【追悼コラム】私たちはまだ、本当の坂本龍一を知らない

  • 文:赤坂英人
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1978年の坂本龍一のデビューアルバム『千のナイフ』。高橋幸宏氏がファッションコーディネイト全般を手がけたという。

「世界のサカモト」「プロフェッサー」「マエストロ」と、国籍や人種、性別を超えて世界中の人々から尊敬と親しみを込めて、そう呼ばれた日本を代表する音楽家で、世界を舞台に活躍した作曲家、ピアニストでもあった坂本龍一さんが、今年2023年3月28日に71歳で亡くなってから、早くも3カ月が経とうとしている。

今年1月のテレビ番組で、NHKの509スタジオで録画されたピアノ・ソロ・コンサートの様子が放送されたが、その映像は日頃テレビというメディアが映し出す通常の演奏会とはまったく異質な雰囲気を感じさせた。ひと言で言ってしまえば、それは死を覚悟した希代のアーティストが見せる、鬼気迫るラスト・コンサートの記録の趣を漂わせていた。アメリカの写真家、ロバート・メイプルソープが撮った端正なモノクローム写真のような映像は、痩せて細身になった彼が渾身の力を振り絞ってピアノを演奏する様子を映し出していた。

またその映像からは、この貴重な時間を一瞬たりとも逃さずに記録しようとするカメラマンや制作スタッフの息遣いさえも伝わってくるようだった。『戦場のメリークリスマス』をはじめとする名曲を、作曲者自身の演奏で聴くという贅沢を味わいながら、この美しいイメージと音楽を伝える映像の向こう側では、大変なことが行われていたのだろうと思った。

ラジオの最終回でオン・エアーされたのは…

3月5日、FMのJ-WAVEで長年続いてきた、坂本龍一がパーソナリティを務めるラジオ番組「RADIO SAKAMOTO(レディオ サカモト)」の最終回が放送された。それは、今年1月に亡くなったYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)のメンバーであり、ドラマー、シンガー・ソング・ライター、デザイナーと各分野で多彩な才能を発揮した高橋幸宏の追悼特集も兼ねていた。しかし、坂本の番組への出演はなく、彼からリスナーへのコメントを友人である歌手の大貫妙子が代読するかたちを取った。

冒頭、彼が盟友である高橋幸宏の追悼のために選んだ曲がオン・エアーされた。その一曲目が秀逸だった。細野晴臣と坂本龍一、高橋幸宏の三人で結成された、後に世界的テクノポップ・バンドとなるYMOがデビューした1978年。その同じ年にリリースされた高橋幸宏の初のソロ・スタジオ・アルバム『サラヴァ!(Saravah!)』に収録されている表題曲『サラヴァ!(Saravah!)』だ。

『12』のジャケットは、坂本が敬愛していたという日本の現代美術「もの派」の最重要作家、李禹煥のドローイング。

高橋によれば「サラヴァ」とはポルトガル語で、アフリカから連れて来られたブラジルの奴隷たちが、「あなたに幸いがありますように」という意味で使った言葉らしい。高橋が好きなクロード・ルルーシュ監督の名作映画『男と女』に出演したピエール・バルーの音楽がヒントになったというフレンチ・ボッサ風の曲。高橋はポルトガル語の「サラヴァ!」と、日本の惜別の挨拶で使われる古風な言葉である「さらば」を重ねて歌っている。

このアルバムには、坂本がキーボード演奏と編曲全体に関わり、細野晴臣、サディスティック・ミカ・バンドの加藤和彦、高中正義、山下達郎、吉田美奈子、鈴木茂など、一流のミュージシャンが参加。日本のポップス史上に輝く傑作デビュー・アルバムとなった。なかでも「サラヴァ!」は、坂本がアレンジしたオーケストラによる流麗なストリングスの演奏をバックに「青い天使 いつかまた どこかで会おう」と歌う高橋の甘い歌声が、聴く者に耐えがたい美と絶望を覚えさせる。なぜならば、いまこの時間の流れを無限に引き延ばしたいと思う、その一瞬の永遠性が、終曲へ向かって走り去る透明な音楽の中で砕け散るからだ。

想像を遥かに超えた喪失感

4月2日、3月28日に坂本龍一さんが逝去したという知らせが世界中に報道された。彼が残した優れた作品や音楽活動について改めて注目が集まると同時に、反核・反原発をはじめとする、音楽以外の政治的、社会的な言説や活動にも関心が高まった。たとえば生前、彼が神宮外苑の樹木伐採計画について再考を求めた要望書簡が、小池百合子東京都知事宛てに出されていたというニュースは記憶に新しい。

正月のコンサート映像を見た時から、覚悟はしていた。坂本龍一のような、この多種多様な世界を一望にするようなスケールの大きさと、その細部に美を宿らせる音楽をつくりだす強靭で繊細な感受性と知性を併せもった音楽家に出会うことなど、もう二度とないだろうということを、わかってはいた。しかし、訃報を聞いた後の喪失感は、想像を遥かに超えていた。

私は少しずつ、作曲者が「乱暴」と語ったデビュー・アルバムである『千のナイフ』(1978年)から、希代のポストモダニストともいえた坂本龍一らしい、現代的無常観のような、日常の中の「自然」への探求心や回帰を感じさせるラスト・アルバム『12』をはじめ、彼が残した音楽作品や、彼が語った言葉に時間をかけて、ゆっくりと触れ直している。

変貌し続ける、彼の新しい顔

そこで思うのは、私たちはまだ、坂本龍一という存在の本当の顔貌を知らないのではないかということだ。多くの疑問や質問が思い浮かぶ。彼の出自であるクラシック音楽、現代音楽、ジョン・ケージのような前衛的作品。そして世界中の民族音楽を出合わせたような彼の音楽。芸大時代の19歳の時に作曲した弦楽四重奏曲がもつ、モダニズムの極みともいえる鋭さと清新さはなにか。YMOに代表されるテクノポップの果てにはなにが…。坂本の名を世界的なものにした、大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』や、ベルナルド・ベルトルッチ監督の『ラストエンペラー』や『シェルタリング・スカイ』『リトル・ブッダ』などの映画音楽はなんというべきか。そしてアルバム『Beauty』で語ろうとした「インターナショナル」ではなく「アウターナショナル」ということはいったいなにか。大作オペラ『LIFE a ryuichi sakamoto opera 1999』の続編はありえたのか。

坂本龍一の本領はもちろん音楽であるが、彼の関心の在り様は地球規模だった。たとえば、彼は硬派のジャーナリストで小説家である辺見庸との対談集『反定義―新たな想像力へ』では、まさに現在の「戦争」について語っていた。そういえば9・11の同時多発テロの後、いち早く「非戦」のメッセージを明らかにしたのも彼だ。まさに、打てば響く鼓のような人だった。

彼の多様な音楽を聴き直し、語った言葉を読むたびに、そこに見出すのは、私たちが知っていると思っていた坂本龍一の横顔ではなく、変貌し続ける彼の新しい顔である。つまり、坂本龍一はまだ死んではいない。いま一度、生き直しているといっても過言ではない。

「芸術は長く、人生は短し」。彼が好きだった言葉だという。坂本龍一の音楽は、いまもなお、聴く者の人生を挑発し、その世界を大きく変える力とエネルギーに満ちあふれているのである。

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