国境も人種も超えて。国際交流基金賞を受賞、舞台芸術家ロベール・ルパージュが見出す「演劇とはなにか」

  • 文:岩崎香央理

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文化・言語・対話による国際交流を通じて、日本と世界の人々が相互理解を深めることを目的に1972年に設立され、50周年を迎えた国際交流基金。その事業の一環として、学術・芸術等において国際文化交流に貢献する活動を行った人物や団体を顕彰する「国際交流基金賞」が、今年も発表された。

2022年度の受賞者のひとりが、フランス系カナダ人の俳優兼演出家として世界的に知られる、ロベール・ルパージュ。受賞スピーチ並びに記念講演会では、彼が17歳の時に出合い、多大な影響を受けたという歌舞伎への思いとともに、長年にわたる日本との関わりについて語った。

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ロベール・ルパージュ。©︎V. Tony Hauser

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「今世紀の最も重要な舞台芸術家のひとり」と称されるロベール・ルパージュ。1986年に発表した『ドラゴンズ・トリロジー』で脚光を浴び、若くしてカナダ国立劇場の芸術監督に就任。北米出身者として初めて、ロンドンのナショナル・シアターでシェイクスピア作品『夏の夜の夢』の演出を手がけたことでも話題となった。94年に結成した創造集団エクス・マキナでは、ギミックを駆使した小道具や舞台装置、プロジェクションマッピングなどの映像テクノロジーによるスペクタクルな演出が「ルパージュ・マジック」と呼ばれ、各国で絶賛。さらに、サーカス集団シルク・ドゥ・ソレイユのラスベガス公演『KÀ』の演出、メトロポリタン歌劇場ではワーグナーのオペラ『ニーベルングの指環』を演出するなど、活躍のフィールドは演劇にとどまらない。

日本においては、ヒロシマをテーマとした上演7時間にもおよぶ『HIROSHIMA 太田川七つの流れ』を創作。94年の英国エディンバラ・フェスティバルを初演に、95年には渋谷・シアターコクーンで上演、カナダ・ケベックを経て、その後も世界各地を巡演している。

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17歳で初めて観た、歌舞伎の衝撃

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2022年度国際交流基金賞授賞式に出席したロベール・ルパージュ。(提供:国際交流基金)

「それまでの劇場体験の中で間違いなく、最も素晴らしい公演であり、この先、自分の創作人生を決定づけるものになるだろうと確信した」——国際交流基金賞の受賞スピーチで、日本文化との出合いについて言及したルパージュ。1977年に演劇学校のプログラムで観たという古典歌舞伎『義経千本桜』のモントリオール公演について、こう振り返る。

「名優・三代目市川猿之助が演じる狐忠信は、殺された両親の皮でつくられた鼓をどこまでも追っていく。ストーリーテリングの雄弁さ、魅惑的な暗号、身体性と音楽性、そして、この上なく優美なセットと趣向の数々に目を奪われ、2時間以上にわたって文字通り釘付けになりました。外国語だったにもかかわらず、ありとあらゆる感覚を通して私に語りかけてきたのです。一晩で私は日本文化のとりこになり、能や狂言、文楽といった日本の演劇スタイルの研究を始めました」

日本の伝統芸能にはモダンな様式が息づいており、歌舞伎は特に多様なスタイルがちりばめられた総合芸術だと、ルパージュは語る。

「喜劇的なおかしさもあれば、スピリチュアルな要素やマジカルな展開もある。それらがオーケストラのような調和へとコントロールされ、エレガントに演じられていることに感銘を受けました。西洋の演劇にどこか一面的な印象を抱いていた学生の私は、歌舞伎がとても立体的に思えたのです」

