキュレーションがさらに広い舞台へと招かれる。書店はもはや「本を売る場所」ではない。都市の中で、もっとも自由で開かれた「視点の基地」として息づいている。
メディアを越えて:書店が描く未来のビジョン
デジタルとリアルが並走する時代、三餘は紙の本を売るだけの場ではない。さまざまなメディアを横断し、ジャンルを越えた実験をつづけている。
科学+文学……小説『自転車泥棒』(原作:呉明益)を題材にした科学展では、物語に描かれた高雄の風景を、物理の原理や都市の地形といった視点からひもとく。文学に馴染みのない来場者にとっても、新たな入口となる展示だ。
音楽+映像……地元バンドとコラボした映像作品では、音楽が街の情景を紡ぎだし、その旋律が短編映像となって書店の一角に映し出される。視覚と聴覚が交差するその瞬間、書店は移動する展示室となる。
漫画+現地リサーチ……高雄にルーツを持つ漫画家を招き、街角の人文風景をペンの線で描き出す。仕上がった手稿は、少部数のZINEとして書店に並ぶ。
こうした試みを通じて、三餘は「読む」という行為の境界を押し広げていく。最初は小説や詩集を求めて訪れた読者も、気づけばメディアを横断する体験の中で、知識や文化の伝え方そのものを問い直している。
三餘がもっとも輝く瞬間は、そうした読者との大小さまざまな共鳴にある。ある学生はイベント後の感想でこう書いた。「本屋って、こんなに新鮮なんだ。詩集も遠い存在じゃないし、展示も私たちの暮らしとつながってる」。また、ある常連客は言った。「ここに来るたび、友達の家に帰ってきたような気持ちになるんです。次にどんな話が待っているのか、いつも楽しみで」。その日常のぬくもりこそが、三餘を11年間支えてきた確かな力なのだ。
書店は都市を語る
三餘書店は、一軒の独立書店でありながら、ひとつの文化拠点でもある。築60余年の古民家の歴史を丁寧に引き継ぎつつ、その空間には未来の読書体験が広がっている。ここは、旅人にとってただのフォトスポットではない。むしろ立体的な「高雄万華鏡」として、街の奥行きや感情を映し出す窓となる。社会への批評精神を恐れず、理性的な議論の場を歓迎する姿勢は、まさにこの街の懐の深さを象徴している。高雄市民の誇りであり、そして他所から訪れる人々にとっては「この街を新しく知る入り口」となる場所。この書店から歩み始めれば、街の路地へ、海辺へ──本当の高雄が肌で感じられるはずだ。なぜなら、この都市の文化は博物館のガラスの中ではなく、本屋や展示室、街角の空気のなかに生きているからである。






三餘書店 Takaobooks
住所:高雄市新興区中正二路214号
TEL:07-225-3080
www.takaobooks.tw
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