ピアニスト、角野隼斗が見せるクラシック音楽と最先端テクノロジーの共存

  • 文:林信行

Share:

L1270651.jpg
YouTube配信での愛称「Cateen かてぃん」でも知られる角野 隼斗(すみの はやと)はクラシックをベースに、ジャンル横断の演奏で世界を魅了する注目のピアニスト。「弱音の美しさ」に惚れてスタインウェイ&サンズ社のピアノを愛用している。

3月、ソニー・クラシカルとのワールドワイド契約を果たした角野隼斗は、現在、最も注目を集める日本人ピアニストの1人だ。ソニー・クラシカルは1927年設立のコロムビア・マスターワークス・レコードを起源に持つクラシック音楽の世界的レーベル。日本人の演奏家として世界契約を結んだのはヴァイオリニストの五嶋みどり、樫本大進、ピアニストの藤田真央に続く4人目で、クラシック音楽界では大きなニュースとなっている。

このようにクラシックのピアニストとして確固たる地位を築いている角野だが、彼にはもう1つ、デジタルテクノロジーに精通した新世代の音楽家としての顔もある。1995年生まれで現在28歳の彼は、子供時代ビデオゲームで使っていた“Cateen(かてぃん)”というニックネームでYouTubeの配信を行い、チャンネル登録者数は130万人、総再生回数は1億8千万回を突破している。フランス国立音響音楽研究所(IRCAM)の研究者としてパリに留学、2020年3月に東京大学大学院にてAI(機械学習)関連の研究で工学修士号を取得し、音楽と科学の両方での優れた業績により学長賞を受賞している。さらにはアップル社が広めるべく努めている立体的な音楽フォーマット、空間オーディオを使った曲作りもいち早く始め、今年になってから日本でも提供が始まった世界最大規模のクラシック音楽の配信サービス、Apple Music Classicalのアンバサダーも務めている。

今回、その角野がApple Music Classicalの魅力を伝えるべく開催したイベント「角野隼斗に学ぶ、アプリで楽しむクラシック音楽の新常識」の直前に天才ピアニストの眼差しに迫る機会を得た。

---fadeinPager---

大学では最先端のAIを研究したデジタルネイティブのピアニスト

L1270719.jpg
王道のクラシック音楽を奏でる一方で、大学時代には今が旬の音楽系AIの技術を研究していた工学者としての顔も持ち、ヴァイオリニストのヒラリー・ハーンやピアニストのラン・ラン、クラシックギタリストの村治佳織、指揮者の佐渡裕らと共にApple Music Classicalのアンバサダーも務める。

音楽とテクノロジー、一見離れているようにも思えるこの2つの領域、角野の中でどう繋がっているのか。

1つにはテクノロジーが当たり前の世代ということも大きいようだ。例えばYouTubeなどでの動画配信についても「動画をあげるということは中学校くらいからやっていたので、あまり意識せず自然に始めていたところがあります。」と言う。

「保守的な人の中にはテクノロジーを活用するということについて否定的に捉える人もいるみたいですけれど、音楽の発展というのはテクノロジー、技術の発展と密接に結びついていました。ピアノを例にとれば、チェンバロがフォルテピアノになって、だんだんと大きな音が出せるようになるのに沿って音楽そのものも変わってきました。それはオーケストラがだんだん大きくなってきたことも同様に音楽の作られ方に影響しました。その後、レコードというものが誕生して、それは音楽鑑賞のあり方を大きく変えてしまったし、そして今はソーシャルメディアというものが(どんな音楽を聴くかに)大きな影響を与えるようになりました。そういう中で新しい音楽というものが生まれています。だから、私も常にそれらをどうやったら自分の活動の中に取り入れられるかなということは常々考えています」。