さらには、「日本の演劇には“第四の壁”がない」と感じたことで、自身の演劇観が覆されたのだという。

「それまでは、舞台と客席との間に見えない第四の壁が存在し、舞台上で起きている感情を、観客はただ傍観者として受け取っている印象でした。しかし、歌舞伎はたとえば、観客が演者に向かって声をかけることで場面が次に進んだり、上演中に客席を通って入退場したり、お弁当を食べたりもする。黒衣がなにかを動かす様子も観客に見せている。それらがまったく妨げにならないばかりか、最善のコミュニケーションであるかのように、演者と観客が感情を交換し共有している。その力強さに圧倒された体験でした」

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広島での体験が生んだ物語

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ロベール・ルパージュ。©︎Elias Djemil NBOCV. Tony Hauser

1992年に初来日したルパージュが、2週間の旅路で最も衝撃を受けたのが広島だった。

「悲劇を目撃した追憶の街で、無数の巡礼者たちの悲しみを自分も感じるのだろうと想像していた。しかし、受けた印象はまったく異なるものでした。破壊された不毛の地だとばかり思っていた場所で私が目にしたのは、不死鳥のごとく灰の中から甦った、新しく美しい都市。その復興のエネルギーには、計り知れない官能性すら存在していたのです」

その時、広島を案内してくれた学者が彼に語ったという、被爆者の若い女性のエピソードが、エクス・マキナの7時間におよぶ演劇『HIROSHIMA 太田川七つの流れ』の起点となった。広島市街を流れる太田川の支流をモチーフに、いくつもの都市をさまよい時空を経由しながら、死と再生の物語を紡いでいく一大叙事詩。95年の日本公演にはデザイナー三宅一生も訪れ、当時はまだ公表していなかった自身の被爆体験をルパージュに打ち明けたという。

「自分の服にはその影響が込められていると彼は言い、作品集を送ってくれた。ミヤケの世界観において、彼が体験したネガティブな恐怖が、こんなにも美しい芸術表現へと置き換えられていることに驚きました。泥の中から花を咲かせる、まさに仏教的な考え方だと」

『HIROSHIMA 太田川七つの流れ』は、25年の時を経て2020年7月に再び日本での公演が予定されていたが、コロナ禍により中止となり、凱旋は叶わなかった。

しかし、これまでにもルパージュは、99年に長野県松本市で行われたサイトウ・キネン・フェスティバルにて、小澤征爾の指揮によるオペラ『ファウストの劫罰』を演出したり、東京芸術劇場や世田谷パブリックシアターにたびたび招聘されるなど、日本の舞台文化と関わりが深い。宮本亞門や故・蜷川幸雄、野田秀樹といった現代劇の旗手を高く評価しているとも語る。また、太鼓芸能集団の鼓童と共同制作したプロジェクト『NOVA(ノーヴァ)』のために佐渡島に滞在するなど、精力的に日本と交流を持ち続けている。

「日本の人々が私の作品に普遍性を見出し、自己を投影してくれることを誇りに思う」と、受賞スピーチで述べたルパージュ。その誇りは、長年の日本文化との交流から彼自身が得た「演劇とはなにか」という根源的な問いへの答えを、国境を越えて人々と共有することの喜びでもあるのだろう。

「演劇とは、情報の伝達が目的ではなく、親密な交わりこそが大切だと信じています。アーティストの共同体と、観客を取り巻く共同体とが出合う場を創造すること。日本の文化や社会の中枢には、この共同体意識が強くあります。能舞台に描かれている威風堂々とした松の木のように、枝葉と幹が、土の下で千年の伝統に深く根ざしている姿こそ、連帯と結束力であり、私が愛する演劇の源なのです」

国際交流基金(JF)

https://www.jpf.go.jp/j/index.html

■設立50周年特設サイト
https://jf50.jpf.go.jp/

■2022年度 国際交流基金賞受賞者
ロベール・ルパージュ(俳優、脚本家、舞台・映画監督)【カナダ】
社団法人韓日協会【韓国】
グナワン・モハマド(詩人、作家、画家)【インドネシア】
https://www.jpf.go.jp/j/about/award/archive/2022/index.html