マティスが長い時間を過ごしていた部屋の写真を見ると、彼の作品世界が、現実の生活にもとづいているのがわかる。現在発売中のPen最新号『理想の暮らしは、ここにある』から抜粋して紹介する。
現在発売中のPen最新号『理想の暮らしは、ここにある』。都心にこだわらず、好きな場所に住み、自由に働く……。オフィスから離れて仕事をこなし、家族との時間を優先する。そんな“当たり前”の生活を実践する人が、「新しい働き方」をトリガーに、さらに増えている。「理想の暮らし」とはいったいどんなものなのか? 第2特集は『マティスの部屋』。近代美術の巨匠、アンリ・マティスが暮らしたユニークな部屋から、彼の絵画世界の魅力を考える
『理想の暮らしは、ここにある』
Pen 2023年6月号 ¥880(税込)
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想像を刺激する窓
室内画や静物画と並び、マティスにとって窓と窓を通した景観は、重要なテーマだった。
色彩の魔術師と呼ばれ、リズミカルな線や即興的な切り紙絵作品で知られる20世紀を代表する画家、アンリ・マティス。そのマティスが70歳頃から1954年に84歳で亡くなるまでアトリエおよび生活空間としていたのが、南仏ニース近郊のシミエの丘の上に立つかつては豪奢なホテルだったアパート、ホテル・レジーナと、第二次世界大戦中に避難していたヴァンスのヴィラ・ル・レーヴだった。
窓から望む景観はマティスに多くのインスピレーションを与え、また窓そのものも絵に頻繁に取り入れていたが、その一方でこのふたつの住まいには私生活があまり知られなかった世界的な画家の意外な側面が反映されていた。
「扉が開くと、中はがらんとした真っ暗な玄関で、私たちは静かに部屋から部屋へと歩いていった。日除けはすべて閉じられ、なにもかもが暗闇の中でひっそりしていた。暗闇に目が慣れてくると、影の中からオブジェがしだいに姿をあらわしてきた。白い水玉模様の青い陶器の壺はテーブルの上でまるで生きているようだったし、壁にかけられた油絵はそれ以上に生き生きとして見えた」(『マティスとピカソ 芸術家の友情』河出書房新社)。これは、ピカソの元恋人で画家や作家としても知られるフランソワーズ・ジローが、ピカソとともにヴァンスの住処を訪れた時のことを回想したものだ。
おそらく普通に考えれば、鮮やかな色彩を並べ革新的な画面をつくり出したマティスであったが故、そのアトリエは光に満ちあふれた場所だったのだろうと考えてしまいがちだ。しかし、ジローが書き残したように、マティスが住んでいた空間は板張りの日除けがきっちりと閉じられ、昼間でも部屋の多くが暗闇の中でひっそりしていて、まるで別世界に足を踏み入れたようだったというのである。
実はマティスの部屋が暗かったのには理由があった。病気がちだったマティスは、ある日医者から失明する可能性があることを知らされ、それ以来できるだけ目に負担をかけないように、かなり注意深く暗い部屋で暮らしていたのだ。通常、暗闇では知覚も敏感になるため、そういった環境の中で新たな創造も湧き上がってくると考えていた可能性もあるだろう。
もちろん、制作現場だったアトリエが暗かったというわけではなく、玄関から暗闇の廊下を抜けいちばん奥の扉を開けると、やわらかな光が広がっていた。天井高のある部屋の窓からは、葉をそよがせるナツメヤシと青く輝く地中海を眼前に見渡すことができたし、バルコニーに面した窓の手前には、お気に入りの丸テーブルと安楽椅子が置かれ、イスラム風のカーテンは額縁の役割を果たしていた。そこはマティス芸術の創造の拠点であり、この画家の際立ったものの見方を反映させたワンダーランドだったのだ。
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鳥と植物に囲まれて
多い時には約300羽の鳩や珍しい鳥、花や植物とともに暮らしていたという。彼らからひらめきを得ていたのだろうか。
1941年に十二指腸がんの大手術を受けたマティスは、術後の経過がおもわしくなく、長い間寝たきりの状態となっていた。しかしそういった苦境にありながらも、芸術活動に全身全霊を捧げるべく、「第二の人生」と呼び自らを鼓舞しながら制作を続けた。当時のマティスは、国際的な名声を勝ち得る一方で、病のため歩行も困難となったことで人付き合いを極力避け、ほとんどの時間をアトリエで過ごすことが多かったという。さらに、慣れ親しんだ絵画さえも体力的に描けなくなると、ずっと昔に試したことのあった、ハサミを使っての「カットアウト」と呼ばれる切り紙絵での芸術表現方法へと発展させていくことになる。
この時に献身的な役割を果たしたのが、アシスタントと秘書を務めていたロシア人女性のリディア・デレクトルスカヤだった。リディアが彩色した大きい紙をマティスはハサミでリズムよく即興的に切り抜いていく。そして有機的な形をダイナミックな構図にまとめ上げていったのだった。
