日本民藝館で愛でたい、柳宗悦唯一の内弟子・鈴木繁男の手がけた名品たち

  • 文&写真:はろるど

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『柳宗悦唯一の内弟子 鈴木繁男展―手と眼の創作』展示風景。『工藝』屏風を背に『久能団扇』(1950年頃)や『灰釉呉須差 櫛描皿』(瀬戸本業窯、1960年)などが並んでいる。

1914年、静岡市に金蒔絵師の次男として生まれた鈴木繁男。幼少期より父から漆芸について多くを学ぶと、二十歳の頃に柳宗悦の『工藝の道』を読んで感銘を受ける。そして、1935年に柳と民藝運動の同人であった式場隆三郎主催の「ゴッホ複製画展覧会」を見て感激し、会期中毎日のように通うと、当時静岡市にあった式場邸へと招かれ、所蔵工芸品に驚嘆する。その印象を和紙に漆で模様を描くと、才能を感じた式場は模様を柳に見せ、鈴木に上京をうながす。すると同年に唯一の内弟子として柳に入門し、工藝やものの見方などを厳しく教育され、開館前の日本民藝館の陳列ケースや展示台への拭漆塗りなどを行った。

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右から『糠釉鉄絵湯呑』、『糠釉鉄絵湯呑』、『長石釉湯呑』(いずれも鈴木繁男作、磐田窯、1960〜1973年、すべて個人蔵)。

東京・駒場の日本民藝館にて開催中の『柳宗悦唯一の内弟子 鈴木繁男展―手と眼の創作』は、2003年に世を去った鈴木の没後20年の節目に合わせ、陶磁器、装幀、漆絵などの分野で活動した半世紀にわたる多彩な仕事を顕彰している。鈴木は1936年の日本民藝館の開館から多くの展示に携わると、翌年より雑誌『工藝』の装幀を2年以上にわたって手がけ、和紙と漆による独自のデザインが多くの民藝運動の関係者や読者を驚かせた。その後は沖縄県・壺屋の素地に上絵を付けたことではじまった陶磁器制作において、愛媛県・砥部や愛知県・瀬戸本業窯といった伝統的な産地や、地元静岡県・磐田に築いた窯にて優れた作品を生み出していく。

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鈴木繁男作『呉州打掛皿』(砥部、1955〜1959年、日本民藝館蔵)画像提供:日本民藝館
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鈴木繁男作『色絵草花文皿』(素地=壺屋 絵付=鈴木繁男(蒲田・芹沢工房) 1939年 日本民藝館蔵)画像提供:日本民藝館

色彩鮮やかな草花が有機的に連なる『色絵草花文皿』は、雑誌『工藝』の作業に追われる中、やっとの思いにて第百号を描き終え、芹沢工房に入った頃の作品だ。第百号の表紙と『色絵草花文皿』には漆絵と色絵という違いこそあるものの、中央に円を描くような構成や素早い筆の走りに一定の共通性が見出されるという。鈴木は樺細工、柳著作の装幀、名号などの文字、ポスターの意匠などのさまざまな分野で作品を残しているが、雑誌『工藝』の表紙制作が鈴木の模様を生み出す能力を高めたとも指摘されている。古今の工藝品から滋養分を受取り、それを咀嚼して作り出された品格のある模様こそ、いまも輝きを失わない鈴木の作品の最も魅力といえる。

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上は鈴木繁男作『童女図』(紙本漆絵、1945〜1954年)。下には鈴木繁男による『色絵草文 蓋付飯碗』(1955〜1973年)などが展示されている。

この他に併設展として、鈴木と親しく交流し、同時代に制作に励んだ陶芸家の武内晴二郎を中心に、同じく陶芸家の舩木道忠・研兒親子といった民藝運動第2世代の作品をはじめ、鈴木から大きな影響を受けた染色家の柚木沙弥郎の作品も公開。かわいらしい鳥をモチーフとした舩木研兒の『鳥文皿』、それに鮮やかな赤を中心に彩り豊かな柚木沙弥郎の飾布などを愛でることができる。戦後に作陶生活に入った鈴木は、作品が日本民藝館展陶磁器部門で個人賞を受賞するなど高く評価され、『柳宗悦全集』の編集協力者となったり、遠州民藝協会の初代会長に就任するなど、民藝運動とともに人生を歩む。「創造とは命の本体の働き」と語った鈴木の残した名品を、ゆかりの地の日本民藝館にて味わいたい。

『柳宗悦唯一の内弟子 鈴木繁男展―手と眼の創作』

開催期間:2024年1月14日(日)〜3月20日(水・祝)
開催場所:日本民藝館
東京都目黒区駒場4-3-33
https://mingeikan.or.jp/