『「カッコいい」とは何か』(2019年、講談社現代新書)を上梓するなど、平野啓一郎は、その定義についてさまざまな角度から分析をしている。時代とともに常に変わり続ける「カッコいい」という価値観について、彼の考えを聞いた。
Pen最新号は『新時代の男たち』。ここ数年、あらゆるジャンルで多様化が進み、社会的・文化的にジェンダーフリーの概念も定着してきた。こんな時代にふさわしい男性像とは、どんなものだろうか。キーワードは、知性、柔軟性、挑戦心、軽やかさ、そして他者への優しさと行動力──。こんな時代だからこそ改めて考えてみたい、新時代の「かっこよさ」について。
『新時代の男たち』
Pen 2024年7月号 ¥880(税込)
Amazonでの購入はこちら
楽天での購入はこちら
---fadeinPager---
2019年に『「カッコいい」とは何か』(講談社現代新書)を上梓した平野啓一郎。古今東西の歴史や文献にあたりながら400ページにもおよぶ考察を行い、私たちがなにげなく使っている「カッコいい」という言葉を実に明快に紐解いてみせた。
日本においてはテレビの登場とともに1960年代以降爆発的に流行。アメリカやイギリスから輸入されたジャズやロックを筆頭とする新しい音楽は鑑賞者をシビれさせ、鳥肌が立つような生理的興奮と模倣願望をかき立てた。人々はその熱狂を「カッコいい」と表すようになる。これより前の時代では、辞書に掲載されている「格好(恰好)良い」が一般的な使い方で、理想とされる対象に対応しているさまを指した。規範となる型に個人を当てはめるのが「格好良い」であるのに対し、戦後の民主主義を経てひとりひとりが個性に応じて人生の理想像を追求した結果、生まれたのが「カッコいい」であった。ジャンルを超越し、カッコいい人やモノを求めるのは、自分探しの行為であると平野は分析する。
「『カッコいい』には大きく分けてふたつあって、感覚的に生理的興奮を与えてくれるものと、自分もそうなりたいと思うロールモデル的な存在です。後者は男女雇用機会均等法が整備されつつあった90年代以降、女性の社会進出にともなって女性誌で盛んに使われ出しました」
おもに男性を対象としていた「カッコいい」という形容詞は、自立した女性に対しても使われるようになる。
「昔は戦争で戦うマッチョな男性のイメージだった『カッコいい』が、時代とともに変化します」
これと対照的に使われる「かわいい」には戦いのイメージはない。「『かわいい』には男性に歯向かわない印象がありますよね。アイドルにもよく使われますが、最近はアイドルも実力主義の方向へ変わってきた。歌もダンスも上手くなって自分の好きなように生きている姿は『かわいい』よりも『カッコいい』の対象でしょう」
男女問わず「カッコいい」という言葉が当たり前に使われるようになった2000年代以降はジェンダーレスなカッコよさが世界中に広まるようになる。
「アメリカは長いことマッチョな男性像が理想とされてきましたが、ここ数年は、もう少し優しくてフレンドリーな存在が求められているのではないでしょうか。Kポップがこれだけ受け入れられている理由でしょう。ヨーロッパではボードレールやオスカー・ワイルドに代表される19世紀のダンディズムが、個人の発露による美的価値を提唱します。ファッションはいまもジェンダーレス化を牽引しています。パリコレのランウェイでは、デザイナーがジェンダーや旧来の美醜の壁をどんどん打ち破っているのが印象的です」
このように「カッコいい」の価値観は時代とともに常に変わり続けている。
「いずれにせよ、新しい価値観を提示することが、『カッコいい』と評されるのだと思うんです。認知科学の本を読むと、人は自分の期待値以上のものに出合った時にドーパミンが出るそうです。見飽きた表現にはだんだん興奮しなくなって、欲求も低下してしまう。だからファッションであれデザインであれ、表現活動は常に新しくないと支持されないのです」
価値の多様化によって混迷の時代と言われる現代では、よりいっそう新しい価値観が求められていると平野は言う。
「人間がAIのようになんでもできれば相当カッコいいんでしょうが、AIそのものをカッコいいとは思わない。やっぱり生身の人間は限界があるということをみんな知っているから、その限界を超えている姿に憧れるし、自分もそういうふうになりたいという感情を抱くのではないでしょうか」
限界に挑む大谷翔平や、マスコミに媚びず自分のペースでふるまう大坂なおみは、スポーツ界に爽やかな風を運んだと平野。そしてカッコよさの対象は、モノに対してもおよぶ。
「見たこともないファッションや、ものすごいスピードで走るクルマに対してカッコいいと感じるのは、新しい価値を提示して限界を超えているから。そういう製品をつくるためにはトライ&エラーを許容する社会が必要です。失敗を恐れていては新しいものはなにも生まれてこない」
身体感覚に根ざした共感によって人にエネルギーを与える「カッコいい」存在は、同じ価値観を共有する他者を結びつけると同時に、分断の引き金にもなり得るという。
「歴史的に見ると、カッコよさというのは常に政治に悪用されてきた側面があります。政治的カリスマ性は、大衆にカッコいいという妄想を抱かせる。そこは警戒しないといけない」
SNSの登場によって、カッコよさの価値基準はますます細分化され、変化のスピードも加速した。
「ひと昔前はみんなが一斉にテレビでスポーツの決定的瞬間を見たり、新商品のコマーシャルにときめいたりしていましたが、メディアの主役はインターネットにとって替わられました。顔をウェブ上で修正・加工して自ら発信する時代です。気をつけるべきは、ネットで特定の人の動画を見ると一方的にお薦めされてしまい、妄信させるシステムにハマってしまうことです」
一方で人間を見た目の美醜で判断するルッキズムに対しても平野は警鐘を鳴らす。
「外観がどうであれ、生き様によって、私たちはその人のことを『カッコいい』と評してきました。カッコいい/カッコ悪いの判断は本来、より多面的で複雑だったはず。見た目の格差が経済的な格差に直結するような社会はよくない」
「カッコいい」には人間にポジティブな活動を促す大きな力がある一方で、私たちは新しい時代の「カッコいい」を批判的に創造すべきであるという。
「私たちは結局のところ『カッコいい』存在に「真=善=美」といった基準を期待しているのではないでしょうか。ときに暴力的ともなりうるその力を抑制しつつ、人間としての倫理に配慮しながら新しい価値を創造し、社会を更新する存在が求められているのです」
『新時代の男たち』
Pen 2024年7月号 ¥880(税込)
Amazonでの購入はこちら
楽天での購入はこちら