ホイットニー・ヒューストンの音楽で育った世代は新作伝記映画をどう観るか? “彼女がいた時代”を振り返る

  • 文:中川真知子
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映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』予告編

「最低のパフォーマンスだった」「お金を返して欲しいくらい」これは、2010年にオーストラリアのブリスベンで開催されたホイットニー・ヒューストンのワールドツアーコンサート「Nothing But Love World Tour」の様子を伝えたニュースで流れた観客のコメントだ。

当時シドニーに住んでいた筆者は、このニュースの次の日に開催されるシドニーコンサートに行くかギリギリまで悩んでいたから、複雑な思いを抱きながらコメントを聞いていた。10年ぶりのコンサートを見送る決定打になったのは、誘った友人の「ホイットニーはもうオワコン。コンサートにお金を出す価値はなくなってしまった」と言う言葉だった。

それから約2年後の2012年、ホイットニー・ヒューストンはビバリーヒルズのビバリーヒルトン・ホテルの浴槽の中で倒れているのを発見される。蘇生処置を施したが、息を吹き返すことはなかった。享年48歳。

ワールドツアーコンサート「Nothing But Love World Tour」にて、コンサートのパフォーマンスに耐えきれず会場を後にした人々。

悲劇から10年が経った今、ホイットニー・ヒューストンの生涯を描いた伝記映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』が公開された。同作は、彼女が最も輝いていた時代や彼女が愛した音楽、そして生身の人間としてのホイットニー・ヒューストンに焦点をあてた構成であり、ドラッグ中毒、スキャンダルまみれの結婚生活や失敗に終わったカムバックツアーなど低迷期の比重は極めて軽い。

だが、ホイットニーの音楽で育った筆者は、一連のアップダウンを追体験したようで感情が堪えられなくなった。なんというか、ホイットニーがいた時代を生きてきたひとりとして、自分ごとに捉えたからだと思う。

というわけで、この記事では、映画ではカバーされていなかった“ホイットニーがいた時代”ついて書いていきたいと思う。

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圧倒的な歌唱力と強いアメリカ

ホイットニー・ヒューストンの歌声を聴いたのは、筆者がまだ小学生だった頃。

若きホイットニーの声は力強く伸びやかで、どんなに高い音階でも彼女なら正確にかすれることなく出せるのだろうと感じさせた。子どもながらに「海の向こうにはとんでもない才能をもった人がいるんだ……!」と感動したのを覚えている。

1980〜90年代のアメリカはとにかく勢いがあって、その時代の映画や音楽からは「強さ」や「自由」、「手を伸ばせば届く成功の可能性」が感じられた。その理由のひとつに、ホイットニー・ヒューストンの存在があったと思う。

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1991年のスーパーボウルにおけるパフォーマンス。

飛ぶ鳥を落とす勢いでヒットを出していたのはもちろんだが、湾岸戦争の最中に開催されたスーパーボウルで披露した「星条旗」でアメリカ国民の愛国心と士気を高めたり、アメリカを含む多国籍軍が湾岸戦争で勝利したあとに開催されたHBOのコンサート番組で熱唱した「All The Man That I Need」で帰還兵とその家族に誇りと安らぎを与えたりしたことが、アメリカのパワーとホイットニーを強く関連づけて記憶に残したのだと思う。

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「All The Man That I Need」を歌うホイットニー

1992年に公開された主演映画『ボディガード』では、それまで大々的には描かれていなかった、もしくは描かれていても解説が入っていた有色人種の女性と白人男性のロマンスを、あくまで惹かれあった男女として自然に表現し、ハリウッドに新しい風が吹き込んでいるのを世界に知らしめた。

世界的成功を納めた映画『ボディガード』。

その頃の日本はまだまだ男性優位が色濃くて、意見が強くておしとやかとはいえない筆者は、連日のように周囲から「女のくせに」攻撃を受けて生きにくさを感じていた。だから、ものすごい速度で変わろうとしているアメリカは希望の国に見えた。

また『ボディガード』のサウンドトラックは史上最も売れたサントラになり、主題歌の「I Will Always Love You」が全米シングル・チャートで14週連続1位を記録。映画の余韻をサントラで楽しむ文化が一般的になっていった。映画館を出たあとでも、サントラを聞きながら街を歩けば、映画の世界にいるような気分になれる。それはまさに現実逃避への手助けだった。

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ホイットニーの歌に夢をのせる

筆者の家では四六時中洋楽とクラシックが流れていて、ホイットニーの楽曲が流れる頻度は高かった。その頃の日本はバブル崩壊後で徐々に元気がなくなっていったこともあり、筆者は気がつけばアメリカに強い憧れを抱くようになっていた。

