南雲浩二郎と土田貴宏が見つめる、デザインと手仕事のこれまでとこれから

  • 写真:齋藤誠一
  • 編集&文:山田泰巨
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ビームス クリエイティブディレクターの南雲浩二郎とデザインジャーナリストの土田貴宏の対談が、Pen最新号『デザインと手仕事』で実現した。デザインと、そこに宿る手仕事が注目される昨今、異なる視点からデザインや工芸を見てきたふたりはそこになにを思うのか。審美眼に優れたふたりの対談から、両者の魅力をひも解く。

Pen最新号は『デザインと手仕事』。テクノロジーの進化が目覚ましい現代において、いま改めて人々は、手仕事に魅了されている。しかもそれを、使い手である私たちだけではなく、つくり手であるデザイナーや建築家たちこそが感じている。手仕事に惹かれるのは、手の温もりを感じられるから──そんなひと言にとどまらない答えが、ここにある。

『デザインと手仕事』
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ビームスのクリエイティブディレクターとして活躍する南雲浩二郎とデザインジャーナリストの土田貴宏。ふたりはともにデザインにまつわるキュレーションにも関わり、それぞれが異なる視点でデザインと手仕事を見つめてきた。彼らにその“いま”を聞く。

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南雲浩二郎(右) ビームス クリエイティブディレクター/1964年、東京都生まれ。85年、ビームス⼊社。インターナショナルギャラリービームス勤務後、VMD統括として内装ディレクションを⼿がける。現在は社外も含め、幅広いデザインプロジェクトを担当。
土田貴宏(左) デザインジャーナリスト/1970年、北海道生まれ。2001年からフリーランスで活動し、国内外での数多くの取材やリサーチをもとに専門誌などに寄稿する。21_21 デザインサイトの展覧会『The Original』ではディレクターを務めた。

─おふたりは手仕事を取り込んだデザインを、住まいのなかでどれくらい使われていますか。

土田 僕は一割強といったところですかね。手仕事が関わったデザイナーのものは意外と所有してないというのが実感です。

南雲 僕は半々です。ひとつのなかに両者が融合するものは、思いのほか少ない。ただ一方で、デザイナーではなく職人によって機能が付与された古いものはいくつも所有しています。昔はつくり手がデザインをしていました。

土田 手仕事のみの時代ですね。

南雲 そこにデザインという概念が入り、分業化しました。かつては手づくりのものも均質に製造できることが品質でした。たとえばミシンができる前はていねいで細かく正確に縫えることが腕前だったのが、ミシンによる均一な運針が当たり前になったことで手縫いにアイデンティティが生まれた。ただ、すべて手縫いのスーツが必要ないように、ゆらぎがよしとされることと不要とされることがあります。この混在を踏まえ、なにを生活の中で使うのかを選択することが心地よさにつながります。

─特集のテーマである手仕事を取り込んだデザインの製品は、特に2010年代から顕著に現れてきたように思います。こうした動きをどのように見ていますか。

土田 いろいろな見方ができますが、20世紀末から2000年代にかけて、量産における効率や合理性の追求が極まったように思います。同時に多くのデザイナーがそこへの違和感をもったのではないでしょうか。毎年新製品を発表するのではなく、長い時間軸でものづくりを捉えていくと、必然的に天然素材へ目が向きます。結果として、昔ながらの手仕事の技を捉え直す傾向が生まれた。一方で、使う側にも工業製品にはないよさを求める視点が生まれました。 

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手仕事とデザインのゆらぎ、そのバランス感が大切 —南雲

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南雲は2021年にマホクボタギャラリーで開催された展覧会『resilience – Art, antique and objects curated by Kojiro Nagumo』でキュレーターを務めた。世界各地から集めた近現代の収集品と現代アートをひとつの空間に共存させ、時代や国、文化を超えた美を提示した。

─今回はおふたりに自宅で使われている手仕事を取り込んだデザインの品を選んでいただきました。

土田 僕はまず、「CMA」を選びました。彼女はデザイナーの感性で手仕事を巧みに捉えます。工業製品と手仕事におけるプロセスの差異を意識しながら、手仕事のニュアンスを量産に取り込む感覚を特徴としていて、クラフツマンシップの完成度を追求し、製品の厳密なクオリティを狙います。多くの作品で、手仕事を用いないと実現できない精緻なディテールが見られます。