マティスの切り紙絵は、限られたキャンバスの面に描く油絵とは別次元のスケール感や色彩の強さ、そして立体的な存在感をももっていた。紙から形を切り出すアプローチをマティスは「ハサミで描く」と表現していたというが、その言葉以上に鮮やかな色を直接切り込むことは、絵を超えて彫刻家が立体物を彫り出す感じにも近かったはずだ。この切り紙絵の作品に加えて、それほど多くは描かなかった油彩と大量のデッサンが生み出されたのが南仏のふたつの住居だったわけだが、マティスのアトリエといえば、すぐに頭に浮かぶ光景がある。大量の鳥たちとのちょっと奇妙な暮らしだ。
幼少期の頃から鳥が好きだったマティスは、多い時にはなんと300羽の鳩や小鳥たちを家の中で飼っていたのである。写真を見るかぎり、さほど大きくない空間にさまざまなサイズの鳥かごが部屋全体を占拠するように置かれている。熱帯の国から取り寄せた珍しい鳥たちが止まり木から止まり木へと飛び交っていたようだ。
鳥たちとの暮らしに加えて、マティスは幼少の頃からバイオリンを趣味とし、その腕前もかなりのものだったそうだが、それは視力を失い画家として生きていけなくなった時に、演奏を心の慰めとし、感情や表現のはけ口を確保しておきたかったからかもしれない。
ともかく、マティスの絵に見られる音楽的な旋律やリズムが、鳥のさえずりや日々のバイオリンの練習によって自然に培われていたことをうかがい知ると、画家マティスの感性あふれる人柄と日常の様子がより伝わってくるのではないだろうか。
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作品と一体化する空間
死の直前まで作品をつくり続けたマティス。彼にとって表現することが生きることだった。
「私たちが着いたとき、マティスは大きなハサミを手にし、鮮やかな色に塗られた紙を大胆に切っていた」とフランソワーズ・ジローは書き残した。
マティスの切り紙絵は次のように進められていた。最初にマティスが選んだグワッシュという水彩絵の具を使って助手のリディアが紙に色を塗る。床にランダムに広げられたシートから1枚を選び、ベッドの上でつまんだ紙を自由に回しながら、ハサミを滑らせるように色紙を切っていく。次第にいろいろな形や大きさのフォルムが即興的に切り出され、シーツの上やベッドの周辺に紙片が散らばっていく。その後マティスによって選ばれた紙片は、助手によって壁に留められていき、色彩のハーモニーが構築されていく。
マティスは切り紙絵の感覚を「飛ぶときの興奮を線で絵画的に表現するようなもの」と語っているが、まさに鳥たちが自由自在に飛び回るごとく、色彩を切り出す術を身につけた彼のハサミさばきは、ペンや鉛筆と同じくらい精密なツールとなっていったのである。また、マティスがハサミを手に取って作業をする時間はそれほど長くはなかったそうだが、彼にとってどれだけ集中し、想像力を広げられるかが重要だったのだろう。
マティスの作品には、花、植物、果物、陶器、家具、豪華な絨毯など、日々の生活の中で見慣れたものばかりが描かれていたが、それらは生涯にわたってマティスの重要なモチーフであり続けた。身の周りにあるものに自らの内面世界を反映させていたともいえるこの画家にとって、見慣れて愛着のあるものを作品に繰り返し登場させることで、自身の創造の領域を拡大させていったというわけである。
マティスは生涯にわたって色彩と線を相手に格闘し続けたが、病気や身体を自由に動かせないハンディキャップから生まれた切り紙絵によって、思いがけないほど新鮮な感覚で色彩を扱えるようになっていく。その後マティスは、亡くなるまでの10年足らずの間に200点以上の切り紙絵作品を完成させ、レジーナとル・レーヴのアトリエの壁は鮮やかで流麗な切り紙絵が覆いつくし、その空間全体がまさにひとつの「作品」となっていった。
河内タカ
長年にわたりニューヨークを拠点にして、さまざまな展覧会のキュレーションと、アートブックや写真集の編集を数多く手がける。2011年に帰国し、おもに写真関連の仕事に携わる。著書に『アートの入り口 アメリカ編・ヨーロッパ編』(太田出版)、『芸術家たち1・2』(オークラ出版)などがある。
『マティス展』
日本では約20年ぶりの大規模回顧展。代表的な絵画だけでなく、彫刻、素描、版画、切り紙絵、晩年の傑作、南仏ヴァンスのロザリオ礼拝堂に関する資料までおよそ150点が勢揃い。時代を追いながらマティス作品の変遷をたどる、見どころの多い展覧会だ。(作品名横に*印が付いたものは展示あり)
会期:開催中~8/20
会場:東京都美術館 ●東京都台東区上野公園8-36
TEL:050-5541-8600(ハローダイヤル)
開館時間:9時30分~17時30分(金曜は20時まで)※入室は閉室の30分前まで。
日時指定予約制 休:月、7/18 ※5/1、7/17、8/14は開室
料金:一般¥2,200