Pen特別企画、コンテンポラリーアートとキャデラック【Vol.2】アンディ・ウォーホル(前編)

  • 監修:山本浩貴
  • 文:サトータケシ

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2022年、アメリカが世界に誇るラグジュアリー自動車ブランド、キャデラックが120周年を迎えた。革新的なデザインと技術、そしてその挑戦の歴史をコンテンポラリーアートの変遷とともに振り返り、未来への試みも紹介。全6回の連載の2回目は1960年代のポップアートを全世界に知らしめた奇才、アンディ・ウォーホルとフルサイズのキャデラック・フリートウッド。ウォーホルの作品には、キャデラックをテーマにしたものも存在する。

アートの概念を拡張したアーティスト

アンディ・ウォーホルといえば、その名前も作品もよく知られている現代アートの先駆者だ。美術史と文化研究を専門とする山本浩貴さんに、ウォーホルのようなアーティストが生まれた背景を、当時のアメリカの社会情勢から解説していただいた。

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山本浩貴

千葉県生まれ。一橋大学卒業後、ロンドン芸術大学にて修士号・博士号取得。2013年から18年にロンドン芸術大学TrAIN 研究センター博士研究員。韓国・光州のアジアカルチャーセンター研究員、香港理工大学ポストドクトラル・フェロー、東京藝術大学大学院国際芸術創造研究科助教を経て、2021年より金沢美術工芸大学美術工芸学部美術科芸術学専攻講師。

「第1回で紹介したリー・クラズナーに代表される1950年代までの抽象表現主義は、まだ第二次大戦の憂鬱さや暗さを引きずっていたように感じます。50〜60年代にかけてアメリカ経済が好調になり、大量生産・大量消費の社会へと移行するまさにそのタイミングで、アンディ・ウォーホルが登場しました。彼はもともと商業デザイナーだったわけですが、32歳だった60年にアーティストへ転身します」

では、この時代に登場したウォーホルの作品には、どのような特徴があったのだろうか?

「ウォーホールやロイ・リキテンシュタインが現れる前は、エリートの文化がファインアートで、一般大衆の文化はセンスのない俗悪なものだとみなされていました。けれども彼らは、漫画とか日用品とかセレブリティとか、大衆の文化を取り込むことに関心をもっていたんですね。そうした考え方が、ブリロやキャンベルのスープ缶といった日用品をモチーフにすることにつながりました。ウォーホルは何枚でも刷ることができるシルクスクリーンを60年代から使っていますが、マリリン・モンローのシルクスクリーンも、当時のアメリカの消費社会を反映しているように思います」

ウォーホルが、次の時代に与えた影響を尋ねると、山本さんはこのように語った。

「『ブリロ・ボックス』のように、かつてはアートの領域に入っていなかったものをアートのコンテクストに落とし込んだ、つまり現代アートの概念自体を拡張したと思います。またウォーホルは「ザ・ファクトリー」と呼ばれるスタジオをつくっていて、ここにはプロデュースしたヴェルヴェット・アンダーグラウンドが出入りするなど、一種のサロンになっていました。現在のダミアン・ハーストやジェフ・クーンズも何人かのスタッフがチームワークで創作活動を行っていますが、その先がけだったと言えるかもしれません。アーティスト本人のキャラクターを前面に押し出すことや、映像や音楽などを幅広く手がける現代アートの潮流にも、ウォーホルの影響が感じられます」

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1964年にアンディ・ウォーホルによって制作された『ブリロ・ボックス』。市販のブリロの精緻な模倣品であり、私たちにとってなにがアート作品なのかという問いを突きつけた。©︎Philadelphia Museum of Art: Acquired with funds contributed by the Committee on Twentieth-Century Art and as a partial gift of the Andy Warhol Foundation for the Visual Arts, Inc., 1994, 1994-79-1--3 ©︎2022 The Andy Warhol Foundation for Visual Arts,Inc. /ARS, NY & JASPAR, Tokyo E5000

ウォーホルが、次の時代に与えた影響を尋ねると、山本さんはこのように語った。

「『ブリロ・ボックス』のように、かつてはアートの領域に入っていなかったものをアートのコンテクストに落とし込んだ、つまり現代アートの概念自体を拡張したと思います。またウォーホルは「ザ・ファクトリー」と呼ばれるスタジオをつくっていて、ここにはプロデュースしたヴェルヴェット・アンダーグラウンドが出入りするなど、一種のサロンになっていました。現在のダミアン・ハーストやジェフ・クーンズも何人かのスタッフがチームワークで創作活動を行っていますが、その先がけだったと言えるかもしれません。アーティスト本人のキャラクターを前面に押し出すことや、映像や音楽などを幅広く手がける現代アートの潮流にも、ウォーホルの影響が感じられます」

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『マリリン』も1964年の作品で、色彩のバリエーションをつけながら10枚のシルクスクリーンを反復して配置した。大量生産・大量消費の社会への疑問か、ポップスターの記号化か、さまざまな解釈ができる。©︎ MOMA ©︎2022 The Andy Warhol Foundation for Visual Arts,Inc. /ARS, NY & JASPAR, Tokyo E5000

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アンディ・ウォーホル(1960~70年代)

アンディ・ウォーホル(1928〜87年)。ペンシルベニア州ピッツバーグ出身。ニューヨークに移住すると商業的なイラストレーションで成功する。やがてアーティストを目指し、ドル紙幣やコカコーラのボトルを題材に描き始め、62年にはロサンゼルスのミュージアムで初の個展を開催。このときに『キャンベルのスープ缶』を発表。写真や動画など幅広い手法でアートを発表した。銀髪と黒縁メガネがトレードマークで、映画監督など意欲的に幅広い分野で活躍した©︎Allstar/amanaimages

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自動車デザインの可能性を大きく広げた。

1950年代から60年代にかけてのアメリカの社会情勢は、当然ながらクルマにも反映された。好景気のおかげで人々の気持ちも明るく前向きになり、未来は希望に満ちたものだった。また、1961年にはアポロ計画がスタートするなど、人々は航空宇宙の分野にも関心を抱いていた。

自動調整式のブレーキや自動点灯のヘッドライト、可変レシオのパワーステアリングなど最先端の機構を実現した最先端のキャデラックは世界をリードする存在だった67年に登場したフリートウッド・エルドラドはなんと前輪駆動。繁栄を続けるアメリカの最先端を体現したような一台だ。

ウォーホルが従来のアートの概念を拡張して次の世代に影響を与えたように、この時期のキャデラックもまた、自動車デザインの可能性を広げたのだ。

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GMのデザイナー、ビル・ミッチェルがデザインしたフリートウッド・エルドラドはキャデラック初の高級パーソナルクーペだった。のびやかなボディの2ドアハードトップはこの時代ならではの豪華さを感じる。

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1964年に誕生したキャデラックのクレスト。月桂冠と紋章を備えたクラシックなデザインはこの後、2000年代までシンボルとして採用された。

次号Vol.3ではキャデラックとウォーホルの関係をさらに紹介する。