「元々、数学が好きだった」という角野は高校から大学に進学するにあたって東京藝術大学と東京大学のどちらに進学するか迷った末に東京大学で工学部計数工学科に進むことを決めた。ただ大学3年の時に、やはり何か音楽に関わることをしたいと音楽関係のテーマを選択。「独立深層学習行列分析に基づく多チャネル音源分離」という研究を行い論文の筆頭著者を務めた。難しそうなテーマだが、これは昨年末、話題になったビートルズの新曲でも、デモテープの音からジョン・レノンの歌声だけを分離するのに用いられた今がまさに旬の技術だ。クラシック音楽でも日本の最先端を行く角野だが、実はテクノロジーにおける見識でも時代の最先端を行っている。---fadeinPager---

角野流Apple Music Classicalの使い方

L1290670.jpg
3月にApple Omotesandoで行われたイベント「Today at Apple:角野隼斗に学ぶ、アプリで楽しむクラシック音楽の新常識」では、いつもは離れたステージ上の角野を間近で取り囲み、来場者からの質問にも答えた。

そんな角野が今、誰もが利用できる音楽テクノロジーとして愛用しアンバサダーも務めているのがアップル社が提供するクラシック音楽を楽しむためのアプリ、Apple Music Classicalだ。彼はいったいこのアプリをどのように活用しているのか。

「僕の場合、一番よく使うのが、自分でこれから弾く曲を調べるという使い方です。曲名を入れて検索すると、すぐにさまざまな人の演奏が一覧表で出てくる。これが本当に便利で世に出ている色々な人の解釈を聴き比べています。」

そうやって聴き比べる中で「なるほど、こういうような解釈はいいな」と納得した部分を自分の演奏に取り入れることもあるという。

「Apple Music Classicalではデュレーション(演奏時間)でも並べ替えができるので、速めの演奏と遅めの演奏を聴き比べられる点も気に入っています。ただ、現在のバージョンは表示が分までで秒単位での並べ替えをしてくれないのでそこは改善して欲しいですね。」

以前、行ったインタビューで、ヨーヨー・マも他の人の解釈を聴くことの大事さを強調していた。今回、角野から同じニーズを聞いたことで、Apple Music Classicalは、我々の知らないところで世界中の音楽家に計り知れない影響を与えているのではないかと感じさせられた。

そのApple Music Classical、一般の人はどんな使い方をすればいいのだろう。

「面白いのはジャンルや楽器で音楽を見つける機能だと思います。」と角野。「僕はあまりフルートの演奏には詳しくないのですが、Apple Music Classicalの「見つける」と言う機能で楽器から曲を探す機能を選んでフルートを選ぶと、それだけでフルートではどんな曲のレパートリーが有名なのかを知ることができます。」

ジャンルごと、時代ごとに音楽を探すことができるのも楽しいという。

「僕はよく21世紀の作曲家みたいなところを開いて知らない作曲家の方々がいっぱい出てくる。そう言うのを聴き漁ることで新しい音楽を発見できるというのも魅力の1つだと思っています。」

L1290452.jpg
Apple Omotesandoのイベントではイベント当日にApple Music Classicalで公開された「Classical Session: Hayato Sumino」に収録曲としてのバッハの曲やオリジナル曲「胎動」(ショパンのエチュードにインスピレーションを受けたという)を演奏。マイクの不具合でトークが中断した際に、時間つなぎで「仔犬のワルツ」の変奏曲を演奏しサービス精神を感じさせた。

インタビュー後にApple Omotesandoで開催されたイベント、「Today at Apple:角野隼斗に学ぶ、アプリで楽しむクラシック音楽の新常識」では、時折、会場に持ち込まれた愛用のSteinway & Sonsのグランドピアノで演奏を織り交ぜながら、Apple Music Classicalの「見つける」機能で敬愛するという坂本龍一らを例に実演、来場者からの質問にも答え「難しいと思われることの多いクラシック音楽だが、自分を通して楽しんでもらいたい」と語った。---fadeinPager---

