ジュジャーロの手掛けた名車が勢ぞろい! 「オートモビル カウンシル2025」をレポート ♯1

  • 写真&文:内田栄治
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トークショーに生出演したジョルジェット・ジュジャーロ。聞き手はCG編集長の小野光陽。

2025年4月11日から13日の間、幕張メッセで開催されたオートモビルカウンシルは10周年を迎えた。このようなイベントを10年も継続して行うのは大変な努力と苦労があっただろう。改めて関係者の熱意に敬意を表したい。

その10年を記念するかのように、今回はビッグゲストが招聘された。名車を何台もデザインしてきたイタリアの工業デザイナー、ジョルジェット・ジュジャーロである。今回は特別企画としてジュジャーロに縁のあるクルマが多く展示された。その一部を紹介しよう。

アルファ・ロメオ・ジュリア・スプリントGTA(1963年)

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アルファ・ロメオ・ジュリア・スプリントGTA。「GTA」の“A”は「Alleggerita」、つまり軽量化モデルのこと。

20代前半のまだ若いジュジャーロを一気に有名にしたのがこのクルマ。当時、ベルトーネにいたジュジャーロはなんと徴兵中。上官の許可を得て自由時間でこのクルマをデザインしたという。今までのクルマがヘッドライトを基点にフェンダーの峰に伸びるデザインだったのに対し、これを打ち破るために、いわゆる寄り目にした革新的なデザイン。それでいて美しさと機能性を兼ね備えている、ジュジャーロの出世作である。

マセラッティ・メラクSS(1972年)

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マセラッティ・メラクSS。SSは「Super Sport」仕様を意味する。
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フライングバットレスのデザインが特徴。放熱用ルーバーの設置が可能になり、後方視界もよい。

自身のデザイン会社、イタルデザインを通じてデザインした一台。マセラッティ・ボーラとデザイン要素を共有している部分もあるが、フライングバットレスという重要なデザイン要素が加わった。ファストバックスタイルの流麗なフォルムを取りながらエンジンフードを露出し、リアウインドウの視界確保とエンジンルームの放熱効率の向上を実現している。

フォルクスワーゲン・ゴルフ(1974年)

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フォルクスワーゲン・ゴルフ。大衆車の革命児ともいえる存在。

これぞ正にモダン・ハッチバックの原型となった革新的なデザインの一台。直線基調でクリーンなデザイン、グリーンハウスが広く取られ、実用と合理性を兼ね備えながらも、スポーティでスタイリシュなデザインを実現。日本においても徳大寺有恒によって多くが語られ、大変な人気となった。

いすゞ・アッソ・ディ・フィオーリ(1978年)

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いすゞ・アッソ・ディ・フィオーリ、ピアッツアの原型モデル。段差がないフラシュサーフェスデザインの先駆け。

筆者が最も衝撃を受けた、いすゞピアッツアの原型となったモデル。鋭角的なウェッジシェイプとフラシュサーフェス、見た目の美しさだけでなく空力性能も両立していた。また、インテリアもデジタルメータとステアリング脇に設置したサテライトスイッチがとても未来的。ジュジャーロは「自動車スタイリングのすべてを壊し、再構築した」と語り、自身のデザイン史における「第五のコペルニクス的革命」と位置づけている。

BMW M1(1978年)

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BMW M1。BMW初のミッドエンジン車で、イタリアンスーパーカーとも違う端正で流麗なデザイン。

M1は、筆者の憧れのクルマのひとつ。1970年代初頭、ツーリングカーで成功を収めていたBMWが次に目指したのはグループ4、及びグループ5であった。その為、ホモロゲーションを取るための特別なクルマが必要となった。それはミッドシップで軽量で高剛性なボディ、レースで勝てるシャシーであった。そこで白羽の矢が立ったのが既にカウンタックやミウラを生産していたランボルギーニだった。

ランボルギーニと深いかかわりのあるジャンパオロ・ダラーラもシャーシーとサスペンション設計、実際の車体の実働試作まで担当。途中ランボルギーニは経営難で結局離脱してしまう。BMW Motorsportの元、ボディ設計はイタルデザイン(ジュジャーロ)、ボディ製造はイタリア・マルケージ社、最終組み立てはドイツ・バウアー社で行われた。いま見てもジュジャーロのデザインは流麗で新鮮だ。

ランチア・デルタ(1979年)

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ランチア・デルタ。高級感と知性、イタリア的気品を併せ持つプレミアム・コンパクト。

ランチアはすでにフィアットグループの傘下にあったため、デルタの開発にあたっては、フィアット・リトモのプラットフォームを活用しつつ、高級感と実用性を兼ね備えたハッチバックをつくることが求められた。小型車の第一人者でもあったジュジャーロにフィアットグループがデザインを依頼、機能美を優先したスクエアなフォルム、室内空間の最大化、高い視認性と快適性、スポーティさと実用性の両立、なおかつエレガントなクルマの開発が求められた。

一方、ジュジャーロはランチアへの深い敬意と再生を願っていた。かつてのフラミニアやフルビアなど、優雅で洗練されていたクルマ文化の再生に貢献したいという思いがあった。直線基調、スクエアで端正なボディ、小型車でも高級車は成立するという図式を見事に体現した。

フィアット・パンダ(1980年)

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フィアット・パンダ。そのシンプルなデザインと優れた使い勝手で多くの人に愛された。真のインダストリアルデザインの傑作と言えよう。

パンダをジュジャーロは「ジーンズのようなクルマ。誰でも履けて、どこでも使える」と語る。1970年代、イタリアは石油ショックによる経済危機などで大変な時代だった。そのためクルマに求められたものは、できるだけ安く、整備しやすく、小さなボディでも居住性と荷室を確保すること。そして、安くても、貧乏くさくないことが条件となった。この要求がパンダというクルマの性格付けを明確にした。複雑な局面を避け、直線主体のパネル設計。エンジンはフィアット126のものを流用し、背の高いキャビンで居住性を確保した。そして、シートにはパイプフレームと明るい生地を組み合わせ、まるで家具のようにお洒落なデザインにしている。イタリアは勿論のこと、日本での人気もご存じの通り。

DMC・デローリアン(1981年)

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DMC・デローリアンは映画で一躍有名に。鈍く光るボディのステンレス鋼が印象的だ。

1985年公開の名作映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』で一躍有名になったクルマ。特徴的な車体は、ロータス・エスプリの流れをくむシャーシーにガルウィングドアのボディを架装。ボディはステンレス鋼でできており、このクルマのイメージを強く印象づけている。ジュジャーロは「これはスポーツカーというよりモダンな工業製品だ」と語っており、コンセプトカーのポルシェタピオの影響を強く受けていることがわかる。しかし、この革新的なクルマ自体のクオリティは低く、創業者のジョン・デロリアンが麻薬所持で逮捕されたこともあり、結局会社は倒産してしまうのだが。

ストラトス・ゼロ(1970年)

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未来的なウェッジフォルムのストラトス・ゼロ。

イタルデザイン・アズテック(1988年)

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イタルデザイン・アズテックは、デュアル・キャノピーが特徴。

その他、コンセプトカーのストラトス・ゼロやイタルデザイン・アズテックも展示されていた。ここまでは、ジョルジェット・ジュジャーロの手掛けた作品を紹介してきたが、オートモビル カウンシル2025の全容は後日詳報する。

オートモビル カウンシル2025

開催期間:2025年4月11日~13日
開催場所: 幕張メッセ 国際展示場 9/10/11ホール
https://automobile-council.com