木の中に仏性を見出した、円空の祈りの世界。あべのハルカス美術館にて展覧会が開催中!

  • 文&写真:はろるど

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『十一面観音菩薩及び両脇侍立像』 1692(元禄5)年 岐阜県・高賀神社(関市洞戸円空記念館寄託) 1本の丸太を三つに割り、十一面観音像の台座の上に善女龍王像と善財童子像を載せるようにして彫刻面をあわせると、元の丸太に復元できる。現存する最後の円空仏だと考えられている。

江戸時代前期、1632(寛永9)年に美濃国で生まれた僧・円空。幼い頃に出家し、23歳の時に寺を離れ、富士山や白山に籠ったとされているものの、同時代の資料には一切記録に残されていない。今日伝わる円空の最も古い作品は1663(寛文3)年、数え年32歳の時に彫ったものとされ、その後は東北や北海道へ旅して神仏の像を制作。40歳には奈良の法隆寺において法相宗の法系に連なる僧であると認められる。さらに円空の旅は続き、岐阜、愛知、三重のほか、奈良にて修験の行者として修行を積み重ねると、ますます造仏活動も盛んとなり、生涯に12万体を彫ると誓ったといわれ、現在も5000体を超える円空仏が残されている。

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『円空ー旅して、彫って、祈ってー』展示風景。手前:『十一面観音菩薩立像』 1665(寛文5)年頃 三重県・真教寺 比較的初期の円空仏で、彫刻が丁寧であるのも特徴だ。初期からこれほどの大作に挑んだ円空の力量を伺うことができる。

あべのハルカス美術館開館10周年記念『円空ー旅して、彫って、祈ってー』では、生誕、入寂の地である岐阜県や愛知県、三重県など東海地方を中心に、北海道から近畿地方に至る円空の足跡をたどりながら、約160体の円空仏を展示。あわせて絵画、文書、書籍、さらには円空自身が詠んだ和歌を紹介し、「円空さん」と親しまれた人となりについても明らかにしている。会場には木端仏のような小さな彫刻から通常非公開の秘仏、さらには2メートルを超える大作まで、さまざまな作品が展示され、旅して、彫って、祈った円空の生涯の活動を目の当たりにできる。関西での大規模な円空展は約20年ぶりとのことで、あべのハルカス美術館1会場のみの単独開催だ。

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『両面宿儺坐像』 1685(貞享2)年頃 岐阜県・千光寺 円空の作品では珍しく、火炎の光背を背負っている。なお残された円空仏のうち神像は1割ほどで、大多数は仏像である。

江戸時代の奇特な人物の逸話を伝える『近世畸人伝』によれば、住職の舜乗と意気投合し、円空が約1年滞在したと伝えられる飛騨の千光寺より多くの円空仏がやって来ている。このうち『両面宿儺坐像』とは、飛騨に現れた異形の悪人で、ついに滅ぼされたと『日本書紀』に伝わるものの、地元では悪竜を退治した英雄として語られる両面宿儺を象ったものだ。通常は背中合わせに合体したような姿としてつくられるが、円空は背中合わせではなく、正面を向いた武人の背後にもう一人の武人がおんぶするように表現。しかも『日本書紀』では弓を手にしているものの、ここでは土地を切り開くためのオノを持っている。いずれも円空の独自の解釈が反映されたユニークな造形といえる。

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『観音三十三応現身立像』 1685(貞享2)年頃 岐阜県・千光寺 千光寺に31体現存するほぼ同形の菩薩立像。『観音三十三応現身立像』の名も示すように、元々はもっと多くあったと伝えられている。同じような造形に見えながら、1体ずつに個性があるのも興味深い。

 

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『賓図盧尊者坐像』 1685(貞享2)年頃 岐阜県・千光寺 円空が自身のすがたを彫ったとも伝わる作品。多くの人々に撫でられたような艶があり、表面がツルツルしている。微笑む表情もかわいらしい。

生涯をかけて人々の祈りや願いに寄り添い、彫り続けられた円空仏は、貧しいながらも生き抜こうとした庶民の信仰の中で育まれてきた。その祈りのかたちは、近隣の村人が病気の時に借り出しては平癒を祈ったという『観音三十三応現身立像』や、病人が患部に相当する像の部分を撫で、その手で自らの患部をさすると治癒するという「撫で仏」として信仰された『賓図盧尊者坐像』などに見出すことができる。荒々しいまでのノミの跡にたくましさと、一方での微笑みを浮かべた表情に優しさを感じる円空仏は、誰もが一目見て心を癒されるような魅力に満ち溢れている。円空が木の中に仏性を見出し、魂を込めて作り上げた神仏の像へ、災害や災害の続くいまこそ深い祈りを捧げたい。

あべのハルカス美術館開館10周年記念『円空ー旅して、彫って、祈ってー』

開催期間:開催中~4月7日(日)
開催場所:あべのハルカス美術館
大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1-43 あべのハルカス 16階
www.aham.jp