小説・ドラマ『パチンコ』でも注目、激動の時代を生きた在日朝鮮人の日記が現代に伝えるものとは

  • 文:韓光勲

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近年、米国在住の韓国系アメリカ人、ミン・ジン・リーの小説『パチンコ』がアメリカで100万部を突破し、ドラマ化もされるなど、海外では「Zainichi」が注目されている。ドラマは先日1月15日(現地時間)、昨年『イカゲーム』も受賞したアメリカの「クリティクス・チョイス・アワード」で最優秀外国語ドラマ賞に輝いた。そんななか、戦後を生きた在日朝鮮人1世の日記が初めて出版された。その日記は現代に何を伝えるのだろうか。在日朝鮮人の作家、尹紫遠(ユン・ジャウォン)の生き生きとした肉声がつづられた『越境の在日朝鮮人作家 尹紫遠の日記が伝えること―国籍なき日々の記録から難民の時代の生をたどって―』(琥珀書房)を紹介する。

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尹紫遠・宋恵媛 琥珀書房 ¥3,850

尹紫遠は1911年、朝鮮半島に生まれた。13歳の時、横浜へ。1942年、自伝的短歌集『月陰山』を出版。1944年、徴用を逃れるため、朝鮮半島北部へ渡る。日本の敗戦後、米ソ軍の分割占領ラインとして引かれた38度線をこえ、南朝鮮へ。「解放」後の南朝鮮の混乱を見て、日本への再渡航を決意した。1946年、山口県にたどりついた。戦後、日本で小説家を目指す。1950年、『38度線』(早川書房)を刊行。その後は一度も故郷の土を踏むことなく、1964年に亡くなった。

本には、宋恵媛(ソン・へウォン)さん(大阪公立大学)による「尹紫遠日記を読む」と題した解説が付されている。100頁以上にわたる力作で、尹紫遠日記をいま読む意味がよくわかる。この解説から、尹紫遠日記の読みどころを紹介したい。

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尹紫遠は「忘れられた作家」である。歌集を一冊、小説を一冊刊行しただけで、歴史のなかに埋もれていた。だが、日記を読むと、貧困や病気と闘いながら、ひたすら机に向かって書き続けた一人の文学者の姿が浮かび上がってくる。

尹紫遠日記は、1946年から1964年まで、18年にわたって断続的に書かれた。1948年(韓国と北朝鮮が建国された年)、1950年(朝鮮戦争が始まった年)、1954年の日記は失われている。今回出版されたのは、18年間で計1000日分の日記である。

その内容は多岐にわたる。日々の貧困生活、仕事、会った人物、結婚生活、借金、読んだ本や見た映画、時事ニュース、新聞記事のスクラップなど雑多である。武者小路実篤、柳田国男、秋田雨雀なども登場する。金素雲、金達寿、許南麒など、在日朝鮮人文学史で重要な人物も出てくる。

あけすけな描写が面白い。「ああひとにぎりの白米の飯がほしい。飴のかすを喰べてゐる」(1946年10月12日)。「毎日毎日イモばかり、真に白米がせめて一日一度でもいいから喰べたい」(1946年10月27日)。当時のリアルな食事情が伝わってくる。

日本人の妻、とし子を描写した部分は特に興味深い。

「久し振りで原稿紙に向っている。やはり僕は文学以外には自分のいのちの成長は望めないようだ。そうしてその確信を得ている。もう他に気を散らすことなく、全エネルギーを自分の仕事に集注出来る確信を得ている。とし子!率直に明らかに言って、僕にこんな確信を得させてくれたのは取りも直さず君の愛情だ。ありがとう」(1949年2月13日)

こうやって、とし子への愛を語ったと思うと、生活苦の描写が現れる。

「実に惨めな新婚生活だ。何事〔も〕金だ。膳がなくてたたみの上にじかに飯を喰う。とし子にも大きなことが言えない」(1949年4月11日)

「金、金、金、ミカン箱が茶タンスになり、結婚記念写真も未だ取れず」(1949年4月26日)

職探しが難航し、弱音を吐く。

「妙に、いや堪らなく淋しい。おれのような人間は生きる価値がないようだ。反動も進歩もない。どうにか暮らしの立つ仕事がほしい。それにおれは実に無能力者だ」(1949年8月2日)

生活苦はその後も続き、苦悩の様子が赤裸々に吐露されている。

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現在、約44万人の韓国・朝鮮人が日本に暮らしているが、なぜこれほど多くの在日韓国・朝鮮人が日本に住んでいるのか。尹紫遠日記を読むと、在日朝鮮人1世がどのような思いで日本と朝鮮半島を往来し、戦後の日本で生きてきたのかがよく分かる。

琥珀書房の代表兼編集担当、山本捷馬(しょうま)さんは「リアルタイムにつづられた日記は、人生や時代を生き生きと伝える貴重な資料です。本の約半分を占める詳細な解説と回想文で、20世紀の日本と朝鮮半島の歴史を学べる本にもなっています。尹紫遠本人だけでなく、日本人の妻・とし子さん、長男の泰玄さんの生きざまも読んでほしい。これまで在日朝鮮人の歴史を知らなかった人でも、自分と重ねながら20世紀の歴史を追体験できるはずです。」と話している。

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