僕はアダム キメルという2004年から2012年までコレクションが発表されていたNYを拠点としたブランドが好きで、'21年には個人的に収集したコレクションの展示を企画したこともある。
アダム キメルについて、よく書かれているのは、'50-'60年代のNYのアーティストの普段着などから影響され、ワークウエア、スポーツスタイルからタキシードまで、アメリカのライフスタイルに根差したコレクションがさまざまにミックスされて提案されていた、というもの。別の角度ではヨウジヤマモト、ニノ・チェルッティ、マルタン・マルジェラ、ヘルムート ラングなどの影響を受けたと聞いたことがある。
愛用するアダム キメル 2008SSコレクションのパーカを着ながら、ディテールに目をやると、1998年FWのヘルムート・ラングのコレクションが思い起こされた。それは黒のコットンアウターに、真っ白なナイロンキルティングのライナーがついたもの。それで、ブックマークのヘルムート・ラングのコレクションアーカイブを掲載しているページをチェックすると、配色こそ違えど、白いライナーを覗かせたミリタリーアウターが次々と登場するコレクションで間違いなかった。

ヘルムート・ラングがミリタリーを題材にミニマリズムを適用した様に、アダム キメルはエルエルビーンやエディー・バウアーといったアメリカンライフスタイルウエアにミニマリズムを適用したとも考えられると思った。アダム キメルがそこまで影響を受けたデザインとして、1998年FWのヘルムート・ラングのコレクションに興味が湧いた。
98年当時、自分は21歳で、師匠の元でスタイリストのアシスタントをしていた。当時着ていたオランダ軍のバイカー用ハーフ丈のオリーブグリーンのナイロンコートを思い出す。下北沢のフォーコーナーズという良心的な古着屋で手に入れたそれに、黒の5ポケットの細身のパンツを合わせ、レッドウィングのスーパーソールを履いていた。
当時の自分のライフスタイルや、師匠の影響下での嗜好から選んだ服装だと考えていたが、今思えば恐らくラングの影響を、間接的にとは言え、多分に受けていたのではないかと感じる。
25年も前の自分の服装のルーツを感じ取ることになるとは、意外で面白い。
最近では古着屋の店頭でCarharttやKEYのダック地のカバーオール、それもかなりやれているものを目にする。それは’24年春夏のPRADAウィメンズコレクション、後にメンズコレクションでも発表されたダメージ感のあるカバーオールをドレッシーなスカートやウールスラックスにコーディネートされたコレクションの影響を受けていると、はっきりと感じられた。
いまでもランウェイで発表されたコレクションがストリートにも影響を及ぼしているように、98年当時のラングのインパクトを考えるとかなり多くの人がその影響下にあったと思われる。
そこで気が付いたのは、ワーク人気、ミリタリー人気にもファッションの脈略として読み解ける要素がありそうだな、ということ。
90年代初頭からミレニアム頃まで長い間ミリタリー人気が続いていた。前述のラングの影響でモードシーンに波及し、モッズコート(M-51など丈が長めのアイテムの人気が出た。
98年ラングの以前を思うと、ロンドンクラブシーンからトレンドが発信されたブラックやネイビーのMA-1にカモフラ柄のアイテム。スキンズリヴァイヴァルで着るセージグリーンのMA-1、トップガンを見て憧れるMA-1。
さらに遡れば、ヒッピームーヴメントでミリタリーアイテムが平和活動に採用され、若者のファッションアイテムになったことも挙げられる。
ミリタリーというと、とかくどの軍隊がどういった目的で開発、採用したといったスペックの方に話が傾くが、ストリートファッションにおいて、どんなカルチャー的背景からそのミリタリーアイテムが取り上げられて来たのかを考察するのも、取り組む価値があると思った。