【ヨーヨー・マ独占取材】アップルが開始したクラシック音楽専用アプリとは?「文化の多様性に触れることが、未来をポジティブに変える」

  • 文:林 信行

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ヨーヨー・マ⚫︎1955年、フランス・パリ生まれ。1980年、『ラロ、サン=サーンス:チェロ協奏曲』で米デビュー。現代を代表するチェリストのひとり。クラシックの枠にとらわれず、ジャズ・ミュージシャンや、舞踊家などとの共演でも知られる。

1月24日、アップルはクラシック音楽のために特別につくられた専用アプリ/サービス、Apple Music Classicalの日本での提供を始める。従来の汎用音楽ストリーミングアプリでは、目当ての曲探しだけでも大変だったクラシック音楽を作曲家、作品名、アルバム名、アーティスト名など多彩な条件で検索できる(しかも、日本語表記の検索にも対応している)。500万以上の楽曲をそろえたクラシック音楽の最大級のストリーミングカタログを提供し、Apple Musicに申し込み済みのユーザーなら追加料金なしで利用できる点でも大きな注目を集めている。実は同サービスの開発には多くの著名音楽家もアドバイザーやアンバサダーとして関わっているが、そのひとりが世界的チェロ奏者のヨーヨー・マで、同サービスのアドバイザーを務めている。日本でのサービス開始を受け、事前に独占インタビューに応えてくれた。20分の予定だったインタビューは話が弾み、1時間近くにわたりスティーブ・ジョブズとの思い出から世界情勢までと話は多岐にわたった。

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Apple Music Classicalで、音楽的多様性に触れる

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1月24日にスタートするApple Music Classical。

自分は技術音痴で、オーディオマニアでもないというヨーヨー・マ。Apple Music Classicalで、いちばん可能性を感じているのは、異なる世代の奏者が同じ曲をどのように演奏しているかを聴き比べることだという。「私は音楽業界ではもはや年寄りの部類です。68歳の視点から見た世界がどんなものかは知っていますが、50代、40代、30代、あるいは20代の目から見た世界がどんなものかはわかりません。でも、このアプリを使えばそうしたジェネレーションによる曲の演奏を簡単に聴き比べることができるのです」

「これまで、同じことをするには図書館に何度も足を運んだり、友人に詳しく話を聞いたり、何時間もかけて調べたりしないといけませんでした。でも、それが(このアプリでは)指先の操作で簡単にできてしまうんです」と話すヨーヨー・マ。

「音楽という限られた分野の話ではありますが、世代を超えたいろいろな人の考え方に触れることができます。具体例を挙げると30年前、世界はもっと閉鎖的でした。でも、50〜60年前の世界はもう少しオープンでした。そういうことを感じることができます。それに気がつくことで、人々は、一体その間、世界ではなにが起きたのか?と考えます。そうすることで、世の中に対して、ひとつの大きな窓が開かれると思っています」

一昨年、ベートーヴェンの交響曲第5番『運命』をトリオで演奏したアルバムを発表したヨーヨー・マ。

「なんでそんなことをするのか? 昔、たとえばベートーヴェンが曲を書いていた時代だと、新曲をオーケストラが演奏するのを人生の間にただ一度きり聴くだけで終わって、その曲はそういうものだと思って終わっていたと思います。でも、音楽はいろいろな人がその時代の方法で演奏することで、人から人へと伝わってきました。私が初めてソビエト連邦に行った時、ロシアのスペシャリストにこんなことを聞きました。アメリカとソ連を比べるとアメリカ人はひとつの事柄に対して、圧倒的に多くの情報をもっている。それに対して、ソ連ではなにかの情報に接したり体験する頻度は、アメリカの人と比べると圧倒的に少ないけれど、その分、ひとつの事柄に対して、より深く多くの思い入れや記憶があるというのです」

こうした物事の捉え方の違いが、人々の行動に変化をもたらし、そこから生み出される政治、経済にも反映されていく。だから、そうした「文化的情報を多くもつことが重要」というのがヨーヨー・マの考えだ。

同じ曲の異なる演奏を通して、そこまで多くを感じ取れるかは人にもよるかもしれない。しかし、同じ曲のさまざまな奏者の演奏を聴き比べることで、それまで思いもよらなかった解釈や表現の幅に触れることは、これからのクラシック音楽の新しい楽しみ方のひとつとなりそうだ。

 

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Apple Music Classicalアプリの実際の画面。

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知られざるスティーブ・ジョブズとの交流

 

Apple Music Classicalのローンチイベントの様子。

ヨーヨー・マはApple Music Classicalに限らず、アップルとは縁が深いようだ。筆者が34年にわたってアップルの取材をしてきたと話すと興味津々で、昔のアップルについていろいろと質問をされる場面があった。そしてスティーブ・ジョブズとの特別な縁について語ってくれた。

「いまだから言えることですが、実はスティーブ・ジョブズに、彼の結婚式で演奏をしてくれないかと電話をもらったことがあるんです。残念ながら、当時は狂ったように世界各地で演奏をして回っていたため行くことができませんでした。しかし、後日、彼と話す機会があって、あの時にうかがえなかったことをとても後悔しています、と告げました。それがきっかけで私はスティーブと親しくなり、彼の家族とも付き合いが始まりました。彼が親しかったアップルのデザインを統括していたジョナサン・アイブともです。こうした親交はいまでも続いています」