AIの時代だからこそ、人間的な表現を追求

L1290299.jpg
Apple Music Classicalのアンバサダーとして日頃、このアプリをどのように使用しているかを紹介(インタビューで話したのとほぼ同じ内容だった)。実演時に好きなミュージシャンを聞かれ坂本龍一をあげ、同アプリを使えば例えば坂本龍一を通して、彼とコラボをしているAlva Notoなどの音楽を知ることもできる、と紹介していた。

最先端のテクノロジーを知る角野に、これから音楽の世界を変えていきそうな2つのテクノロジーについて話を聞いた。1つは角野自身のアルバムでも用いられている空間オーディオ。立体的に聞こえる音を実現する技術だ。

「面白い技術だと思います。特にオーケストラなどの演奏を聴くときは、それぞれの楽器の音が、分離されて聞こえてくるので、まるでクラシックホールの真ん中で聞いているような臨場感が得られます。」

「自分のようにピアノの演奏だけの録音だとあまりそうした立体感は意味がない部分もある」という角野だが、角野なりにこの新技術の使い方を探究している。現在、Apple Music Classicalで公開中のClassical Session: Hayato Suminoでは、「ロンドンのスタジオのエンジニアさんと相談しながら高音部分だけを別録りして、その音を後ろから囁くように響かせる。」つまり、ちょっとだけ音の断片を別の場所からも響かせるような音響状の工夫を加えてみたという。

 では、これからさらに発展するAI技術についてはどう捉えているのだろうか。

「画像とか言葉のAIは驚くようなものが次々と出てきていたのに、音楽の分野のAIはなかなか出てこないなという印象でしたが、最近になって、作曲AIのSuno.AIなどが出てきました。あれは凄いなと思いました。私は少しいじっただけですが、ちゃんとした曲が一瞬でできてしまいます。」

Suno.AIは最近、ソーシャルメディアで話題になっている生成AIだ。作りたい曲の雰囲気を言葉で書いたり、歌詞を提供し、曲のジャンルを選ぶと、すぐに3パターンの曲を作って歌声までつけてくれる。

「こうしたAIが増えてくることで、これからの時代の音楽制作のやり方は明らかに変わってしまうと思います。ここで考えないといけないのが、一瞬で曲が作れてしまうということは、音楽を作るという価値が揺らいでしまう面もあることです」と角野。AIが台頭してきたことによって、テクノロジーと人の関係を考えることが増えたと角野は言う。「自分もこれまで(テクノロジーを使って)後から演奏に音を足したり、シンセサイザーを使ったりと色々なことはしていますが、やっぱり、自分の根本はアコースティックな部分、つまり自分の身体で音を表現するという部分なのだ。そういうことを考えさせられました。」

そんな角野が、これからの音楽で大事だと考え、追求していきたいというのが「より人間的な表現」だ。「パソコンで音楽が作れるようになってきたけれど、パソコン上で完結する音楽というのは今後はAIを使ってもすぐにできてしまう時が来るかも知れません。やはり人は人の表現に感動するというところがあります。僕の場合のそれはピアノを弾くという行為なのかなと思っています。」

今年は自らの誕生日である7月14日に武道館でのピアノリサイタルも控えているが、今年はこれからどんな活躍を見せてくれるのだろう。

「まずはこの秋にソニー・クラシカルからリリース予定のワールドワイド・デビューアルバムがあるので、その完成に向けて頑張りたいと思っています。また、今年はありがたいことに海外公演も多いので、それら1つ1つに全力で向き合っていきたいと思っています。」

日本を代表するクラシック音楽家の1人としても、テクノロジーで変貌する音楽業界を先導する音楽家としても今後の角野隼斗の活躍に注目していきたい。

Classical Session: Hayato Sumino

※Apple Music ClassicalがインストールされたiPhoneやAndroid、iPadなどのスマートフォン/タブレットで開く必要があります
https://classical.music.apple.com/jp/album/1735771876?l=ja-JP