
横須賀美術館にて開催中の『生誕120周年 サルバドール・ダリー天才の秘密ー』。アジア最大のダリ・コレクションを誇る諸橋近代美術館の所蔵品を中心に、サルバドール・ダリ(1904〜1989年)の渡米以降の活動に着目しつつ、その生涯をたどっている。
若きダリの描いた知られざる作品が公開
スペインの北東部、カタルーニャ州フィラゲスに生まれたダリは、公証人の子息として裕福な家庭で育つと、18歳からマドリードの王立美術学校に学ぶ。しかし次第に前衛的な活動へとのめり込み、教師らと衝突の末に追放された。この間、ダリは印象派からキュビスムまでの20世紀モダニズムに触れ、視覚芸術のみならず、文筆など多様な創作に取り組んでいく。『庭の少女たち』(1919)はダリが10代の頃に過ごした別荘での姉妹を描いたもの。後年の作品のイメージとは異なり、後期印象派を思わせるような明るい光を見ることができる。またダリのパートナーであり、生涯にわたり強い影響を与えたガラをモチーフとした『ガラとロブスターの肖像』(1933)にも注目したい。この頃のガラはマネージャーとしても活躍していたが、ダリは彼女の姿を自らの偏愛の対象とするロブスターと重ねている。
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シュルレアリスムの表現者と関わったダリ。デュシャンとの交流も

1929年にパリでシュルレアリスムのグループに合流したダリ。ブルトンを実質的な主導者とするグループには、マックス・エルンストやジョアン・ミロといった画家をはじめとするさまざまな表現者が集う。同年の夏に、ダリ、エリュアール夫妻らとカダケスに滞在したこともあるルネ・マグリットもそのひとり。『人間嫌いたち』(1942)には、マグリットが初期から繰り返し表したモチーフであるカーテンを、まるで荒野に林立する巨大なサボテンのように描き、事物を本来の文脈より切り離しつつ、神秘的ともいえる画面を構築している。またダリは意外にも17歳ほど年齢が離れたマルセル・デュシャンと交流。33年頃にデュシャンはダリに会うため、カダケスに滞在したほか、74年に故郷フィラゲスに開館した「ダリ劇場美術館」において、ダリはしばしばデュシャンについて言及している。---fadeinPager---
作品とダリ本人の強烈な個性で一躍大人気に!


ダリは1934年、ニューヨークの画廊主のジュリアン・レヴィの招きに応じて初めて渡米すると、瞬く間にメディアの寵児となり、第二次世界大戦が勃発すると亡命。40年から48年までアメリカを拠点とする。『ヴィーナスの夢(複製)』(1939)とは、39年のニューヨーク万国博覧会でダリが手がけたパヴィリオンの内壁を飾るために制作された作品で、柔らかい時計や岩山に人の顔を重ねるダブルイメージなど、ダリの絵画を特徴づけるモチーフを随所に描かれている。また『ビキニの3つのスフィンクス』(1947)は、ビキニ環礁で繰り返し行われたアメリカ軍による核実験を主題とした絵画だ。巨大な後頭部に見られる白髪が原爆投下時に生じたキノコ雲とのダブルイメージとなっている。ダリはアメリカでの仕事を通して、創造の境界を広げ、飛躍的に表現を進化させた。---fadeinPager---
ダリの思いがけない側面が浮かび上がる

戦後のダリは量子力学に強い関心を抱き、化学によって生じる力の表現を試みる一方、伝統的な宗教主題も取り入れる。また表現媒体を拡張させていったダリは、写真家のフィリップ・ハルスマンと出会うと37年にわたってたびたび共同にて制作。ハルスマンは万物が浮遊した「原子の時代の写真」をダリに提案して写された『ダリ・アトミクス』をはじめとする、ダリ本人をモデルとした作品を多く手掛ける。あのよく知られたカイゼル髭によるダリのポートレートもハルスマンによるものだ。横須賀美術館学芸員の工藤香澄が、「ダリはともかく自らをアピールする画家と思われがちだが、デュシャンとの関わりやハルスマンとの共作など、意外とほかの作家に対してリスペクトしている」とも語った。ダリの思いがけない側面が見られる本展で、油彩、素描、版画、彫刻などの多彩な作品を通して、ダリがいかなる芸術家であったのかを探りたい。
『生誕120周年 サルバドール・ダリー天才の秘密ー』
開催期間:開催中〜2025年4月6日(日)
開催場所:横須賀美術館
神奈川県横須賀市鴨居4-1
開館時間:10時~18時
料金:一般 1,400
www.yokosuka-moa.jp