ヨーヨー・マはジョブズの魅力をこのように語る。「彼はとてもパワフルで先見性のあるリーダーでした。彼を特に凄いと思うのは、誰も問題にしない人生の問いを見つけて、それを生涯をかけて模索し続けたことでしょう」

しばらく、ジョブズ談義に花が咲き、アップルの有名なキャンペーン「Think different」のCMにはジョブズ自身がこだわって入れさせた一節があり、「(型にハマらないクレイジーな人たちが)人類を前進させた」という部分だと、筆者が紹介すると、彼はそれに大きな感銘を受けていた。

「(理論物理学者の)フリーマン・ダイソンは、文化的進化は生物学的進化よりもスピードが速く、私たちの行く末を決定づける圧力となっていると語っています。その時、ジョブズが言うように人類を前進させる方向への意識が大事だと思いますと彼は言う」

「我々は戦争などがある度に、この過ちは二度と繰り返してはいけないと思っているのに、いつまでも同じ失敗を繰り返し続けています。芸術や科学といった領域の壁を超えて、同じ間違いを起こし続ける人類の本質についてもっと議論をしなければならないと思っています」とも付け加えた。
 ヨーヨー・マは自分の孫が生きる時代のことが心配でならないという。

「いま、未来を予測している人たちからは、ディストピアな未来の話しか聞こえてきません。私自身の若かった頃はもっと希望があふれていました。前の世代から次の世代になるにつれて世の中はどんどんよくなるのが当たり前でした。それなのにいまは悪くなるニュースばかり。飢饉、気候変動、資源不足、貧富の格差などなど……。悪いことが起こるという暗い話ばかりをしています。そんな時代だからこそ、テクノロジーや科学に関わる人も、芸術に関わる人も、もっとポジティブに、そうではないどんな明るい未来を切り開けるかを、それぞれのイデオロギーを捨てて、みんなで話し合う必要があると思うのです。80億人の人類にとって本当によいのはどうすることなのか。実際、若い世代の人たちは、そういう方向に行きたいと議論していると思います。ここで上の世代の人たちもそうした議論に参加したら、彼らの考えを示すことができたら、解決はもっと早まるんじゃないでしょうか。時間はあまり残されていません。おそらく、スティーブ・ジョブズも、そう考えるんじゃないかと思っています」

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文化的多様性に触れることが重要

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人類の脅威といえば、コロナウィルスのパンデミックも無視することはできない。パンデミックが収束し始めていた2023年、マはちょっと変わった行動を起こした。彼を有名にした「バッハ:無伴奏チェロ組曲第1番」を大自然の中で演奏する映像や音源を公開したのだ。

「これまで人間は自分たちがピラミッドの頂点に立つ特別な存在だと考えていました。私は人類がこれまで犯してきた過った選択が2つあると思っています。ひとつは専門化です。啓蒙主義が始まった当初の人類は哲学、芸術、科学をすべて分け隔てなく、ひとつのものだと考えていました。しかし、人々はそれを分けて考えるようになり、やがて精神と肉体も分離して考えるようになりました。でも最新の科学では精神と肉体は一体だと言い始めています。人類の過った選択の2つ目は、人間を自然から切り離したことだと思っています。もし、この選択をしなければ科学者も芸術家も先住民も、みな、同じ自然の一部として一体感を覚えることができたはずです。(中略)こうした物事の小さな捉え方の違いが、その後の1000の決断の下し方につながっていったのです」

そんな過った選択の果てに、我々はいま、どんな世界に住んでいるのか。

「ピアニストの友人がいるのですが、彼女に今度、会おうと言ったら3年後まで予定が埋まっていると言うのです。その時まで彼女が生きているかさえわからないのに(苦笑)」経済合理性ばかりを追求してきたことが招いた、不自由で不自然な現代。そんな世界でも、他の文化に触れてみることは良い刺激になると彼は言う。

「たとえば京都のお寺などでは、建物の梁などはすべて何度も取り替えられるのに、それは何百年の歴史があるお寺だと言います。(欧米とは)古典の定義、捉え方が違うのです。日本人が自然と共生するさまや神道の考え方からは学べることが多くあると思います。いや、日本だけでなく、こうした世界的な文化的多様性が大事だと思います。これは少し生物学的、生態学的多様性に似ているところがあります。アマゾンの生態系を守らなければならないのは、その驚くべき生態系の多様性が、人類にとっても有益だからです。希望をもって社会を前進させるには文化の多様性も重要で、日本もその一翼を担っていると思います」

多様な価値観に触れることが人類の未来に希望を与えると言うヨーヨー・マ。その彼もアドバイスに関わったApple Music Classicalは、1月24日から日本でも利用可能になり、彼の演奏も音に立体感を与える新技術、空間オーディオで楽しむことができる。Apple Musicのサブスクリプションの登録者であれば、、追加費用なしで利用でき、iPhone、iPadに加え、Android版アプリも提供予定だ。

Apple Music Classical

Apple Musicのサブスクリプションの登録者であれば、追加費用なしで利用でき、iPhone、iPadに加え、Android版アプリも提供予定。