南雲 一方、僕が選んだタピオ・ヴィルカラの「カンタレリ」は個体差が大きいですね。なんとなく同じに見えてもまったく違う。デザイナーが職人と一緒になってベースとなるかたちをつくり、その後は多少の誤差を許容している。これはコントロールしきれない職人の“腕”も含めて緻密にデザインしたもの。そのゆらぎのあり方に絶妙なバランスを感じます。ヴィルカラ自身が手を使えるデザイナーであったことも大きいでしょう。今回選んだもう一点は、ジョージナカシマの「コノイドチェア」。これは日本の桜製作所によるものですが、同社の先代の社長、永見眞一さんから、ナカシマは図面ではなく椅子を送ってきたと聞きました。職人たちはまずそれを見て触れ、つくりながら学び、後年になってはじめて図面が描かれたといいます。

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右:デンマークのデザイナー、セシリエ・マンツが有田焼のブランド「1616/ 」から発表したCMAシリーズは、スタッキング可能なプレートやボウルなど、フラット、ディープ、ロー、トールという4つの要素で構成される。 左:土や釉薬をリサーチし、陶磁器の知識と経験をもつオランダのデザイナー、カースティ・ヴァン・ノートによる自作のプレート。大量生産では難しい薄さが表現されている。
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右:ジョージナカシマがデザインした「コノイドチェア」。2007年頃に購入したヴィンテージで、4脚をダイニングで使う。カンチレバーの構造が特徴的で、職人技術とモダンなデザインが融合する。 左:タピオ・ヴィルカラがデザインした「カンタレリ」とそのシリーズ。カンタレリはアンズタケというキノコをモチーフにしたアートピース。手吹きガラスに研磨、加工、エッチングといった加工を駆使し、細部が表現される。

土田 昨今は、木工や陶芸の技術を体得したあとにデザインを学ぶデザイナーがふたたび増えている印象もあります。手仕事の感性を意図的にデザインに活かそうという流れを感じます。もうひとつ選んだカースティ・ヴァン・ノートが自作した器も、量産できない薄さに挑んでいます。

南雲 音楽も同じで、コンピューターで曲をつくれる時代になって、楽器を演奏できることの価値が見直されている。料理でも、みじん切りができる人がフードプロセッサーを使うのと道具しか使えない人では、刻み加減という重要な要素の理解が異なります。手仕事と、機械仕事におけるゆらぎを捉えないといけない。僕の家に手仕事と工業製品が半々なのは、どちらも好きだから。厳密な型吹きのガラスも手吹きのガラスも、それぞれに魅力を感じるのです。

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時代性を超えた魅力で手仕事に惹かれる —土田

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21_21 デザインサイトで土田がディレクターを務めた展覧会『The Original』と並行し、デザインギャラリー、リヒトでキュレーションした『to be or not』展では、土田が実際に買うと判断してきたものと、とても欲しいけれどいまのところは買わないと判断したものを展示した。

─南雲さんの暮らしは、家具の工業化を推し進めつつ、それらとフォークアートなどを混在させて暮らしたチャールズ&レイ・イームズをも思わせます。

土田 第二次世界大戦後のミッドセンチュリーの動きは、産業革命以降に進められた工業化が完成形を迎えたひとつの結果と見ることもできるでしょう。イームズ夫妻はそれを普及させたわけですが、従来の手仕事も当時はまだ豊富に残っていて、その魅力をよく知っていました。だからこそ暮らしの中で手仕事と工業製品が混在するのは、時代的にも必然だった。その後の時代背景の変化を踏まえると、生活に必要な良質な品を選ぶと自ずと工業製品になるのは当然です。それがいまふたたび変わり始めているのかもしれない。イームズのように自然な感覚で手仕事を選べる環境が訪れているように感じます。

南雲 当時は物流の効率化が社会的に大きなミッションで、組み立て式の家具が重宝されました。それが人々に行き届き、デザインが生活の向上に大きく寄与したといえます。

土田 それがある意味で20世紀の終わりに行き過ぎてしまいました。環境問題もその中で起きてきます。デザインはある社会における最適解を求めがちで、時代性から逃れるのは難しい。手仕事に惹かれる流れというのは、時代性を超えた魅力や価値がその前提にあるからではないでしょうか。工業製品は近づくほどに粗が見えることもあるけれど、いい手仕事は近寄るほどに新しい発見がある。いまデザインは、その“あわい”をすくい取ろうとしているのかもしれませんね。

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