世界遺産・平泉の国宝仏像が東博へ!特別展『中尊寺金色堂』の見どころ

  • 文:はろるど

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特別展『中尊寺金色堂』より。左から国宝『勢至菩薩立像』、国宝『阿弥陀如来坐像』、国宝『観音菩薩立像』(すべて平安時代・12世紀、岩手・中尊寺金色院蔵)

「平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群」として、中尊寺や毛越寺などの5箇所が世界遺産として登録された岩手県平泉町。東北本線の平泉駅から北上川を右手に歩くこと約20分、土産物店の立ち並ぶ先に見えてくるのが、中尊寺の表参道である月見坂だ。弁慶堂や物見台などが点在する長く急な坂道をのぼり、本堂を過ぎると左側に覆堂と呼ばれるコンクリートの建物がすがたを現す。その中に位置するのが1124年、奥州藤原氏の初代藤原清衡によって創建された中尊寺金色堂だ。螺鈿や紫檀、貴石などにて装飾された堂内は豪華絢爛。誰もが厳かな佇まいと皆金色の輝きに心を奪われるが、いまも清衡ら藤原氏4代の遺体が眠る葬堂であることはいうまでもない。

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国宝『阿弥陀如来坐像』 平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵 うしろに見えるのは、秀衡の遺骸を納めていた中央壇の棺である重要文化財『金箔押木棺』(平安時代・12世紀、中尊寺金色院蔵)。
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国宝『地蔵菩薩立像』 平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵 頭をやや小さく作るプロモーションや腹帯を見せる服などから、阿弥陀三尊像よりも一世代後の造像と推定されている。現在は中央壇に安置されるものの、元は基衡壇にあったともいわれる。

東京国立博物館で開幕した特別展『中尊寺金色堂』では、金色堂に設けられた3つの須弥壇のうち、清衡が眠ると考えられている中央壇の壇上に安置された国宝の仏像11体を特別に寺外で公開。あわせて、かつて金色堂を荘厳していた『金銅迦陵頻伽文華鬘』などの工芸品の数々が紹介されている。このうち『阿弥陀如来坐像』は、『観音菩薩立像』や『勢至菩薩立像』ともに京の一流仏師の作とされ、ふっくらとした頬を持つ、穏やかで優美な表現を特徴としている。また須弥壇上の仏像は長い歴史の中で入れ替わっているとされるものの、この三尊は当初より中央壇に安置されていた可能性が高い。現地の金色堂では仏像に近づくことは叶わないが、展示では仏像を間近な場所から前後左右、360度の角度からぐるりと回って鑑賞できるのも嬉しい。

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国宝『持国天立像』(平安時代・12世紀 岩手・中尊寺金色院蔵)元は地蔵菩薩像とともに基衡壇に安置されたと考えられている。大きく翻る袖の表現も見どころ。

『阿弥陀如来坐像』における後頭部の螺髪の刻み方や、右肩にかかる衣を別材で作るなどの点において、当時としては新たな造形と技法が用いられたといわれるが、一際激しい動きを見せる『増長天立像』と『持国天立像』にも注目したい。ともに引き締まった面貌を見せつつ、腰をぐいっとひねりながら、手を力強く振り上げるすがたをしていて、こうした表現はのちの慶派仏師が得意とする鎌倉様式を先取りしたような感覚があることを示しているという。金色堂の諸仏を前にすると当時の平泉に花開いた仏教文化の豊かさをひしひしと感じられるが、加えて奥州藤原氏が新規的な表現を受け入れるような柔軟性があったことを物語っている。

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8KCGで再現した中尊寺金色堂(©️NHK/東京国立博物館/文化財活用センター/中尊寺)。8KCGは東京国立博物館と文化財活用センター、NHKの三者が共同開発したアーカイブ手法で、一眼レフカメラを用いて対象物をさまざまな角度より撮影し、その静止画像からリアルな3Dモデルを作るフォトグラメトリ技術を使っている。

幅約7m×高さ約4mの大型ディスプレイ上に、原寸大の金色堂を超高精細CG(8KCG)再現した映像が迫力満点だ。ここでは外観から堂内装飾、そして仏像などが黄金にきらめく空間全体を、まるで目の前に金色堂があるかのように細部まで鮮明に鑑賞できる。清衡の『中尊寺建立供養願文』には、長い年月の合戦で命を落とした人々の霊を敵味方の区別なく弔う「怨親(おんしん)平等」という思想と、戦争を認めない非戦の願いが込められている。建立より約900年、いまも頻発する戦争で多くの命が失われる中、世界中の人々から絶え間ない平和への祈りが捧げられる中尊寺金色堂。この特別展をきっかけに、清衡が現世に築こうとした浄仏国土・平泉へと足を運びたい。

建立900年 特別展『中尊寺金色堂』

開催期間:2024年1月23日(火) ~4月14日(日)
開催場所:東京国立博物館 本館 特別5室
東京都台東区上野公園13-9
https://chusonji2024.jp/