アメリカへの漠然とした憧れは、ホイットニーの曲を繰り返し聴くことで徐々に具体的なアイデアへと変化していく。というのも、彼女はとても聞き取りやすい英語で歌ったために、聞いている内に歌詞の意味を知らなくても口ずさめるようになった。自分が口ずさんでいる曲がどんな綴りの単語で、どんな内容なのかを知りたくて歌詞カードと睨めっこする日々を送っているうちに、自然と英語へのハードルが下がっていった。それから映画の字幕で勉強するようになって、いつのまにか留学するまでの英語力が備わった。

筆者がアメリカに留学した2000年当時は、同じように親が好きだったからという理由で小さい頃からホイットニーの曲を聞いて育ち、自然とアメリカを目指すようになったという日本人が少なくなかった。

だが、この頃は既にホイットニーは低迷期に入っていて、ボビー・ブラウンとの結婚をきっかけに彼女の乱れた私生活がタブロイド紙を飾っていた。声が安定していない人でも補正して上手な歌手にできるオートチューンができるより前に、完璧以上の音楽を届けてくれた唯一無二で天からの贈り物とされてきた “声”を大切にしていない様子は、多くのファンを失望させ、苛立たせた。

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テレビで流される痛々しい姿

1998年の『My Love Is Your Love』以降、目立ったヒットが出ていなかったホイットニーは、もう歌手としての輝きはなく、ドラッグ中毒でリハビリセンターを出たり入ったりしていることや逮捕された夫を庇う姿、各地で目撃される奇行ばかりが取り上げられるようになった。いかに彼女を醜く堕落したように写すかを競ったようなタブロイドの表紙には辟易した。

だがそれ以上に、周囲の人たちがどうにかして彼女を助けようとしても、手を払いのけて破滅に向かっていっているように見えたホイットニーに対して失望していたと思う。

その後、再起をかけて2009年にリリースしたアルバム『I Look To You』は登場1週間でビルボード200の1位を獲得。だが、そこに彼女らしさがあったかはわからない。過去のテイストからいえば、音楽の方向性は迷走していたと思うし、喉の調子と相談しながら歌える曲を選んだ印象すらある。

そして、『I Look To You』のプロモートも兼ねたワールドツアー「Nothing But Love World Tour」。これは興行成績的には成功を納めたものの、途中退席する観客が後を立たなかったのは冒頭でも書いた通りだ。そして結局、彼女の完全な復活は成し遂げられないまま、48歳の若さでこの世を去ってしまった。

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栄光に焦点を置いた新作映画を観て胸が詰まったのは……

先にも書いた通り、『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』はホイットニーが最も輝いていた時代を切り取った伝記映画になっている。

それでも筆者が苦しくなったのは、彼女がこの世にいない事実と、本作に収録されている代表作の数々が、自分自身を大切にすることや愛を歌っているにも関わらず、彼女が最後まで自分を大切にできなかったのかもしれないことを再確認したからだと思う。

一方で、栄光の日々に焦点を当てた作品が生まれたことで、彼女を知らない世代も彼女の魅力を知るであろう喜びも感じた。この映画の公開に合わせるように、2023年1月26日〜28日には渋谷Bunkamuraのオーチャードホールでホイットニー・ヒューストンのホログラムコンサートが行われる。

ホログラムコンサートで蘇る全盛期のホイットニー

ホログラムだと味気ない気もするが、ホログラムである分「Nothing But Love World Tour」のようなことにはならないだろうし、全盛期の彼女の声を再びコンサートで味わえるのなら期待がもてる。筆者はシドニーで行けなかったコンサートを取り戻すつもりでチケットを購入した。

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【動画】ホイットニー・ヒューストンの音楽で育った世代は新作伝記映画をどう観るか? “彼女がいた時代”を振り返る

映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』予告編

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ワールドツアーコンサート「Nothing But Love World Tour」にて、コンサートのパフォーマンスに耐えきれず会場を後にした人々。

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1991年のスーパーボウルにおけるパフォーマンス。

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「All The Man That I Need」を歌うホイットニー

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世界的成功を納めた映画『ボディガード』。

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栄光に焦点を置いた新作伝記映画を観て胸が詰まったのは……

先にも書いた通り、『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』はホイットニーが最も輝いていた時代を切り取った伝記映画になっている。

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ホログラムコンサートで蘇る全盛期のホイットニー